[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ブログタイトルを旧に戻しました。
「白と緑の日常」ってどういう意味?と数人から突っ込まれた事があったが意味はそれ程深くない。
ただ、何も考えずにボーっとしながら過ごしている時(自分としてはそういう状態を決してマイナスには考えていない)の僕の脳内カラーが白で
少しでも頭を働かして何かを思案している時に頭を支配している色が緑であるというだけの話なんですが。
久しぶりに去年何度か訪れていた某所の某コテージっぽい外観のカフェでランチ。
吹抜けの木造テラスがこのシーズン涼しげで魅力だったのに完全に締め切られていた。
おかげで中は東南アジアの大衆食堂かってくらいの蒸し暑さでとても居座れるような状態ではない。
オープンしたての頃は結構開放されていたのに最近はこんな感じなんだろうか。(やはり都会のど真ん中で無茶があったか?)
前々から思うことなのだが
内装のコンセプトがどうだとか下らない要素をグダグダ並べ立てているだけで実際は無駄に小奇麗でフードを初めとして提供されるものは特筆する点も無く並、やたらこじんまりとしただけのカフェやダイニング・バーが都内にはどれ程多いことか。
空回しな安っぽいイメージ(最近多く見るのははアジアン~とかかな?)のみが先行し、機能性・洗練美どっちつかずで中途半端な印象の小店ばかりでなんだかこの大都市がえらくレベル低く見えるといいきってしまうのは聊か生意気ですかね|ω・)
僕としてはカフェに求めるのは軽く居座れるだけの要素が揃っている快適な居心地の空間であってそれ以上でも以下でも無いんですが。
経営側が拘りを持つのは結構な事だと思う。
ただその拘りが必ずしも利用者側のニーズに合っていないケースって意外に多いんじゃなかろうか。(カフェ・レストランに限らず俗世に溢れるあらゆるものに対して言いたい)
ニーズに合っていないというか..... 正直どうでもいい要素とでも言うべきか。
それでも知らず知らずのうちに消費する側は雑誌などの媒体を通して作られた情報を植え込まれる。
何というか「自己満足」を押し付けられているような感覚に陥る。
誤解を招かないようにより正確に表現するとすれば自分自身で判断する前に上手いタイアップにより軽く「洗脳」される。
「流行の~だとか話題の~」が実際に目にし、冷静な視線で見れば実は取るに足らない無価値のものであったりするのは知らず知らずのうちに踊らされているからだ。
気が付けば作られた情報に操られている自分自身が一番腹立たしい。
...................
眠いせいで文章がまったく纏まらない。
ところでこの画像の皿可愛いですよね。
どこのだろう。欲しい。
八月以降のシフトについては現在考え中。
取り合えず暫くはそれ程無理に入れることも無く長期休止モードに入る予定。
プライベートが忙しくなりつつあるというのもあるが正直何か.......
爺は疲れました
七月前半は何でこんな週三ペースでいれてしまったんだろうと後悔したが特に昨日(数時間前に帰ってきたばかりだが時間的に)は有り得ないぐらいのハードさだった。
暑さのせいもあるだろうか、シフトイン前に既に半死状態になっているという笑えないシチュエーション。
しかも野郎三人で閉め作業という有り得ないムサさ。まあこれはこれで独特の余裕があって楽しかったりするんですが。
疲れが限界に来て十九時頃には完全に早く帰りたいモードになっていた。
だのに...........!
クローズ間際に飛んで来るアイスクリーム、スワークルオーダーの嵐。
勘弁してくれ。上品そうなお姉さんがオーダーしてくれるんだったらともかく(と言うよりある程度救われる)やたら態度悪いギャルだったし.....
そしてクローズ後も中々席を立ってくれないという悪循環。こちらも立場上すぐに立ち退き要求等出来ない。
しかしそれでもクローズ作業は最初の十分程はそれなりにスムーズに進んでいた。
僕がやらかすまでは。
作業も終わりに近くなった頃である。
ポーターフィルター(バリスタマシンに装着しエスプレッソを抽出する道具)を漬込んでいたデタプラ水を疲労が溜まりきった身体でよたよた運んでいたら事務所の床に盛大にブチまけてしまった。
(この時点でFU×K!!!!!!!!!って感じだ)
暫し呆然と立ちすくむ当方。
唖然となる周囲。
クローズ作業で此処まで特級のドジ踏んだのは初かも。
多分このせいで十五分程作業遅らせてしまったんじゃないかな。事務所の床は汚すし。(特に各自の着替えBOXが並んでいる奥の所)
洗いが終わったばかりのモップを手に取り、心の底で自らを罵倒しまくる自分。
もう駄目だ 限界を超えている
「今日どうしたの?」と声をかけるA
こっちがききてえ
ところで暑い時期になってくると僕は何故か体の節々が痛くなってきます。ここ数年。
なんかもう老化現象だろうか。高校卒以来体を派手に動かす事がめっきり少なくなった事も要因かもしれないですが寝起きが辛いです。
このままでは集中力もありはしない。
バイトも休止モードに入ることだし気分転換もかねて久々に週末はクラブ行ってこようと思います|ω・`)
オリス来るし
まったく昔のままにオーラが変わっていないのにはある程度予測が付いたが.............
しかし身長がまったく伸びていないのはこちらも同じなのだが妙にチビになったかのように見えたのは何故だろう。
色々と懐かしい話をしている中、いきなり歳の話になって
「俺の大学友達にもう子供つくったやついてさー もうそんな年頃なんだねー 俺たちの世代も」
みたいな事を僕に赤ん坊の写メ見せて煙草ふかしながら新宿東南口改札前で語りだす彼。
よしてくれ 更に老け込みそうだ。
ただでさえ必死にポジティブさを保ちながら青春枯れかけの爺キャラを自認しているのに|ω・)
八重洲のお気に入りの南インド料理店に知人三人と行ってきました。
前日夜に集まりがあったんですが結局僕が都合で行けなくて「じゃ次の日の昼食事しようか」みたいな案をだしたら自然とその流れで。
このダバ・インディアという店は雑誌などで「都内カレー名店特集」等でも必ず名前が挙がる程の有名店で日本の多くのインド料理店が北インド料理専門なのに対し珍しく南インド料理を看板としている。
店内はジョドプールを意識したブルーを基調とした洒落た内装。
11世紀以後、アフガニスタン方面から侵入してきたイスラム王朝の支配を相次いで受けた為にムスリムの影響が非常に強い北インド料理(要はナンやタンドール料理。現在一般に認識されている所謂「インド料理」が確立されたのはムガール帝国の時代)に対し、ヒンドゥー系王朝が相次いで栄えた南インドは米が主食で食文化の面でも北とは異質なものになる。
南インド料理を代表するものとしてバナナの葉の上に数種のカレーやスープ、パパド、パサパサしたインディカ種のライス等を並べたものがあり、ライスにカレーやスープを混ぜながら食べる。
北インドのカレーと違い、かなりサラッとしていて手でライスと混ぜながら食べてもそれ程ベタつかない。何処と無くタイ料理に近いテイストを持っているかもしれない。
この南インド式カレーが食べれるのって自分の知る限り都内では此処だけです。(他にもあるらしいけど)
それに味がかなり本格的で多くの店に見られるような日本人好みに調整されたヌルさがない。
決して度を越した程辛いわけではないですがスパイスがこれでもかと効きまくっていてどう調合すればこんな味が出来上がるんだろうと思ってしまうような独特な風味を持っている。
それ故にエスニックが苦手な人にはあまりお勧めできないかもしれない。
僕が最初に連れて行った子も完全に参っていたし今日初めてだった知人もややとっつきにくさを感じたようだった。
しかし人気店の此処。
何だかんだで日本人てエスニックがすきなのかも。
ちなみに夜ではなくて昼に行くんであれば平日よりも前述の「ミールス」が食べられる土日のランチタイムがお勧めです。
◆本日の一枚
Galliano 「In Pursuit Of The 13th Note」
何だかんだで昔からスタバのスコーンが好きなんですが。
チョコレートとシナモンのやつ。(後者は今は取り扱っていないが定期的に復活している)
それ以外のシーズナルは毎度毎度不味いですが。
スタバに居座るときはドリップと一緒に必ずと言っていい程買ってしまう。
ところで普段はあまり言わないのだが...........
いつも思うんですけど明らかに数年前に比べて小さくなったような。
(値段が上がったのは言うに及ばず)
◆◆◆
本日は渋谷のBunkamuraで開催されているロシア・アヴァンギャルド展に行って来ました。
「ロシア・アヴァンギャルド」とは19世紀末~1930年代前半頃までの要はロシア全体が非常にヒリヒリとした空気に包まれていた時代(行き詰まった帝政が倒され、ソビエト連邦が誕生した時代)に展開された絵画・映画・演劇など一連の芸術運動の事を幅広く言う。
その為時代背景を初めとして 「革命」 「解体」 といったものが作品を理解する上での重要なキーワードになってくる訳ですが それは取り合えず置いておく事に。
この一大ムーブメントはスターリン時代に入り社会主義リアリズムの台頭と共に排斥され、消滅していくことになる。
ザ・ミュージアム内の展覧会ということでそれ程密度の濃いものを期待していた訳ではないですがロシア・アヴァンギャルドに属する画家達の作品をこれだけ一同に見れることは国内では中々無い機会なので(ゴンチャローヴァ、ラリオーノフ、レントゥーロフ、ブルリューク、エクステルの作品なんて中々お目にかかれない)取り合えず足を運んでみた。
印象としては.........
展示品以前に作品・時代解説にかなり問題があるように感じた。
必要最低限のことしか解説されておらず、「キュビスム」 「未来派」 「フォーヴィスム」 「ダダ」 と言った美術史のキーワードに免疫がない人は流れが飲み込めなかったんじゃなかろうか。(音声ガイドの内容はどうであったか知らないですが)
ロシア・アヴァンギャルドも抽象芸術の流れを汲んだ運動なのでそれらの知識が鑑賞する上でかじり程度でも必要になってくるのは必然で確かにそれくらいの予備知識は欲しいところなのだが.......
「シュプレマティスム」 「構成主義」 等についてもカテゴリ分けはなされていたけども全体的にかなりアバウトな纏め方がなされていたように思う。
そこまで規模が大きい展覧会と言うわけでも無いので色々と求めるのは間違っているのかもしれないが「ロシア・アヴァンギャルド」の流れを一般に紹介するコンセプトの展覧会としては全体的に構成に難があるように感じた。
個人的にもこの内容・規模(少し食べこぼしてきな感じ)であればマレーヴィチの作品にもっと的を絞って欲しかったかも。
◆本日の一枚
Massive Attack 「Blue Lines」
携帯をようやく機種変更しました。
今までスペアのボロ携帯を使っていたので画質の向上に狂喜するばかりですが。
というのも先々代の携帯が当方の乱暴な扱いのせいでデータ・電源が吹っ飛んでしまったのがそもそも悪いんですけど。
兎に角携帯の画質がいいって本当に素晴らしい。
さて、最近読んだ本について
「アーティスト症候群」 大野左紀子
「元アーティスト」であった著者が世の中に氾濫する「アーティスト」という呼称、そしてそれに固執する人々を斬りまくる一冊。
アーティストという表現に対するモヤモヤした感情。
この本は常にそういったものを何処かに持っていた自分に特別新鮮な切り口を見せてくれた訳では無かった。
また著者のかなり一方的な主観的見解も多く見られ、「評論」として見るにはどうかなと思う点が無いでもない。
ですがこれはこれでかなり面白かったです。
所謂「アート」の基部を学び、その表現活動にかつて身を置いていた人間が今のこの現状・アーティストという表現に対してここまで率直に物を申した書は今までありそうでなかったのでは。
娯楽感覚でさくさく読める一冊。
ミュージシャン、クリエイター、美容師等各分野において使われるアーティストという呼称について章分けで言及していますが特に面白いのは「芸能人アーティスト」を名指しで斬る章。
工藤静香、片岡鶴太郎、藤井フミヤと言った痛い人々をばっさばっさと斬りまくる様は圧巻。
特に工藤静香のデコトラのネタには思わずカプチーノを吹いた。(真面目に)
一方でかつての(或いは今も)自分にもあてはまる事をずばりと言い放たれてぎくりとなる箇所も所々で見受けられましたが......
「基本を軽視するのは、プロセスが面倒臭いからである」
別にアートというものに限らずに「格言」として成り立つ言葉だが所謂「アート」について言われると色々と思うことがある。
別格的な存在として憧憬の対象となりうる「アーティスト」と言う独特の響き。
実がそれはアートに対する認識がフラットになった現代において「個性」という表現上の武器をもったことで人々の間で知らず知らずの内に「容易で軽い」存在となり、それは「核」が浅いステレオタイプの量産に繋がった。
それでも尚、「アーティスト」という呼称・ポジションはその絶対的なブランド力を失わずに人々を惹き付ける。
人間個人が「盲目的な自信」を潜在的に持ち続ける限り、そのブランド力も永遠不滅なのだろう...... 恐らく。
ところでアートというものからは離れてしまいますが.........
自分も今の現状に対する盲目的な視点をいい加減に捨ててそろそろ本気で現実的になろうと思います。
色々な意味で。
◆本日の一枚
Linton Kwesi Johnson 「LKJ In Dub」
全てが終わったのはもう外がすっかり明るい九時頃だったろうか?
十一時からというかなり遅い(各自のスケジュールの都合、特にその日にシフトインしていた子達待ちで)飲み会。
その後は明けた後の四時頃から皆でカラオケ入ってジョナサン入って.......
手洗いからフラフラ戻ってきて居酒屋のオサレな個室の低い壁に派手に頭ぶつけて後ろに吹っ飛ぶという中途半端な酔っ払い方していたので所々記憶が曖昧。
思えばバイスのお姉さんとは仕事の上ではこれが最後だった。
僕といえばかなりフラフラになっていたので感動的とすら言えない適当な別れ方をしたのだが.......
今思えばあれは無かったかも......
「ヘルプ来てよ」といっても彼女が飛ばされる先の店舗はかなり遠いのでそうは行けないと思う。
雨が降りしきる中、新橋から有楽町方面に向かってフラフラ歩いていたけども正直な話実際凄く寂しかった。
同時にやるせなかった。B級で特筆するような点も無いが妙に心に残るショートフィルムを観た後のように。
今まで会って来た人間の中でも指折りの人格者だったし単純に人間的にも大好きだった。
失ってから初めて大切さに気付く何ていうのも臭い言い回しですが.......
朝の雨と酔いと眠気と疲れのせいで相手が泣いてるのが鈍って見えた。
◆本日の一枚
Black Roots 「In Session」
バイト先で一緒に仕事をしている笑顔が素敵なお姉さん。
人当たりが良く、また非常に可愛いので内の店舗の裏人気キャラとなっている。(人間性的な意味で)
少しのだめっぽいほのぼのした天然さがあるんですが物事に対する几帳面度は特筆に価する。
海外留学経験有り・英会話堪能
血液型:AB型
趣味:スケボー、スノボ、サッカー観戦
好きなクラブチーム:ガンバ、ミラン
好きな音楽:oasis
この間失礼を承知ながら初めて正確な歳を聞いてみた。
33歳
正直驚いた。とても三十代半ばに差し掛かっているような年頃には見えない。
あの笑顔と少し童顔なのが実年齢より若く見える要素なのだろうか。
個人的にこの人が凄いと思うのは(表現が難しいんですが)喋り方、対人対応などを通して全体から醸している「余裕」。
ほぼ同義なのかもしれないですが「マイペース」とは微妙にニュアンスが違う......と思います。「余裕」
初めて喋ったときから特異なオーラを感じていた。
ベタながら「自分の中で時間が止まっている人」という表現が最も適切なのではないかと思う。
雑誌の真似しか出来ない癖に「個性」を語るステレオタイプな女の子が世に溢れている今、こういうオーラを持った人って中々いない。
十代~二十代前半の子と比べるのはナンセンスかもしれないですが........
◆本日の一曲
Smith & Mighty 「Same」
カーテン越しの柔らかな光が清々しかった正午過ぎに突如メール。
「今日入って!!!!! 助けて!!!!!」
シフト入っていた子が諸所の事情で突然出れなくなったということで(社会の常識では通用せんよこんなことは)バイト先のバイスのお姉さんからの連絡。
そりゃクローズ作業を僅か二人にやらせるわけにはいかないし.......
出るしかないじゃん。仕方が無い。
午後の予定丸潰れ。
それで数時間前に帰宅して今はですね
あのですね
賞味期限が一日過ぎたケーキとインスタントの珈琲で一服してる訳です。
◇最近観た映画
「恋人たちの失われた革命」 LES AMANTS REGULIERS
2005年
フィリップ・ガレル監督
フィリップ・ガレルと言えばVelvet Undergroundの1st(ウォーホルのバナナジャケであまりに有名)のボーカリストとしても知られる歌手のニコと結婚歴があり、「内なる傷痕」や「孤高」等の彼女を出演させた70年代の前衛的・実験的な作品でも知られています。
実はガレルの作品を観るのは初めてだったんですが....... こいつには参った。
どんなに重い作品に対しても耐性があると自認していた僕ですが
最終的には全て観たものの、映画鑑賞において始めて途中で折れました。
睡魔と退屈に耐えられなくなって。
68年-69年という五月革命真っ只中のフランスにおいて理想に燃え、革命の先にある何かを信じた主人公達。
しかし無意味な批判ばかりを展開し、アヘンに溺れ挫折に踏み潰されていく様を「愛の喪失」をテーマに全編モノクロームのスタイリッシュな映像で淡々と描いていく。
「革命」 「フリーセックス」 「麻薬」 など作中に登場するのはいかにもな時代を反映するモチーフ。
とても忍耐を要する作品です。
長尺で約三時間。せめてもう少し短く出来なかったものか。
若い当時、革命をリアルタイムで経験した世代にとっては色々とノスタルジーに浸る要素もあるのであろうが現代日本人の自分に感情移入できる点があるかと言うと.......?
「時代の空気・臭いの完璧な再現」なんて言われてもピンと来るはずも無い。多くのメディアは公開当時、そういう無難な一口評で片付けたみたいですが。
アナーキズムを感じた点があるとすれば主人公達よりも作品の「モノクローム、サイズ」
即ち「今の時代においてあえてこの画面」
と言ってしまうと強引だろうか。
画面の切り取りは本当に美しいです。撮影はゴダールやリヴェットの作品などでも知られるルプシャンスキー。
少々様式美的なクドさがあると言えばあるのだが........(特に前半、暴動・警官隊との衝突のシーンは拷問に近い)
そしてイケメンのルイ・ガレル(監督の息子)のナイーブな姿が見れるだけでスイーツの方々は満足するんじゃないでしょうか。それは言い過ぎか。
◆本日の一曲
Booker T. & The MG's 「Green Onions」
スタバのBGMで流れておりました。
地元の行き付けのフレッシュネスや広いフロアがお気に入りだったタリーズ某店舗が無くなっていたりと身近な生活テリトリーの喪失を感じずにはいられないこの頃ですが
何かいいこと無いだろうかと思いつつも爺は何とか生きています。|ω・)
そう言えばフレッシュネス大好きな子が知人にいて「フレッシュネスが存在しない地区に住むとか考えられないてか有りえない」と、散々普段から発言しているんですが
僕の生活圏は有りえないエリアになる訳ですか そうか。
あそこハンバーガーと同等にドリンクに気合入ってるのはやはり「カフェ」を意識しているからだろうか?
地雷メニュー割とあるけども。
ところで今日の夜はカレー作りました。(正確には作っておいた)
明日も何処かでカレー食べたい気分です。
◆本日の一曲
Sade 「Sweetest Taboo」
知人の一人の就職先が内定したということで昨日は皆で集まる予定だったんですが(別に祝いという訳でもなく..........)夜の食事・飲み会みたいのを想定していたら諸所の都合で結果的に三人しか集まらなかったので夜無しで昼食のみという有り得ない自体に...........
これだけでもやる気消沈ものですが更に当日になってメンツの一人が金欠とか言い出した為に「昼食も無し」という「一体何の為に集まるんだ?」という想定外の流れになったとか。
結局新宿のポール・バセットに居座って(座談..... と言うか二人がつまらないトークをブツブツと交わしている中、僕一人寝ていた)知人の彼女と合流。
そのまま四人で新宿から明治神宮内を通って原宿まで散歩。途中でドネルケバブにがっつきながら渋谷のカフェまで移動して..........
ふむ........
時間の無駄使いとでも形容できる素晴らしき計画性の無さ!
しかし休日らしく実にほのぼのとしていた。
こういった時間が皆で過ごせるのは後どれくらいの間だろう。
精神だけはいい意味で老けたくない。
◆本日の一曲
Jackie Mittoo 「Henry The Great」
数々のグループでオルガンを弾いたジャマイカのキーボーディスト、Jackie Mittoo。何処までもファンキーでクール。
これを流しながらマグノリアのお香炊いていると少しHAPPYな気分になれる。
それが至ってノーマルな状態。
ただ、そういう表に出したくない感情を常に自制心によって抑えている。
謙虚な精神が尊ばれる所以はそういう単純なところにある気がする。
だから「素の自分を皆は知らない」みたいな事を言われるとそんな当たり前なこと言わないでくれと当然の如く思ってしまう。
しかし考えてみれば素の~というのも奇妙な表現だと思ってしまうんですがどうだろう?
コアの部分に相当するそれらの付着している表面上のものは全て偽りですか?と問いたくもなる。
両者の境界なんてものは要は主観的なもの、或いは無意識なものに過ぎないと思ってしまう...... が
そんなこと大して深く考えてもいないのに考えているふりをする
◆本日の一曲
MATUMBI 「Living In A Dream」
朝から胃がムカムカして仕方が無いです。
戸を開けても入ってくる空気がそれ程良くない。
気が付けば世の中はGWな訳で。
陰鬱な気分にさせられる一日だった。
有効に時間を過ごしたという訳でもなく、一日を振り返ってもそれぐらいしか感想に残らない。
ところで「時間」を無駄にせずに有効に使うと言うが本質的に有効な時間の使い方とは何だろう?
何かを求めていてそれを自分が実行している時だろうか。
最近はそうすること自体に特別な価値を見出しているわけでは無いんですが何も考えずにボーッとしている時間に奇妙な安心感というか至福を感じてしまう。
今の自分は焦燥感を排斥した「余裕」が欲しいんだ。 要は。
そう言えばこの間、昼食時に店内に傘を忘れてしまうというボケをやらかした。
しかしスープカレー屋のお姉さんが店から出た僕を追いかけて後ろから走って届けに来てくれた。(結構な距離だ)
それだけでも感激ものなんだけども息を切らせながらも笑った顔が可愛い。
ちょっとした事で晴れた気分になれるから陰鬱な毎日を生きていける。
眠れなくて映画を観ながら過ごした一夜。映画の終幕と共に窓の外が徐々に明るくなっていく様はちょっとしたカタルシスがある.........かな?
三時間程度しか寝ていません。
今日はバイト先でクローズだというのに。
ヴィム・ヴェンダースって日本でも凄く人気ですよね。
70年代の「ニュー・ジャーマン・シネマ」の流れから出てきたヘルツォークやファスビンダー、シュレンドルフと言ったドイツ人監督達の中でも一般知名度は傑出している。所謂「監督人気」の高い人。
彼の出世作となった77年作「アメリカの友人」
ヴェンダースのフィルムノワールへの愛情・憧憬がひしひしと伝わってくる作品。ラストのデニス・ホッパーが凄く好きだ。
この映画も凄く久しぶりに観たけども最新のデジタルリマスターのDVDで観るとやはり画質の向上具合には改めて驚かされる。(当初のボックス使用の販売はファンから袋叩きにあったみたいですが)
ヴェンダースの映画は凄く印象的で美しいカットが多いのでこういう高画質で観れるのは凄く嬉しい。
この作品では特にハンブルクの街の描写が美しく、ブルーノ・ガンツが反射する陽光をバックにモノトーンの街角を歩いて来るカットが凄く好き。
そう言えばサミュエル・フラーがマフィア役で出ていることを今更ながら映像で確認..........
最近にしては珍しく姉が立ち寄っているかと思えばまた菓子作りをしている........(例に漏れずマカロン)
どうせ後片付けは言い訳程度にしかしていかないんだとは思いますが。
放置状態が長く続き、おまけに過去の記事を消去してしまった当ブログですが数少ない観覧者の一人である某人物が「いつになったら再開すんだよ?」と五月蝿いのでぼちぼち始めようと思います。
O型らしくアバウトかつ怠惰な性格の著者は此処を始める以前執筆していた某ブログように真面目な長文を執筆するようなことは稀になりそうですが
取り合えず自己満足の範疇で「マイペースに・適当に気を抜いて」続けていければ僕としては理想的だとは思います。
2008年 4月27日
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |