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過去も未来も無い、意識すべきはただこの現在の瞬間のみ
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<当ブログ執筆終了に関して>


二年以上にわたり続けてきたこのブログ環境でありますが著者多忙の為、突然ではありますが此処の閉鎖を決めました。
(形式上?ではあるが)
それに伴い、現在携帯更新主体の簡易ブログの方に活動を移転しています。
(更新頻度自体は実はこちらの方が多いですが.......)

実際問題、此処以上に人に読ませるような内容ではないかもしれませんが観覧希望のある物好き君は直接僕までコンタクトください。


「君の連絡先なんて知らんよ」

て人は返信が遅くなるかもしれませんが以下まで


exeter@hotmail.co.jp
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地元近辺の駅前でショートヘアの可愛い子(というか個人的ツボ)看板もって呼び込み?みたいな仕事してて「な....  馬鹿な!?」って感じだった。
ああいう飲み放題漫喫系の呼び込みって最近はああいうお洒落な子がやっているのか?と一瞬思ってしまったがよく観てみると近所のお洒落なイタリアンカフェの呼び込み
成る程、あそこのお店だったらこういう子もいそうだ。
て、言うかまた行きたくなってしまったじゃないか。(以前行った時生パスタはまあまあだったし)

おはようございます|ω・`)

六時間以上爆睡したのは実に久しぶりである!



この間購入したAcneのジーンズ。
Nudie等と並び、スウェーデンでは有名なジーンズブランドなんですがこちらは圧倒的に国内での取り扱いが少ない。残念。
ここのジーンズは二本目ですがモデルにもよりますが兎に角形が綺麗。
特に個人的にジーンズに求めるシルエットはスキニーとタイトストレートの中間くらいなんですがその手の形に関してここのジーンズは圧倒的に素晴らしい。
以前、Dr.Denim(こちらもスウェーデン産)を試着したとき、僕の履いたモデルがたまたまそうだったのかもしれないですが有り得ないぐらい細くて「これほんとにメンズサイズか!?」と仰天してしまったものだが....... (チープマンデーより細かった....)
なんて言うか  メンズの極細スキニーって今ひとつ下品に見えてしまってどうも好きになれないんですが。

ところでレディスでは多様過ぎてなんかもうよくわからないですが(何度でも言おう、洗脳性の高いレディスファッション雑誌のウザさは異常だ)メンズではスキニーパンツ(或いはタイトストレート)履いてるだけでロック系ファッション何て言われる現状。
ゼロ年代以降、何ていいますか「Rock」がファッション用語として確実に定着した感がある。

背景にあるのはロックバンドのファッションスタイルが圧倒的にスマートでお洒落になったことですかね。
ニューヨークからストロークスが出てきたときは本当に驚いた。
アメリカのバンドといえばUKのバンドに比べて「ファッションがダサい」というのがそれまでの定説であったのに。

(余談ではあるが正直、バンド形態のサウンドを陳腐な精神論を絡めた上でなんでもかんでも『ロック』と表現しようとする風潮にはいい加減嫌気を覚える。これは所謂『ロックミュージック』本来の音楽面でのアイデンティティの弱さの裏返しに思えるのだが)

ところで最近のUKバンドは全然駄目ですね。
メディアに煽られてどうでもいいカスバンドが出てきたかと思えば数年で解散するというパターンのループ。
寧ろアメリカ産のニュースタイルなバンドに押されている感が強い。
ティーンの頃はUKロック大好きだったんですがUKに感じていた特異な要素って「変態的、耽美的で何処かエロい」ってところだったんですが。
そんなニューウェーブ的で捻くれたポップな感じが凄く格好よくてお洒落に感じられたものだったが個人的に最近の若手バンドはスタイルばかり小綺麗お洒落でスカスカに聞こえてしまう。
結局......

4日の夜はクラブ行ってしまった.......
腑抜ですみません(>某人達へ)

義務感からオール明けで寝ずとも翌日からちゃんとフル稼動してたがね。
(自分でも思うが本当にタフだと思う)

しかし久しく良い一夜だった。(Larry Heardの来日)
明け方(大抵最も盛り上がるこの時間帯になるとろくに踊りもしないミーハーなアスパラ棒立ち君・ナンパ君は帰ってしまう)のあのフロアの一体感は正にパーティ。
肩抱き合って叫んだり酒交換したり、正にピークの時間帯にかかる『キャーン ユー フィィィィーリィィィーーーーーーーーッ!!!!!!!』
終了の七時まで存分に踊り通せました。
だがAIRはほんと耳が痛くなる..........


こんばんは

GWも終わり、東京の街中を歩く人の層も少しはマシになるだろうと思うと清々します。ほんとGWは嫌いだ。
「GW中は餓鬼連れのファミリーが多過ぎるんだよ」とよくボヤくんですが「荒み過ぎだろ」ってよく言われます。

そうかもしれぬ|ω・`)




◆最近見た映画


始皇帝暗殺

1998年  中国


目ざましい経済成長に沸く中国では現在日本の大河ドラマを意識したかのような歴史ドラマが次々と作られているみたいですがyou tube等で見る限り、その多くが大作志向でかなり気合が入った作りの様子。(一昔前はNHK大河も輝いていたのであるが最近のやつといえば.......)
しかしどうもその多くが変に娯楽性を重視し過ぎというか、やたら派手でリアリズムに欠けるというか、ちゃんと観てみないと何ともいえないですがそんな気もしないでもない。
テレビドラマではないが最近公開されたジョン・ウーのレッドクリフなんかはスケールが大きいだけで半ばカンフーアクション化しているリアリズムの欠片も無い映画だった。
(シナリオにしろ風俗にしろ歴史考証無視でファンタジー化してる韓流歴史ドラマ等よりは数段マシですが)
だからこそこの作品は今見てみると非常に価値が高いといえる。

監督は「黄色い大地」「覇王別姫」等で知られる中国映画界の名匠、チェン・カイコー。(最近はハリウッドで変な映画撮ってたりで少々微妙ですが)

司馬遷の史記「列伝」で有名な燕の放った刺客・荊軻による始皇帝暗殺未遂事件をフィクションを絡めて描いた一大歴史劇。
正確には天下統一前の秦が舞台なので「始皇帝暗殺未遂」では無いか。
天下統一の野望、そして自らを辱めた趙への復讐に燃える後の始皇帝・秦王政。
盲目の少女を殺してしまったことから刀を捨て、廃人同然の生ける屍となったかつての暗殺者荊軻。
二人の狭間で揺れるフィクションのキャラクター、趙姫を軸に話が進められる。

何よりもまず

スケールがでかい。

何がでかいかといえばセット。

城壁や市街をはじめ多くの大規模なセットが出てくるが中でも秦の咸陽宮のCG・合成一切無しの実物大セットは敷地面積だけで言えば映画史上最も巨大でワーナーのスタジオが丸々入ってしまう規模だそうです。(もっとも、天下統一前の秦がこれ程の規模の宮殿を造営していたとは考えにくく、モデルは阿房宮かと思われますが)
このセットは現存していて前述のテレビドラマの多くでもロケで再利用されており、ジェット・リー主演の映画「HERO」でも使用されています。
合戦等のスペクタクルシーンも中々気合が入っているのだが.......  こちらは少々いただけない。
撮影スタッフもこの手は慣れてなかったのではないだろうか?どうも撮影がぎこちない。
特に冒頭の野戦のシーンは人馬も相当な数が投入されている様子なのにカメラワークが下手で勿体無い.....(ところで古代中国では本当にあのような騎兵・戦車主体の機動的な野戦を展開していたのだろうか?歩兵が主体だろう)

そしてもう一つ特筆すべき点は徹底的なリアリズム。

素材にいたるまで衣装・小道具などは当時のものを再現するのに拘ったそうですが成る程、兵士の付けている鎧にせよ、貴族の服装にせよ、近年の中国ドラマ・映画に観られるような妙な煌びやかさは無い。
そもそも紀元前の古代が舞台であるのにあの発色や武具の上等さはおかしいのだ。絵的には見栄えがいいけど)。
また、セピア調に統一された画面、黒澤明を意識したかのような画面構図といい映像美も中々観るところがあると思います。


肝心の話の方は......

三時間にわたる大作なんですが少しダラダラしすぎだよな.....って思わない事もない。
冒頭に語られる荊軻のエピソード、始皇帝が丞相・呂不韋の隠し子であったという後宮の伝説の語り、秦に滅ぼされる祖国を見捨てられずに政を見限り、趙へと向かう趙姫の姿、ラストの暗殺シーンの巧みな心理戦など断片的なストーリーは中々良いんですが三時間で強引に纏めてしまった感が有るし趙姫が荊軻に惹かれていく過程にどうも共感できないです。
それに始皇帝のキャラクター造形に何とも違和感が.... 演じている人は頑張ってるけど。

と、マイナスに感じた所も無くは無いんですが
作り手の熱意や、かなり丁寧に作られた作品ということは感じられるし全体的に好印象。
骨太の史劇が好きな歴史好きには結構お勧めです。

涙が出るほどミスドが大嫌いだったりする。不買運動展開したい程に。
個人的にはマクドや吉野家といった他のジャンクフードチェーンより断然低評価です。
「価格帯」も「品質」も共に『チープ』という印象がここまで露骨な飲食店チェーンというのも自分の中では中々無いです。
はっきりいってどれもこれも不味い。何だあの低品質丸出しのスカスカの生地は。
よく「ミスドの中でもオールドファッションは美味しい」という人が僕の周りにも何人かいるんですがあれを美味しいという人は恐らく本当に美味しい焼き菓子というものを食べたことが無いのだろう。「フレンチクルーラー」なんて劣悪の極み。(まだあるんですかねあれ?)
パリブレスト(シュードーナツのようなもの)がモデルなのであろうが「リン・リン・リン」のパリブレスト(画像)の味とはとても似ても似つかない。




こんばんは|ω・`)
この間、秋葉のガンダムカフェに長蛇の列が出来ててドン引きだ。


さて、本日はピート・ロックとプレミアのダブルDJイベントに行く気満々だったんですが.........
恵比寿のリキッドの前に来た時には(三時半頃)当日券完売のカードを掲げているスタッフのお姉さんが立っていてがっくし。
早い時間じゃなくてオールナイトでやってくれれば良かったのに.......
まあ甘く見てて確実に前売り買っておかなかった自分が悪い。
何はともあれ   先月、突然他界したGURUの冥福を祈ります。
この間、Peanut Butter WolfもGURUの映像と共にGang Starrの曲かけて追悼してたな.....(Dam Funkとの来日イベントにて)





この間、洋書を取り扱っている某書店にて一時期話題になっていたミシュランのグリーンガイド「Japan」を観覧してみましたがこれが中々面白かった。
ミシュランといえば言わずもがな、近年では「東京」「京都・大阪」なども出版し日本でも大きな話題になったことは記憶に新しい。
フランス本国から欧米各国のレストラン・ホテルをランク付けで評価したレッドガイドの権威で有名ですが「グリーンガイド」はその観光ガイド版です。
レッドガイドと同じく、主に欧米エリア中心のラインナップでアジアでは現在日本の他にはタイとシンガポールぐらいしか出ていないんじゃないだろうか?
「ヨーロッパにおいて日本への関心が高まっている例の一環」とまでは言わないがミシュランに対する感情は人によって様々であるとはいえこの事実はやはり少し誇らしくもある。

で、気になるその内容

覚えている範囲ですが日本の観光地に対するミシュランの評価



三ツ星

★★★

東京 富士山 日光 京都 奈良 高野山 姫路
高山 白川郷 宮島(厳島神社) 松島(瑞巌寺) 屋久島

どれも日本の一級観光地であるしまあ妥当かとは思う。
問題なのはその内訳であって例えば京都自体は三ツ星の観光都市でもその観光スポット(寺院など)はさらに細分化されて評価されている。
京都は桂離宮や龍安寺、銀閣寺等芸術性の高いスポットは高評価であるが東寺や西本願寺など大味な部類は比較的低評価。
面白いのは東京で上野公園や明治神宮、新宿御苑、高尾山等は三ツ星評価で(高尾山の妙な高評価については本書出版時から各所で話題になっていた)定番の浅草や銀座・皇居は二ツ星。秋葉原は意外にも★ゼロ。

それにしても....
いかにも外国人が好みそうな滋賀県(古都・大津や古い神社仏閣が多く残る琵琶湖近辺)は彦根を除き丸々すっとばされているし奈良に関しても室生寺等の重要なスポットが記載されていない等「?」と思ってしまう箇所も多い。



二ツ星

★★

知床 大雪山 白神山地 鎌倉 伊豆 松本
日本アルプス 金沢 犬山 大阪 伊勢
松江 松山 広島 倉敷 長崎 阿蘇山 石垣島

姫路城クラスではないにせよ犬山・松江・松本・松山・金沢等木造城郭が残る町はやはりそれなりの評価。(高知や彦根、熊本は一ツ星ですが.....)
伊勢神宮内宮、善光寺、金沢の兼六園等は三ツ星評価だったと思います。

一ツ星



札幌 小樽 仙台 平泉 鶴岡 佐渡
弘前 横浜 箱根 名古屋 神戸 岡山 鳥取
萩 高松 高知 福岡 別府 熊本 鹿児島

日本の名だたる地方都市部はやはりこの程度。
特に札幌や名古屋はボロクソ評価。
岡山の後楽園や鶴岡の羽黒山杉並木、平泉の中尊寺金色堂等は三ツ星。


★ゼロ

沖縄本島

細部ではそれなりに星が付いているスポットがないでもないが意外にも全体的に低評価。




やや辛口目な印象もあるが....
この本も出版時には色々言われたものですが全体的に見て(細部を除けば)本国の日本人の評価とそこまで変化が無いような気もします。

しかし......

同じグリーンガイドでドイツのハイデルベルク等は二ツ星なんですが伊豆や大阪が彼等から見ればハイデルベルクと同等の評価なのだろうか。



数日前、目黒の某アンティーク・インテリアショップにて。

「Paper Rocket」


見ての通りの厚紙で出来たロケット。
ヨーロッパ産なのか知らないがフランス家具とおぼしき物に取り囲まれて¥7500の張り紙が。

誰が買うんだ!?
と一瞬思ったが

よく見てみれば結構モダンで斬新な造形ですよねこれ。
かなり部屋の方向性は限られるとはいえポップにコーディネートできればそれなりの存在感を示す...と思わないことも無い。
僕はいらないけど。

こんばんは|ω・`)


タイミング的にはカウンターだったな......
あからさまな仲介という訳ではないが友人間のトラブルにちょっと首を突っ込む形にはなったが......
こちらまでブルーな感情が感染してしまったぞ。
実際問題、片方の言い分は一般論的見地から見ても何も疚しい事は無く、「良心」と表現すると我ながら実に嫌らしい言い回しだと思ってしまうがそういうものに照らし合わせて考えてみても肯定せざるを得なかった。
しかし、同情などという陳腐な感情ではないし人間のある種の精神的な弱さのようなものを肯定しようと試みる詭弁でもない、ただ相対的に見た際の僕の実際的な立場というものもあって他方を否定しきる事も決して出来ない訳です。
どちらが正しくてどちらが悪い・非常識である、と明確に言い切れるような問題でもないと思う。前者は「不寛容」、後者は「無神経」等という訳では決して無い。
何が根本的にまずかったのかはわからないがこういう成り行きだったのだ。

思えば当たり前のことではある  が

皆漠然と気が付かない、或いは気が付かないふりをしている。

様々な条件要素が周囲に複雑に絡んでいることや、そもそもの人間性という問題もある。当人が自ら・またはその立場を完全明確に外部にアピールする事が不可能であることから等もわかるように一人の人間を完全に理解すること等到底不可能ではあるが、だとすれば同時に互いに本質的にわかりあえるということも実に難しいことになる。
結局は「疲れた、もういい」といったような単純な思考でケリがついてしまう。

これきりで音沙汰無くシャットダウンというのもなんかもの悲しくないかな?
余計ではあるが第三者の立場で最後に頭をよぎった考え


見られている文章上だと心ならずも抽象的になってしまう駄文に我ながら苛立ちが積もりますが内容が内容だけにコメント付かないと思いますがそういう気分なんで久々にコメント欄開放してみようか。



◆4月15日(木)

友人と新宿のタイ料理店、「エラワン」のバイキングでランチ。
以前記事に書いたこともありますがここのバイキングはおかずの種類も多く、ライス・麺類も完備の上にデザートもちゃんと揃えてあって中々ハイレベルな方なんですが日替わりタイカレーが一種類しかないのがやはり痛い.....
店も広く、コストパフォーマンスも良心的だしほんと他は言うこと無いんですがね。
ところでスパイシーながらもココナッツミルクでまろやかに仕上げたタイカレーが大好きな著者ではあるがその他のタイ料理と言うとそれ程好きって程でもない。
ナンプラーやパクチーをよく使うからだろうか、酸味が強めで癖のある料理が多く結構胃にくるものが多いからかも。
だから思えば自ら進んでタイ料理屋に行く機会ってそれ程多くも無い。
肝心のタイカレーも実際、夜のものはまた別ですがランチタイムにタイ料理屋でお手軽に食べるものよりもレトルトのものの方が美味しいことが多かったりする......
近年のレトルトカレーのレベルは本当にびっくりする程高いですがタイの輸出向け現地生産のレトルトタイカレーは本当に異様なまでにハイレベル。
バスマティライスも家で用意出来たら言うこと無いんだが..........


◆4月17日(土)

去年、Paul van Dykの来日の時に知り合ったお姉さんに誘われてMAGNIFICENTにおけるフェリーの来日に行って来ました。
ageha久しぶりだな.....。ちなみにそんなトランス好きって訳でもないんですが。
新木場現地待ち合わせ。ショートヘアになっていた!お姉さん|ω・`)
Ferry CorstenはTiestoやArmin等と並ぶトランス大国、オランダを代表するDJ・プロデューサー。
日本では「System F」の名義がやはり有名だろうか。エピックトランス全盛期に「Out of the Blue」の大ヒットを飛ばす。
日本ではトランスといえば随分歪んだイメージが定着してしまいましたがPVDやフェリーの曲をいくつか聴けば大分印象が変わると思います。
当時日本で「トランス」と言われていた下品な音楽と本場ヨーロッパのトランスはまるで性質が違う。(まあ正直無駄にメロディアスで派手というか、ダッチトランスは苦手なものが多かった僕ですが。サイケはもっと苦手)

フェリーが出てくる前、ヨダさんがプレイしてる時ですがお酒買いに言っていたらお姉さんとはぐれる。
フロアが盛り上がり始めていた時間帯だったし一人で踊ってたらいきなり背中ポン!て叩かれて変なケバ子に逆ナンされる。
明らかに挙動がおかしく、耳元で「酔っ払ってんの?」て聞いたら
|∀・`)<いつも酔っ払ってるよー へへへー

うわ....  めんどくさ.......

「酒飲み行こ」って誘ってどさくさ紛れに歩調早めて距離とって男子トイレに雲隠れ。
何故か物凄く情けない気分になったものである。

さて

肝心のフェリーですが

彼のプレイを目の当たりにするのは初めてだったんですがフェリーなかなか乗せるな.......
お姉さんが「前回の来日のときは選曲手抜きで最悪だったよ」と、繰り返し言っていたのであまり期待していなかったんですが蓋を開けてみればそんな事は全然無い。
特に明け方近い終盤、異様に盛り上がった。一言でいって超楽しかったです。
まあ「Made of Love」がかかった瞬間、フロアがコンサートホールみたいな雰囲気になってしまうのは御愛嬌ですが。


◆4月18日(日)



姉上と彼女お勧めの代官山のイタリアンに行く。
結構有名なお店らしいんですが......  いや、色々事情もあって格好が失敗だった。カジュアル過ぎでした。
この手のお店とわかっていたらちゃんとブレザーにシャツで来たのに.......
料理の方はというとイタリアンというよりフレンチ寄りかなこれは。
仕上がりも綺麗だったしどれも美味しかったんですが.....  イタリアンはお上品過ぎない方が好きです。
日本のイタリア料理店はかっこつけ過ぎなケースが多過ぎるんだよ。
イタリアで何が一番美味しかったかといえば広場に面したオープンテラスの気取らないカジュアルなお店のパスタだ。
美味しいフェットチーネが食べたいこの頃|ω・`)


◆4月19日(月)



下総中山で下車してちょっと寄り道。
何気訪れるのが初めてだったんですが法華経寺まで参道沿いに歩いてみる。
法華経寺は日蓮に深い縁のある千葉県を代表する名刹の一つ。(日蓮宗大本山)
境内の桜はもうほぼ散ってしまっていましたがそれ程広い境内ではないにも拘らず江戸情緒漂う非常に雰囲気のいいお寺です。
五重塔、祖師堂、法華堂など室町~江戸期にかけて建てられた国重要文化財クラスの諸堂が立ち並ぶ。
こういう古建築が豊富に残された神社仏閣は都内方面では数少なく、中々お目にかかれない。
古社寺好きには絶対お勧めです。




五重塔

真赤な弁柄塗、ほっそりした全体のスマートなシルエットはいかにも近世の塔。
京都や奈良などの西日本の優美ながらもどっしりしたスタイルの塔とはまた違った趣がある。

そして寺に至る参道沿いには昭和の下町情緒が残っていてこれも悪いものではない。
この後現地に住んでいる友人と待ち合わせて現地のサイゼで食事.........(高校生か)
ちなみに隣の本八幡には外観保存されたサイゼ一号店跡がある。
確か八百屋か何かの上にある小さくてしょぼい外観だったと思うんですが。

京都が日本の他の都市と比較して格別に魅力ある場所であることは言うに及ばず。
数多くの壮麗な文化遺産を保有し、盆地という立地の為周りを山地に囲まれており、景観にも優れる。
永くこの国の文化の中枢であったこと、大都市でありながら金沢と共に奇跡的に第二次大戦の惨禍を免れたこと等も挙げられるが京都がこれほど日本の原風景を残せたのはやはり市民の保守意識か。
まあ「京都人は保守的」といってもあくまで日本人の中では比較的保守的な方というレベルの話ですが。(ヨーロッパ人、特に未だに都市国家のプライドを保ち続けている北~中部イタリア人等は比較にならぬ程もっと保守的)
中心部はあまりに近代化されてしまっており、戦後の都市開発を誤ってしまった感は歪めないが(まあ北京やバンコク等他のアジアの文化都市にもそれは言えるし仕方がない事でもあるんですが)それでもこの街が日本国内はおろか世界指折りの観光地として多くの人達を惹きつけるのはそれだけ個々のパーツ、即ち点在する多くの神社・仏閣・庭園を中心とした個性豊かな文化遺産が素晴らしいからである。もう少しまともに町並みを保存できていたらヴェネチアクラスの観光都市になれていたかもしれないと思う程に。

さて  <前回記事続き>


春の京都編


最近旅行旅行.... となってしまっているが......
三度目の京都一人旅

一泊二日であったにも拘らず中々充実したものとなった。


◆4月12日(月)



朝一番の新幹線に乗り込み京都駅についた頃は外は雨。
ホテルでチェックインを済まし直ぐに定番過ぎる清水寺に移動。
この日は丸一日、東山をのんびり散歩する予定で清水寺から美観地区である二年坂・三年坂・八坂の塔・石塀小路を通り、護国神社・高台寺・八坂神社・知恩院・南禅寺と全て徒歩でじっくり周り哲学の道を通って銀閣寺へ至るルートで回る。はたからみればかなりの濃密ハードスケジュール。一人旅でしかこういうことは出来ない。





(護国神社の坂本龍馬・中岡慎太郎の墓。桂小五郎や高杉晋作の墓も在る)

三年坂で立ち寄った茶屋で同じく一人旅らしい女の子がマップを広げていて少し嬉しくなる。
しかしこの日は一日雨の降り続きで本当に参った。寒くは無かったんですが哲学の道もグシャグシャ。
しかし東山は雨が本当に似合う。背後の山の林から煙を吹いたように霧が立ちこめてこれがまた何とも言えない風情がある。
特に高台寺では霧雨が格別にいい演出となり、時雨亭や竹林、苔の生した庭園に雨による湿気が映えた。


◆4月13日(火)

特別濃密な一日となった。
本日もかなりのハードスケジュール。(ほんとまだ若いじゃん自分)
前回の一人旅もそうであったが......
ベタながら朝食はイノダコーヒーのレトロな本店。
朝早くから今回の旅行のハイライトである醍醐寺へ。



京都の三ツ星クラスの有名寺院の中では唯一未だに訪れたことが無かったので絶対に行っておきたかった。
大抵の人は日本三名塔の一つであり、国宝の五重塔があることで有名な下醍醐だけ見て帰ってしまうが醍醐山の山頂には「上醍醐」という別の伽藍が存在する。
下醍醐の伽藍のみを指して「醍醐寺」と誤認している人が多いですが背後の醍醐山全山も含めての「醍醐寺」です。(つまりかなりの巨大寺院)
今回は当然上醍醐の方まで上る予定できたんですがこれがまた凄い事に。
上醍醐への道は険しく足場が悪い急な山道を片道45分~1時間かけて上らなければならない。
碌に歩道が整備されていなかった昔は西国一の礼所の難所として知られていたらしい。



こんな某ジブリアニメに出てくるような鬱蒼とした山道を登っていく。



ただ、僕が来たときは正に最高のタイミングで一晩中雨が降った後の山の朝ということで山内の森には霧が立ち込め、まだ観光客も少なく、何とも言えない詩的な風情を醸していた。



ぶっちゃけかなりきついです........
途中で風景を楽しむ余裕も尽きた。
若い内に一度は行っておこう。

息も切れ切れに山頂に到着。



霧の立ち込める幻想的な境内はいかにも山寺といった雰囲気。
山中にも拘らず下醍醐に劣らぬ大伽藍で国宝・重要文化財クラスの壮麗な諸堂が立ち並ぶ。
一番高い山頂には豊臣秀頼が寄進した開山堂と如意輪堂が勇壮な姿で立ち(画像は別のもの)、また白河皇后の墓所も存在した。
しかしビューポイントは霧ですっかり塞がれ、晴れた日には見れるという宇治川もまったく見えず.....
しかし上醍醐は下醍醐以上に記憶に残る印象的な場所でした。著者お勧めです。
しかし道は本当に険しいので歩きやすい服装で行くに越したことは無い....  その点不備であった。

一時過ぎに京都中心部に戻ってくる。
烏丸の鳥料理の店で昼食を済ませ、京都随一の景勝地・嵐山へ移動。
天龍寺の境内は外国人だらけ。
白人に天龍寺の庭園の繊細な良さがわかるのだろうか?と思ったがかなり見入っている団体グループがいた。
そして清水寺でもそうだったが今、京都の名観光地は中国人だらけです。
思うのだが数年前に比べて日本で見かける中国人も地味ながら段々服装が垢抜けて来ている様な......(と、言うより一昔前があまりにダサ過ぎた)
そして、装飾っ気が無くて素朴そうな感じで可愛い女の子が何気に多い。気がしないでもない。
一方、男の方は何故か眼鏡と小太りと短髪イガグリのオンパレードですが。

老松で土産の和菓子を買った後、有名なあの竹林を抜け嵯峨野へと続く定番コースへ。
嵯峨野は何度来ても本当に綺麗でいいところだ。正に日本の原風景。
その時、時刻は既に四時過ぎ。そろそろ仏閣など名所は殆どクローズしてしまう時間帯だ。
二尊院や清涼寺、大覚寺等,嵯峨野の名刹も色々と回りたいところではあったが結果的に常寂光寺(藤原定家が小倉百人一首を編んだ時雨亭の跡地と言われる。小さいですが苔の庭が綺麗な本当に素敵な寺です。紅葉のときは最高だと思う)と落柿舎ぐらいしか拝観出来なかった。
しかしミーハーな観光客は殆ど嵐山方面へ帰ってしまう時間帯。こういうときもそう無いと思い、一人で静かな嵯峨野の奥地(大覚寺とは反対方面)までまったり散歩することに。
この辺りまで来るのは初めてだったが奥地まで進むと石畳の小道の両脇に古い伝統家屋が次々と見えてくる。看板が出ていたが美観保護地区だそうです。
更に進むと山の麓の神社鳥居の傍に見えてきたのは鮎料理で有名な平野屋。目に見えた瞬間  ああ、ここか!と思う。
建物自体も古い伝統家屋でとても風情がある。静かな嵯峨野の夕刻の時間帯というのがまたいい。
茶菓子でも有名なそうなので上がって抹茶と黒砂糖・きな粉がまぶしてある名物菓子の『志んこ』をもらう。
嵯峨野まで来たら是非「平野屋」まで徒歩で歩いていくことをお勧めします。旅情溢れる本当にいい場所である。
気ままに一人で行くもよし、彼女彼氏と行くもよし。

その後嵐山まで戻り、夜の祇園をフラフラした後(夕食は蕎麦で有名な権兵衛)9時過ぎの新幹線に乗り込み夜遅く帰宅。
京都のネット知人と会おうかみたいなことを言っていたんですがこのスケジュールでは流石に一杯一杯でした。

また次の機会かな


<続く>
『今日のコーデ☆』とかいって顔も隠さず、ナルシーモード全開で鏡の前でポーズとった自分の画像を載せた記事を投稿している女の子とかよくブログでは見かけますが

 「お前はいったい何なのだ」 て感じだ。

いや、ある意味凄いけどね。一人ファッションショーでは飽き足らなくなったか。
著名人・芸能人ブログでもないのに「●●●公式ブログ」等と謡っている方々も然り。
即ち盲目的な自意識過剰の発展型。


「カリスマブロガー」なんていうのも考えてみれば嫌らしい表現だな。
ブログというものも今ではこの国のネットユーザーの間ですっかり定着して自己主張の媒体として合理的に機能している訳ですが.....

いや、合理的か.....?

僕も執筆してるからわかるんですがブログの記事の執筆というものは何気に時間がかかる。
SNS等を含めた様々なブログ環境で連日のようにやたら濃い内容の記事を投稿している人達がいますが彼等ってそんなに暇なんですかね。
謎だ|ω・`)


こんにちは

今年の春は寒くて相変わらず全然春っぽくないですね。
春生まれなんで春好きなんですがこの気候じゃ散歩もできやしない。

さて、上記のようなことを書いてしまいましたが.....
たまには日記っぽいことを書いてみる。
四月中旬簡略総括編。


◆4月7日(水)



スタバでまったり

オールドファッションやアップルシナモンフリッター、ラズベリージェリードーナツなど先月中旬頃から出ている春の新作がどれもこれも美味しい。
しかし本当に限られた一部の店舗でしか販売していない模様。
まだ試験段階なのだろうか?残念だな、もっと広く展開して欲しいです。
ところでよく「ド草食」と言われる著者だが.....
自分ではまるで自覚していないし本質的にそうと思っていない。寧ろ草食と言うトレンド表現に嫌悪を感じている。
しかし、ナイフとフォークでドーナツを切り分ける姿をして

「どこからどう見ても草食だよ」

と突っ込まれて悲しかった。
て言うか決して意識している訳ではないのだが......!
気が付けば白のロンTに細身のジーンズという格好になっている事がよくある。
「デス●ートとかねえ...  今更?」とはたから見られそうな気がしてビクっとなる。
これも自意識過剰のうちですかね


◆4月8日(木)



コーヒーグラインダーが現在凄く欲しいのでちょっと下見に行く。
やはりデザイン的にはスペインのアスカソのものが断とつで秀逸。カラーバリエーションも豊富でそのままインテリアになってしまう。
「DREAM」というエスプレッソマシンも出しているんですがこれがまたお洒落で可愛い。
完全スペイン製で自社パーツ(元はエスプレッソマシンのパーツを作っていた会社)、作りも丈夫で精巧、お値段が少々高いことを除けば言うこと無しです。

ただ.....

かなり本格志向のものなので取り扱いが難しい上に手入れもかなり面倒な模様。
さてどうするか.....


◆4月9日(金)

夕刻間際の午後、一人で代々木公園~明治神宮近辺を散歩



桜はもうシーズンを過ぎ去ろうとしていた頃で葉桜に変わりかけていた。
しかし午後の静かな時間帯の代々木、明治神宮をふらりと散歩するのは相変わらず好きだ。

その後、連れと落ち合い簡単な食事を済ませて時間を潰した後某小箱クラブへ移動。
ハウスのパーティだったんですが何故だか疲れのせいか全然乗れず、向こうほったらかしで明け方頃、スピーカーの近くで爆睡してしまった。
(ちなみに.... 最近ノリピーのせいでクラブに対する大衆観念が極端に悪化の一途を辿っていますが僕は彼女が出入りしてるようなナンパ箱は行かないですよ? もっとも都内でも純粋に音楽が楽しめるクラブなんて一割~二割程ですが...... 後はかかる音楽もかけるDJも客層も劣悪なナンパ箱ばっか)


◆4月10日(土)

例の如く帰って爆睡してしまう廃人俺。
起きたと思ったらバイト先から「明日オープン入って!」とMGから懇願メール。
まあ休日だから無理すれば入れないこともないですけども?僕も色々と自分のやることあるけど。
了解して数時間後またメール。
「あ、キー持ってないよね?今から取りにこれる?明日のオープン、ヘルプの子と一緒だからキー持ってる人いないんだ」

NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!

急過ぎてすぐに取りに行けず、店舗に着いてキーを受け取ったのはクローズ作業中の時間帯。(23時頃)
今から帰ったらオープンまでに来れない(起きれない)危険性大。この時点で何処かでオールすることが確定した。
丁度その日、KRUSHがelevenでDJやっていたのでそこで朝まで過ごすことに。(KRUSHは二月のunitでのロングセットも行けなかったし... しかし二日連続なんて久々ですが.....)
広尾まで移動してジョナサンで少し休んだ後、西麻布まで徒歩で移動。
KRUSHメインということでアブストラクトヒップホップ系のパーティだったんですがフロアの外人率やたら高し。
しかし客層良好、皆楽しそうだったのでこちらまで無駄にテンションが上がる。
<軽快で超ステップが上手な黒人(elevenの他のパーティやAir等でよく見かける)、昆虫的というか変態的な動きで踊りまくってる赤シャツ眼鏡の外人さん、叫びながらくるくる回ってる(動作がいちいち可愛い)白人のお姉さん.....etc>

はしゃぎ過ぎて明け方に出た頃はクタクタになってしまっていた。(広尾まで戻ってマックで少し仮眠)



なんとかその後オープン作業をこなす著者。
この間25になったばかりですがなんだかんだまだ若いじゃないか。
それなりのバイタリティは残っている|ω・`)
(しかしバリスタマシンの前で居眠りしかけましたが....)

ちなみに初顔合わせのヘルプの女の子が見た目ほんわか系なのにやや毒舌でウケる。


<続く>
近年はジーンズといえば細身のヨーロッパ系ブランドが圧倒的に人気ですね。

日本の岡山産デニムと言えば世界最高品質として名高いが.....
それらの一部のブランドで日本産かつ国内で加工されたデニムが使用され、流通経路の関係で価格が高騰した状態で日本国内のショップに陳列される。
変な話だ。

更に言えば

とある人気ブランドは(あえて言わないですよ?)
日本産デニムを使用した商品を公式に『JAP』等と称しており、そのジーンズが日本国内において日本人の若い子達の間でもてはやされる。
もはやブラックジョーク。

こんばんは
相変わらず寒くて花見日和は未だ訪れず。


さて、例の毒入り餃子事件は何やら哀れなスケープゴートが当局により祭り上げられた事により(としか思えないですよ)一つのチャプターを終えようとしている様子。
確かに毒餃子は極端な例ではあるが(て言うか食には妙に五月蝿い日本人)「中国製品=低品質」という価値観、或いは「問答無用に中国製は嫌だ」という観念。
日本人も随分と殿様になったものだ。何様だ。
随分前に欧米向けにブーツを製造している中国国内の下請け工場で貧しい実家の生活費と弟の学費の為に激務に励む女の子のドキュメンタリーがやっていたが.....
企業・経済・国際関係という観念を抜きにして話したいのだが、消費社会を動かしている一員としてもう少し謙虚な姿勢・態度を示してもいいのではないかと思うんです。



言わずもがな、最も有名なブーツの一つと言っても過言ではない、ドクターマーチンのブーツ。
90年代終わり頃からゼロ年代初頭にかけて本国英国製のマーチンは生産を終了しており、現在はほぼ中国製となっている。(特にホワイト社製のマーチンのタイプは完全に生産終了)
現行の中国やタイ製のマーチンを嫌悪し、古着の「英国製」に拘る日本人は兎に角多い。
「よく英国製の方が形がいいから」と言い出す連中がいますが当然のことながら基本的なディテールは殆ど変わらない。
また「英国製」という響きが格好いいからという理由で英国製マーチンに拘るのであればまだ可愛い。(英国靴が高品質というのは『靴職人』の技術が長けているということであって工場で大量生産されていたマーチンが高品質であった訳ではなく、寧ろ管理が行き届いた中国の工場で生産されている現在の中国製マーチンの仕上がりの方が綺麗であるというのに)
しかし奇妙なアティテュードを英国製マーチンに求める輩の気色悪さといったらもう.....

「ドクターマーチン」の名はそのエアークッションで名高いマーチン・ソールを開発したドイツ人医師、クラウス・マーチンからとられている。初めて製品化されたのは60年代のイギリス。
クラッシュのメンバーが履いていたり、イメージとしては「パンク・ファッション」の範疇で語られることが多いブーツですが70年代後期のパンクの登場以前からイギリスでは労働者階級のアイコンとして愛されていた。
そしてその流れから必然的にスキンヘッドの若者達のマストアイテムに発展していく。
イギリスでスキンヘッズといえば反社会・人種差別主義を掲げる右翼の過激な若者達の事を指し、ネオナチ等もこれに分類される。
彼らのトレードマークが刈り上げた頭、そして白い紐で両翼がぴったり閉じるくらい思い切りきつく結んだ状態(パンク結びとも呼ぶ)の黒のマーチンだった。(何も知らずに外国で白い紐でパンク結びしたマーチンを履いて歩かない方がいいそうです。国によっては場合によってはスキンズと疑われ、いざこざが起きるケースもあったりするらしい)
で、話を戻しますが「英国製」ではなくなったマーチンに対して思想の立場上、イギリスのスキンズが関心を示さなくなったのは言うまでも無い。
それをそのまま外形だけ解釈して「英国製以外のマーチン」を排他する日本人。寧ろ黄色人種は白人スキンズ達の攻撃対象とも成り得るというのに。
これを滑稽と言わずして何という。

ちなみに僕が現在はいている画像の10ホールのマーチンはMade In Chinaである。
これですが去年の暮れに購入したんですが(定番ものとしては少々遅いデビュー)当初殆ど履かなくて最近になって履き出したのである。
と、言うのもマーチンは履き始めは皮が兎に角硬く、暫くは地獄を味わうというのは有名な話ですが


まさかここまで硬いとは思わなかった!


嫌気が差してほっぽりだしていた!


最近は頑張って履いていますが皮が馴染むまでにはまだ時間がかかりそう。
しかしながら皮が既に柔らかくなっている古着を購入するという選択肢ははなからなかった。
というのも僕がそもそも古着嫌いというのもありますがそれ以上にこういうレザーものは履く人・着る人の体系・動作によりその人独自の皺のより方を呈すると考えるからだ。
即ち、自分の自分による自分の為のレザーウェアというものは真っ白の状態から気長に付き合っていくべきものだと個人的には思う。マーチンのように癖のある皮質であれば尚更だ。
そういうものこそ愛着というものが付くし長く付き合っていける。

それにしても最近は街中でよくマーチン見かけるな.....

上記で靴にまつわる少々ぶっそうな側面を書きましたが可愛らしい柄物や様々な形態がリリースされている現在ではファッションの一アクセントとして完全に消化されているこの靴。
ワークブーツでありながら細身の作りである為にゴツいディテールをコンパクトに足元に持っていける為女の子に人気が高い。
特に最近は森ガールのようなユルユルなスタイルがトレンドなので「外しポイント」に持っていくには最適なのだろう。
また、ジャストサイズは細身のパンツにも合うので未だタイトスタイルが主流のメンズにも人気が高い。



今更ながらGorillazのニューアルバムを購入して聴いてみたんですがマジでカスアルバム...... なんじゃこりゃ
特別ファンというわけではなくてDe LaにSnoop、Mos Def、Bobby Womack、Lou Reed、ClashのMick Jones・Paul Simononといった具合にジャンルの垣根を飛び越えたゲスト陣が前二作以上に半端なく豪華(特にFallのMark E Smithが参加しているのは少々驚いた)なのに釣られて買ってみたんですが......
ラインナップ倒れ。
you tubeでもブルース・ウィリスが出演した「Stylo」のPVの再生回数がグングン上がってるそうですが本当にこのアルバムそんな売れてるのかね?
確かにわかりやすい音楽とは言えないほうだがそれ以前に曲が全然良くないよ!
ジャンルに束縛されず、かなりフリーに楽しんでアルバム製作をしたのは伝わってくるんだけども.....(贅沢な遊びだ)
もはやカートゥーンバンドである必要性が感じられない。



GorillazはBlurのデーモン・アルバーンとイラストレーターであるジェイミー・ヒューレットによるプロジェクト。
所謂バーチャル・バンドで「ゴリラズ」というアニメキャラクターによる「架空のバンド」というプロットをベースにしている。
最初のEPだかアルバムが発表されたのは1999年か2000年だったかな?当初は謎のバンドという触れ込みでバックの一切がヴェールに包まれた出だしであった。
Blur(ブラー)と言えば近年ではグレアムを加えて再結成ツアーを敢行したり、映画が公開されたりと何やら再び音楽ファンの話題に上ることも多かったですね。
90年代にはブリットポップを象徴するグループとして全英でOASISと人気を二分したバンドですが歌詞にしても、そのナヨナヨして捻くれたポップセンスにしてもかなり英国臭いバンドであったのでアメリカではグランジを意識したかのような一時期の一部の曲を除けばあまり売れなかった。
が、このゴリラズのプロジェクトはアメリカで大成功を収めた。このことはかなり大きいと思います。

バーチャル・バンドという事でサウンドはポップパンクのようなものを想像してしまうが実際はややアンダーグラウンド的でジャンルのハイブリッドといった感じ。それでいてポップスのトレンドは抜け目なくしっかり抑えているのが人気の秘密だろうか。
遊び心溢れる凝った公式サイトをはじめメディア展開も多彩で良くも悪くも色々な意味でネット世代に対応した先進音楽プロジェクトと言えるかもしれない。


さて、こんばんは。
本日25歳になりました著者です。節目だね。
身の回りでは友人が国家試験に合格したり、別では久々に会ったと思えば彼女付きで「今度俺達入籍するから」と告げられたり。
時間も確実に流れていることを実感するばかりです。



この間久々に銀座の生パスタのお店、「パスフェ」に行ってきました。
オープンも割と新しい方で店内もほぼカウンター席で構成されたこじんまりとしたカジュアルなお店ですがリーズナブルな値段の割に美味しいパスタが味わえます。
日本に数台しか存在しない希少なパスタマシンを使用しているらしくかなりコシのあるパスタ。たしかにこのボテッとした「イタリアの生パスタ」って感じです。



イメージとしてはローマのバールでランチにホイップ付のカフェラテと共に味わうちょっとしたパスタって感じだろうか。
確かに本格的な高級イタリアンのパスタと比べるとカジュアル過ぎるテイストがなくもないんですがこういうお手軽スタイルで食べることができるパスタとしては国内ではかなりハイレベルな方。(生パスタに拘っているようなのでもう少しフェットチーネの種類があればと思うんだけども.....)
上の画像は違いますが断とつで人気という「半熟卵のカルボナーラ」と「渡り蟹のクリームパスタ」は中々。
ランチタイムは特にお得でサラダとコーヒー付きで¥1000~1300程度です。
コリドー通りの近くに来る機会があれば一度は是非。



この間、高校時代の友人達と回転寿司に行ったんですが僕が回転寿司初めてという事に対し

「何処のブルジョワだよw」

という突っ込みが。
と言うかそもそも僕が(日本人であるにも関わらず)生魚があまり好きでないので普段からそれ程寿司を食べないというのもあるんですが。
それにしても彼等とも久々であったが僕の食事中の癖としてモグほっぺになったときに女の子のように「口を手で隠す」といった癖があるんですが

「懐かしいなその癖w」

と これまた壮絶に突っ込まれた。

ふむ....
思えば癖というのは外部から指摘されなければ自覚しないものだな。

こんばんは


この土日はかなり忙しかった......
何かに打ち込んでいたと言うわけではないんですが体がほぼフル稼働していました。

土曜、正午過ぎ

渋谷 BUNKAMURAで開催されているレンピッカ展へ。
(それにしてもBUNKAMURAの展覧会は何ていいますか、大衆的というか分かりやすいものが多いですね。「アート」って響きに弱い学生がよく釣れそう)




タマラ・ド・レンピッカ(Tamara De Lempicka)はポーランド出身のアール・デコを代表する一人として知られる女性画家。
無機質で冷たくも、耽美的でエロティック、現代文明的なダイナミズムに溢れる人物画の画風で著名です。
個人的にこの人の作品についてはそれ程深く詳しい訳ではなく、今までも特に興味を惹かれる対象ではなかったしそれに何より作品以前に画家本人の人物像に対してどうも嫌悪に近い苦手意識があった。
僕がレンピッカに対して抱いていたイメージは自己中心的で無責任に自由奔放(当時のパリの先進的文化人達と日々交際する傍ら、前の旦那との子供はほったらかし)、極端なまでの中央意識、バイセクシャルでナルシスト(確かに美形の持ち主だったのだが自らポーズをとり写真家に自身の姿を撮らせ、来訪者によく見えるようにマンションの自室の玄関前に飾っていた)。
作品そのものについてもダリ等と同じようにやはり商業主義的な印象が拭えない。(で、こういうビジュアル的に分かりやすい絵は大抵アメリカで売れる・人気が高い)
そういう負のイメージもあってこの展覧会はど待ち合わせまでの時間潰し的な感覚で立ち寄ったのだが.....



内容は中々充実したものでした。
特に、<ピンクの服を着たキゼット>を観た時は「ああ、これか!」と。
彼女の作品はやはり実物で見ると迫力が物凄いですね。
キュビスムの流れを汲む、丸めたアルミ板で構築されたような無機質で大胆極まりない人体が画面からはみ出んばかりの躍動を感じさせます。
そして一度見たら忘れないであろう彼女の描く滑面的で異様に鈍く輝いている鋭くもエロティシズムに溢れる「目」。
陳腐な表現ですが彼女の性格と呼応するような、画面から溢れ出す挑発的な肉体的エナジーと言うか。

しかしそれらは二十年代の全盛期の頃に顕著な作風。
世界中探しても纏まったコレクションが存在しないレンピッカの作品がこのように一堂に集まることは珍しいそうですがこうして彼女の作品群を時代を通してみていくと成る程、一人の画家が落ちぶれていく様を実にまざまざと見せ付けられているようだ。色々な意味で中々興味深いものです。
レンピッカは時代の流行・最先端として祭り上げられた芸術家・イラストレーターであったが自身・作品のカラーを反映したかのように、その全盛時代も短く刹那的なものだった。
世界恐慌で自身の絵が売れなくなり、目前に迫りつつあった世界大戦の影響も重なって30年代以降の彼女の作品は次第に時代の不安を反映した「影」が見え隠れするようになる。
次第に自分自身、自身の作品に対するアイデンティティクライシスに陥っていく彼女は極度の鬱状態になり、更に作品はストイックな方向性を示すようになり、画家として忘れ去られた晩年にはもう見てられないほど方向性の喪失・迷走というものが感じられる。
彼女の作品が広く再評価されるようになるのは70年代まで待たなければならない。
彼女は80年にメキシコで無くなっていますが彼女の最晩年の写真を見たとき、20年代のパリで華やかで狂乱とも言える生活を送っていた先進的女性の成れの果てか....  と思ってしまったものだが。
しかし20年代の無機的な表情のタマラの多くの写真を見た後、老後の穏やかに微笑む彼女の一枚の写真が僕的には印象に残った。

ところでこの展覧会、所有者の美術館名・財団名・個人名(匿名有り)等が一点ごとに記されているんですがその欄にジャック・ニコルソンの名前を二、三見ることが出来た。
後に知ったことですが彼はレンピッカの作品のコレクターなのだそうです。
また、マドンナもレンピッカのファンとして有名だとか。



で、
その後グダグダと色々あって11時から久々の一人クラブ。
箱は先週と同じくeleven。Theo Parrishの日だったのでこの夜はどうしても行きたかった。

一人と言うことで.....
ブレーキが完全に止まらなかったというか......

Theoも上機嫌でのプレイ、フロアもかなり盛り上がっていて明け方が近づいてもまるで終演の気配は見えず。
て言うか何処でもダンスフロアが本当に楽しくなるのは人が減り始め、まったり気持ちいいムードが漂い始める明け方からだよな|ω・`)
フロアから離れられず、ようやく翌日11時過ぎ頃になってチャプターの区切り時といった感じでそろそろ引き上げるかと思った矢先......
Donny Hathawayのあの名カヴァーが.....!(Marvin Gayeのあの曲です)
反則だ....  メロウ・グルーヴにテンション最高潮に。
結局外に出たのは正午過ぎでした。照り付ける陽光が眩しい....
ここまで張り付いていたのも久々でした。
お喋りしたあのイカした娘のメアド聞いとけばよかった  と 今更ながら。

その後

12時間以上踊った後でクタクタになった体を引きづりながら(この老体でよく持ったものだ!)自身のちょっとした用事(雑貨屋)、それからホワイトデーのプレゼントを買う目的で吉祥寺に移動。
後者で目星をつけていたのは自身も一度行ってみたかった吉祥寺の有名なケーキ屋さんの一つ。
此処が落とし穴だった........
想像以上に駅から店が遠い+お店大行列。

まあ休日でホワイトデーだから仕方が無いか.......

漸く春が来るかと思えば相変わらず寒さが続く夜、悪天候。

こんばんは


此処の観覧者の人の何人かはあそこのユーザーだと思うけども......
やんごとなき理由(?)で突如日記を削除してしまいましたが53490にて再登録。(ほんと何度目だろう....)
取り敢えずは.....  様子見ですか。




◆最近観た映画


The Mosquito Coast(モスキート・コースト)

1986年


随分と昔にBSか何かの夜の映画劇場で一度見て結構印象に残っていたので是非もう一度観たいと思っていた作品。
主演はハリソン・フォード。監督であるピーター・ウィアーとは「刑事ジョン・ブック」に続くコンビ作。
また、人気・実力を兼ね揃え、当時若手の中で最も将来を期待ながらも後に不幸な最期を迎えたリバー・フェニックスがフォードの息子役として出演しています。
この作品の肝は彼ですね。母や兄弟達と暴走する父との狭間で揺れ動き、苦悩する息子を見事に演じきっています。




原作は未読なんですが東西冷戦の尾を引いていた時代の産物である、ということはよく伝わる。

文明化された現代の資本主義帝国・アメリカを憎み、家族を連れて中南米奥地の未開のジャングルに理想郷としてのコロニーを作ろうとした発明家の男。
あまりに未開の土地、妻や子供達の反発等当初は様々な困難が付き纏ったが次第にジャングルでの開墾生活は軌道に乗り始め、ついには念願であった自身の発明品・巨大製氷機を作ることに成功する。
しかしとある事件を契機に次第に歯車は狂い始め、順調に見えた生活は突如破局を迎える。
そして家族を巻き込み、さらに暴走を続ける父親。

資本主義でも共産主義でもない、(しかしそのどちらの要素からも完璧には独立できなかった)彼が夢見、作り上げようとした小国寡民な個人主義の王国。
そして文明の恩恵である「氷」を持ち込んだが故に結果としてそれは自分達が作り上げた環境を破壊することになるという皮肉。
現代文明を否定した彼であったが結局は自身も根本的にそのレールから外れることは出来ず、自らの一方的なダブルスタンダードに盲目であった事が彼の悲劇ではないだろうか。
無力な個々の集合である理不尽な現代国家、更にはその構成員たる個人の無力に対する個々の自覚を盲目化する宗教・神の存在を否定し、絶対的な個人主義への過信に走ったが故にそれが自然に対する人間の力の愚かな驕りを生んだ。
この作品では「神になろうとした男」、そしてその家族の末路を淡々と描いていく。
シリアスな作品として観るには所々ぬるい箇所も無くは無いですが現代文明に対する警句を含む作品としては十分に存在感がある良作です。

ところで「神になろうとした男」というのは僕の解釈ですが「俺についてくるのか、否か?」という個人主義的テーマ、ジャングルの川という背景から(根本はやはり異質であるとは思うんですが)この作品も同時に連想してしまいます。





AGUIRRE.Der Zone Gottes(アギーレ・神の怒り)

1972年


ヴェルナー・ヘルツォークの代表作にして70年代ニュー・ジャーマン・シネマの金字塔的作品。著者の大好きな作品です。
コッポラの「地獄の黙示録」にインスピレーションを与えた作品としても著名。
この頃のドイツ映画出身監督だと「パリ・テキサス」や「ベルリン天使の詩」等で知られるヴィム・ヴェンダース等は日本でも非常に高い人気がありますがヘルツォークの作品というとそこまで広くは観られていないのではないだろうか。
ちなみにパリ・テキサスに出演していたナスターシャ・キンスキーは本作の主演である怪優、クラウス・キンスキーの娘です。


16世紀、ピサロ率いるスペイン人によりインカ帝国が滅ぼされた後の南米。
先住民の幻の黄金郷、エル・ドラド征服を目指しアマゾン奥地の川を筏で下る遠征隊。
川の氾濫、度重なる原住民の襲撃により煽られる不安、低下していく士気。
仲間を次々と失っていく中で副官アギーレは狂気の淵へと落ちていく。

この作品で特筆すべきはやはりなんと言ってもその圧倒的な重量感・美しさに満ち溢れた映像。
ポポル・ヴーの神秘的で恐ろしさすら感じさせる音楽、そして鳥獣類の泣き声・大自然の営みから発せられる音。一瞬の静寂。
それらが疲労・不安・悲哀・狂気を表した登場人物たちの「表情」のロングショットをバックに静かに流れていく。
兎に角「間」が絶妙な作品です。

茶番劇同然の戴冠式・裁判。裏切り・殺し合い、募る猜疑心。そして欲望が生み出す恐ろしい人間の狂気。
何処までも美しい大自然の中でそれと対比されるかのように淡々と繰り広げられる愚かで醜い「文明社会」のショー。


立ち位置、作品のカラーはまるで違えど自然を前にした『小さな存在に過ぎぬ人間の欺瞞・驕り』というテーマはどちらの作品にも強く感じられます。

それにしてもラストはいつ観ても気味が悪い.....


確か東欧の何処かの歌が原曲だったと思うんですが

「ドナドナ」って有名な物悲しい歌があるじゃないですか。
英語圏を初め、ここ日本でも多くのミュージシャンが翻訳・カバーをしていますが昔からあの曲が嫌いだったりする。
何故かと言えば小学生の頃に給食前の音楽の時間に散々歌わされたからからだ。
あの曲、マジ食欲無くすんで止めてほしいんですよ。
今でもそう思うがあの曲が食用家畜の悲惨さを歌ったベジタリアン・ソングに見えて仕方が無い。
Smithsの「Meat Is Murder」とタメ張る。

そんなことを知人に話していたら

「え...  何  あの子牛食肉にされるの前提なの(笑)」

って反応されたんですが

違うの?

子牛の状態で市場に売られるなんて完全に肉だろ。
オーストリア人だったらシュニッツェルにしてしまうぞ。



さて三月だ

こんばんは




西麻布の伝説のクラブ、「SPACE LAB YELLOW」の跡地に出来たElevenに漸く訪問。
Francois Kが来ていた先月のオープニング・パーティーには是非行きたかったんですが予定が合わなかった......
詳しい経緯はよくわからないですが入っていた建物の取り壊しで閉鎖が決まったものの、取り壊し自体が見送りになった為に「Eleven」として再スタートすることになったそうです。
バックの経営陣の方はどうなっているのだろう? しかしスタッフも見覚えがあるというか、Yellow時代からの人が殆どだったように思う。



て、言うか内装の雰囲気、DJ陣、ゲストのブッキング傾向も良くも悪くもYellowのまま。
隣で踊っている女の子の顔が見えない薄暗いフロア、これぞ音箱といった感じのまったりした雰囲気、DJブース前方のあの邪魔極まりない柱も「昔のYellow」。これはこれでやはり嬉しい。
同じ大箱でも天井高くてレーザーがやたら高性能、メジャー・肩書きのいい外タレゲストで下品な子供とミーハーをホイホイしてる某箱とはえらい違いだ。

ラインナップも若干の貧弱さがあるし不満が残る点が無いでもないですが.....
(Yellow時代のあの黄色いライトは流石に無くなっていたが.....  あの一見お断りな雰囲気の扉だけじゃ知らない人はクラブの出入り口だとわからないですね)

フロアが今一つ元気が無いように感じられてしまったのもありますがまだオープンから一ヶ月も経っていないこの箱。長い目で見ていくので頑張ってほしいと思う。
(そういえばRob Smithまた来るのか)




霧雨が降っていたが外に出た頃はもう薄明るい。
明け方のスタバ某店舗の三階フロアは我々が独占。
しかしこの後ソファで爆睡してしまい、起きないからと言う理由で置き去りにされてしまった著者|ω・`)



本日は地元近所のインド料理屋でランチ。
本当はそれ程食欲がなかったのでインド料理なんて食べるつもりもなかったのだが........店の前を通りかかる時にプレートをちらっと覗いてみるとランチの日替わりカレーがバターチキンだったので思わず入店してしまった。
なんか.... 昼にインド料理食べたばかりだというのに今はと言えばサフランライス添えのチキンティッカマサラが食べたい気分だ。
いいかね、ロンドンで美味いものを食べたかったらフィッシュ&チップスなどではなく、まず チキンティッカマサラだ。間違いない。


こんばんは


特に眠い時などに多いですがブログを執筆していると変換ミスを初め文章の間違いというものがどうしても出てしまう時がある。
後から修正すればいい話なんですがどうにも後味が悪く感じられてしまう。
『不注意』という簡単なものが元凶な訳ですが。特に一個下の記事は酷かった.....



さて

早いもので二月も本日で最終。

振り返ってみれば今月は音楽の分野で個人的に注目リリースが相次いだ。
SADE、Massive Attackといった極めて「寡作」なミュージシャンの新譜が目立ったのは特徴的であったか。
特に驚いたのはこのブログでも彼については一度記事にしたことがありましたが詩人であり孤高のブラック・ミュージシャン、Gil Scott-Heronの15年ぶり(?)にもなるまさかの新作リリース。



「I'm New Here」


ロンドンのインディーレーベル、XLからのリリース。オーナーであるリチャード・ラッセルが直接コンタクトをとってアルバム製作までこぎつけたそうです。
更に驚いたのはその内容。彼のトレードマークであるポエトリー・リーディングのスタイルはこれまで通りであるが音そのものは以前のジャズファンク路線とは遠くかけ離れている。
ディープなキーボード、重低音、打ち込みも目立ち、ダブ・ステップ等に象徴されるような近年のイギリスのアンダーグラウンドなクラブミュージックの影響大です。彼の深遠な詩世界に呼応するようなひたすらダウナーなサウンド。
言わずもがなの伝説のブルースマン、Robert Johnsonの「Me And The Devil」のあまりに大胆なカバーからびっくりである。ギルの声は渋みを増し、ブルージーで素敵なのだがサウンドの方は対照的にアンバランスなまでにモダンで現代的。
と、思えばSmogの曲であるタイトル曲、「I'm New Here」をアコースティック・カバー。(これまた渋くて痺れた......)

かなり評価に「困る」作品。
明確に「歌もの」といえる曲も無く、かなりアヴァンギャルドな仕上がりである思います。しかしこのアルバム、イギリスではリリース後、結構チャートの上位にまで上っていたのだ。本当に音楽感度のレベルが高い国民だ.....
これまでのファンを良くも悪くも裏切る(と言うかこれは予想外)かなり挑戦的な内容であるとは思う が、彼のような「我が道を行く」スタイルを貫き通している人こそ「アーティスト」と呼ぶに相応しいのだ。
今では「アーティスト」という呼称も随分安っぽくなりましたが。(ipodの画面見る度に嫌になる)

ところで僕はCDのフォーマットで購入したんですが弾き語りライブ録音が収録されたボーナスディスクがプラスされている限定二枚組LPも存在する。
まだ一部では手に入るようだし今になってこちらも買っておこうかと思ってます。



◆最近観た映画


The Getaway (ゲッタウェイ)

1972年


スティーヴ・マックィーン、アリ・マッグロー主演。
かなり前に一度見たんですが大部分忘却していたとはいえ所々印象に残っていた作品。
バイオレンス映画の巨匠、サム・ペキンパーの代表作の一つとして挙げられる作品だが.....  何だろう。
「ワイルドバンチ」「わらの犬」「ガルシアの首」等と比較するとあまりペキンパーの作品っていうイメージが沸かない。
ペキンパーの作品はどれも兎に角主人公のキャラが立っていて(粗野でハードボイルド)「格好いい」のだがこの作品のドク・マッコイは完全に「マックィーン」のイメージのまんまなのだが。
おまけに強過ぎ、敵役のギャング弱過ぎ。ラストのホテルでの銃撃戦シーンは失笑。完全に「大胆不敵で無敵」のマックィーンの俺様映画である。
事実マックィーンは脚本と音楽担当に難癖を付け、前者を原作者ジム・トンプソンからウォルター・ヒルに、後者をジェリー・フィールディングからクインシー・ジョーンズに交代させている。
以上のような事例からこの作品の主導権は実際マックィーンに握られており、ペキンパー自身は半ば雇われ監督に徹していたのかもしれない。
いや、まあマックィーンのドクは勿論格好良い事には変わりないんですが。今のハリウッドにはマックィーンみたいな骨太・硬派で華のある男優ってほんといないですね。
ジョニー・デップみたいなリアルのキャラが薄めで草食系な俳優がもてはやされている現状を考えれば「時代感覚の差」ってやつを感じてしまわないこともないが。



ちなみにマックィーンとマッグローは今作で競演後、結婚しているんですが彼女の何処がそこまで魅力的だったのか謎.....
スターオーラが無いというか、劇中でも存在感が薄く、主人公の妻という設定であるのにまったく共感できないキャラだった。
寧ろ裏切り者ルディを演じたアル・レッティエリの変人イカレ具合の方が余程印象に残る。(おまけに態度の割にやたらと情けなく弱い彼)


刑務所に収監されている囚人・マッコイはギャングの首領・ベニオンと妻キャロルを通して裏取引をし、銀行強盗を請け負うことを条件に釈放される。
妻、そしてベニオン側が用意した二人の助っ人と共に強盗作戦は実行されるが......
裏切りに次ぐ裏切りの連続により事件は誰も予想しなかったであろう成り行きに。
状況の不利を察したマッコイは強盗で奪った金を抱え妻と共に逃走。裏切り者である助っ人ルディ、警察、そしてベニオンの弟に率いられたギャング達から追跡されることになる。
と、  まあいかにもな70年代調のクライムアクション。
前述のように「マックィーンの映画」な印象も濃いですが娯楽作品として十分に及第点、ハラハラする展開の連続に飽きることなく最期まで魅入る。このB級なテイストもこの時代ならではで僕は凄く好きです。
スローモーション、ストップモーションなどの技巧に定評のあるペキンパーですがこの作品でも冒頭のクレジットの回想部分からゾクゾクさせられる。(こんなにシンプルでそっけないのになんて格好いい映像なんだろう....)
ペキンパーも「戦争のはらわた」の頃になるとスローモーションも意味も無くやり過ぎな感じがしてセンスの鈍化を感じてしまったが....  まあそれは別の話。
ちなみに本国アメリカでは現在でもそれ程人気のある監督とは言えない方ですが(生前はハリウッドに敵意剥き出しの姿勢だった)日本やヨーロッパの映画ファンからは根強い人気を持つ監督です。
それにウォルター・ヒルにクインシーという人選も個人的に悪くないと思う。
ウォルター・ヒルはこのゲッタウェイでのハードな脚本で一躍脚光を浴び、以降バイオレンス系映画の監督・脚本家として名を馳せていきます。
もっとも「48時間」みたいな面白い良作があるかと思えば「ウォリアーズ」みたいな意味わかんないB級品があったり、近年は理解不能な映画をプロデュースしていたりとかなり「マニア向け」なキャリアを持つ彼ですが。(まあ各々の映画の愛し方というか好みの問題)
クインシー・ジョーンズは言わずもがな、ジャズ・R&B・ソウルといったブラックミュージック全般に留まらずアメリカのPOPミュージック界の歴史において絶大な影響力を持ってきた大プロデューサー。
今作でもハードで男臭い雰囲気に合った、黒くて非常に格好良いスコアを提供しています。スーパーフライ(カーティス・メイフィールド)といいシャフト(アイザック・ヘイズ)といい、70年代のクライムアクション、ギャング映画は本当に格好良い音楽が多い。

ところで余談になりますが

クインシーの長大なキャリアの中で最も巨大な成功を収めた仕事といえば言うまでも無く、マイケル・ジャクソンのソロ・プロデュースである。




「Off The Wall」 1979年


マネージャーであった父親から独立後の彼のソロ第一作であり、マイケルとクインシーのコンビ初作。
同時に真の意味で「黒かった」彼の最後の作品かもしれない。
彼のソロ作は枚数を重ねるごとに音楽性も自身の肌のように「白く」なっていく.....
事実ソウル・ミュージックのガイド本でも紹介される彼の作品は「Off The Wall」までの事が多いしピーター・バラカン氏も自身の著作の中でこの作品以降の彼は音楽的に下降路線を辿ったと発言している。
それは少し言い過ぎじゃないかな... と思ったりしますが確かに僕個人としても彼のソロ作で一番好きなアルバムと言えばやはり即答で「Off The Wall」という事になる。
純粋に「お洒落で格好いい」から。全編に漂うこの熱くなり過ぎないクールでメロウな感じだよ..... ディスコ期以降のファンクサウンドの一つの完成系と言っても過言で無いと思います。
確かに「Beat It」「Thriller」「Billie Jean」「Smooth Criminal」「Bad」のような誰もが聞いたことがある曲は入っていないし後のキャリアを考えると地味な作品かもしれないがアルバムとしての統一感は断トツ、去年以降、マイケルに興味を持った人にベストの他に薦めるアルバムがあるとすれば迷うことなくこれです。
マイケルが大成した経緯にはその音楽センス、エンターテイナーとしての資質、圧倒的なパフォーマンス力・カリスマ性、革命とも呼ばれた大掛かりなPV製作に代表されるようなMTVの台頭という時代の歯車とマッチしたそのプロモーション姿勢、他ジャンルのミュージシャンとの大胆な競演・クロスオーヴァー等様々な要素が挙げられますが巨大なプロモーション無しに純粋に「音楽」として最も成功したのはこの作品ではないだろうか。
次作、「Thriller」があまりに化け物染みた成功を収めたせいで忘れられがちだがこの作品の発表時のセールスも相当なものだったのである。



携帯ニュースで知りましたがカーリング女子、スイスに負けてしまったみたいですね。
「前向きに残り二勝を目指す」と言っても最強チームのスウェーデンとの試合が残っているし現実的に見れば準決勝進出は絶望的か。
カーリングというとゲートボールみたいで「地味」っていう人が多いですが確かに肉体的な競技ではないし五輪的かと問われれば疑問符も残るが(冬季競技の例に漏れず、兎に角金のかかるスポーツなので貧乏国は出来ない)冬季競技の中ではかなり技巧的に難易度が高い部類に入るスポーツではないだろうか。
チーム戦であること、頭脳戦を強いられるスポーツであるというのもありますがなんと言っても報道画面だと今一つ分かりにくいがあの氷のリンクの長さである。
あの距離で五輪レベルのあれだけ正確・精密なショットを放つというのは相当な鍛錬が必要なはずです。
スポーツ選手といえばピークの時期が早く・短いものだが欧米のカーリングチームを見ているとやや年配のスーパープレイヤーが一人はいたりする。
この競技において強い選手というはそれだけいくつもの修羅場を潜り抜けた「熟練」が特に要求されるのだろう。


こんにちは

二月も終盤。
相変わらず寒くて行動が鈍る.....




数年前の堀江ライブドア事件、朝青龍、ついこの間の國母の空港での服装の件にしてもそうですが


ネット上でも随分と多く散見された『擁護派』の言い分。
つまり、スケープゴートを寄ってたかって叩くメディア・大衆の姿勢を「偏狭である」等として多数派の思考傾向、しいては日本社会を否定・非難する彼等の傾向ですが。
「潜在的・盲目的」であれ日本を咎めることを目的としていることも相まってあの偽善的な態度から極左や売国奴、反日日本人の主張と同等の思考ベクトル・臭いを感じてしまって少々怖いのだが。
単なる「無知の結果」であればいいんですがね。
上辺の正論を掲げた集団叩きを「日本的なるもの」として非難しているつもりなんだろうけど

いや

個人的に言わせてもらえば「被害者」を祭り上げ、既成概念の否定・軽視を正当化するその歪んだイディオロギーこそ『良心的現代日本人』特有だ。
叩きなんて何処の国でもあるだろうに。まあスノボのカントリーマアム君の件は少々騒ぎ過ぎではあったが......



代表選手の一員として選ばれた以上、義務として公式の服装についての着用規定を守るのは当然。彼はそれを怠った。
スノーボーダーとしての彼個人のアイデンティティ・立場伝々、「自分はどうとも思わない」という下らない個人主観.......
個人的な一意見として留まっていたのであればまだしも詭弁の域を出ない屁理屈を捏ねて擁護してた連中の頭の中はどうなっていたのだろう。
属性的に生まれながらの朝日なのか。

著者が爆睡している間にモーグル女子決勝は終わってしまっていた模様。
五輪嫌い(正確にはあの偽善ムード、各放送局の報道姿勢、コンサート・スペクタクルショー化した陳腐な演出の開会式・閉会式が嫌いなんですが)の著者ではあるが.......
そうか  上村愛子メダルは無理だったか。 長野の頃から彼女が後一歩届かない所を見てたんで今回こそはメダル取らしてあげたい気持ちもあったんですが。


こんばんは

ヴァレンタインの昨日、知人の子の演劇を観に行ってたんですがこれまたインディーズな小規模劇団のステージだったので当然劇場のシアターもライブハウスを少し広くした程度の大きさ。
この手の規模の演劇は初めてだったので少しわくわくものだったのだ、が 頭痛持ちで換気が悪い環境が苦手な著者はクラブやライブハウス行くときは頭痛薬が必需品なんですがこの日は忘れてしまっていた。
おかげで案の定、劇の途中から頭痛に見舞われてしまって出る頃には気分も悪くなり手洗いで激しい嘔吐.........
その後、その日の予定を全て切り上げて帰宅して寝込んでました|ω・`) (寝ている間に届いたメールには「チョコどうすんだ」と  嗚呼.......)
劇そのものは結構シュールな展開の現代劇だったんですが  あれだ、その子はある意味劇中のきびきびしたキャラがリアルの延長線上だったので上手だったけども何処と無くウケてしまったんですが。(発音も目茶はっきり)

そう言えば熊の着ぐるみ着込んで団栗ボリボリ噛みながら
わたしはクマだから!\(゚∀゚)/
ってやってた子が妙に可愛かった。(後に中身の子も出てきたが中身も可愛かった)

sat.jpeg

オバマ風に言えば

『 Yes, You Can ! 』

か。

アメリカの教育界では此処数十年、十代の子供達に対して「君はやれば出来る」的なポジティブ志向を植え込むような教育を推進していたそうですが結局その方針は子供達の知的ハングリー精神を奪う結果しか齎さなかった。
「どうせ後でやれば出来るから」「俺はまだ本気出してないだけ」という慢性的思考に犯された「盲目的ナルシスト」の子供を量産し、学校成績どころか知的レベルで現在深刻な自体を招いてしまっている様です。
何せアメリカの子供の中には

「ローマ法王はイギリスのパリにいる」

「日本は中国の属国」(これは年々現実味を帯びてきていて少々笑えないが)

と、大真面目に言い出すとんでもない連中が現実にいるらしい。


不明確で不定形な自己満足が何も齎さないことは一般論としてわかりきったことではあるが.....
この歳になるとそれを避けるべきものと意識しつつも、虚無的な自己満足が心的には居心地の良い効果を齎すという事実を認めざるを得なくなってきた。
脳内麻薬が分泌されて蟠りから開放され、ナルシシズム(といっても広義にとってもらいたいですが)に浸っている時というのは気持ちの良いものある.......  どのような場合においても。

オバマがあそこまで支持されたのも皆脳内麻薬分泌させられてたからですかね

『 Yes, We Can ! 』
か。

こんばんは
前記事でHMVについて少々辛口な事を吐いてしまったがよく思うのは.......
あの店員のユニフォーム(ブラック地にピンクのライン)だけは可愛いと思います。

どうでもいいって?

そうですか|ω・`)


毎冬思う事ですが街中のカフェの中が暑い。いくらなんでも暖房効き過ぎだ。
本当に皆そこまで寒がっている訳でもあるまい........
それにしても以前から思う事ですが本質的には東京もカフェ不毛と言わざるを得ないというか。
個人的な趣味・嗜好、「カフェに対して求めているものの相違」と言い捨てられてしまうかもしれないですが
表面上の小洒落たコンセプトばかりが目立ってしまっている類の店が多過ぎると言えばいいのだろうか、落ち着いて居座れるカフェというのが本当にこの街には無いです。
いい加減 ただカラーが濃くてお洒落なだけのカフェに対して皆食傷気味になってるとかないですか?
「今時のカフェ特集」みたいなものを雑誌等でみる度、これが本当に現代人のニーズなんだろうか と時折思う。(それに合わせる事がいかなる場合においても良しとは思わないが)

ところでスタバの日本上陸によって日本でも都会的なカフェ文化というものがすっかり根付いた現在ではありますが最近になって(或いは以前から?)自分がその手のカフェ文化に染まり過ぎているという事をはっきり自覚するようになった。
簡単に言うと「手軽なスタイルのカフェの無い都会生活」が考えられない。「空白時間」を埋め合わせる要素としてカフェタイムというのが無くてはならない体質になってしまった。
所謂喫茶店しか存在していなかった以前には人はどうやって街の中で生きていたのだろうと思ってしまう程に。

現実的な観点で見れば単純な話、経済的な問題です。
実際カフェにかける金というのが食費以上に馬鹿にならない。
漠然と何故外国資本のカフェチェーンにこれだけ金をばら撒いているのだろう・何故そこまで利用する必然性があるのか、と日々思ってはいるのだが..........
慢性的感覚というのは恐ろしい。

自分のカフェ癖に対して少し真剣に見つめ直してみようと思っている次第です。

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基本的にPOPSは黒くてダウナー、それでいてメローなものに滅法弱い。
J DillaやPete Rock、Nellee Hooperの作る音とか大好きです。
タウンウォークの最中にコンスタントによく聴く音楽もSlum VillageやPharcyde、Soul II Soul、Smith&Mightyとか。
そう言えば去年はTrojanのコンピとかやたら外で聴いてましたが。

それにしても最近は携帯ゲーム機も携帯音楽プレーヤーも本当に多機能で驚かされる。
ipod touchなんてレベルになると音楽もほぼファッションだな.....  と思ってしまうが。ていうか第一の疑問符として外出中にそこまで暇になるものだろうか?



二年程前に国内での売上・収益減少に伴い、HMVが日本撤退をするかもしれないという事が報道されましたがそれもどうやら現実味を帯びてきた。
年々品揃え・サービスが悪くなっていたとはいえ流石に新宿高島屋店が閉店になるとは思ってもみなかったので。(壁面に見られたHMVの文字も何時の間にか消えてます)
渋谷店も店内リニューアルといっても正直あからさまに品揃えが悪くなった。
それに内装がショボくなったような......  HMVは少しシックな感じが好きだったのに。
まあ確かにメガストアとしてはタワレコの方が売方のアプローチが格段に上手いですがタワレコの一人勝ち(と言ってもこの御時世、今は何処も相当苦しいだろうとは思うが)は絶対に良くないと思うし頑張ってほしいと思う。
て言うか物によっては輸入盤はHMVの方が安いケースも結構あるので無くなられては困る。

無くなるといえば新宿のIn The Roomも閉店だそうですね。
残念だな、あそこはよく利用してたんですが。

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そういえば

そんな暇してられない時期だというのに一度寝付くと意思に反して爆睡してしまうというか、最近睡眠欲が酷いです。確実に朝弱くなってきている。
一応「健康」ということにはなるのだろうか 十時間くらい寝れてしまいそうだ。

老化かな  どうしようか

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寒い季節のロシヤ文学 4

ドストエフスキー  「悪霊」


ロシア文学界のみならず、19世紀文学を代表する巨匠・フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。
言わずもがな、日本人にとっても古くから親しまれてきた外国の作家の一人です。
ドストエフスキーの作品というとその特徴の一つとして特に後期の大長編群に顕著ですが独特の宗教色が挙げられる。
ドストエフスキーの作品に苦手意識を覚える人はやはりこの点が大きいのではないでしょうか。
しかし、にも拘らず現在においても異文化の日本人にとっても彼の作品は「外国文学」の代名詞と言っても依存の無い程の存在であり続け、絶大な一般支持を得ている。
これは彼の作品が単なる「説教臭い物語」でないことの何よりの証明でもあるし、そもそもその「宗教的な要素」というのも近代の原理主義的な側面を露骨に示すような単純で安直な代物ではない。

「悪霊」はドストエフスキー後期の代表作の一つ。
最近、「罪と罰」を現代日本を舞台にアレンジした落合尚之作の漫画が話題になっていますが今風の漫画としてアレンジするとしたら画的に最も映えるのは間違いなくこの作品でしょう。
ドストエフスキーの作品はどれも登場人物が濃いがこの作品の登場人物達は特に「濃い」です。正に曲者揃い。

容姿端麗・明晰な頭脳と並外れた体力を持ち、同時に悪魔的な感化力・カリスマ性、絶望的なまでに虚無的な人格を持つ男・主人公であるニコライ・スタヴローギン。(この要素で腐女子が飛びつかない訳が無い)

ニコライを崇拝し彼を伝説上の「イワン皇子」として祭り上げようとする「革命組織」のリーダー、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキー。

ピョートルの組織のメンバーでありながらも思想の相反から脱退を表明。ロシア人こそが人類を救済する唯一の神の体得者でありやがては国民が神となるであろうというロシア・メシアニズムを説くシャートフ。

子供を愛する優しい心を持ちながらも、完全に当人にとって至高の自由とは「自殺」であり、その不服従の我意を決行・証明することにより「人が神となる」と説く狂信的人神思想・無神論に憑りつかれたキリーロフ。

ピョートルの父であり元大学教授、元家庭教師であった繋がりからスタヴローギン家に居候する旧世代のリベラリスト、ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー。

ニコライの母にして社交界への復帰を望み、居候のステパン氏と愛憎劇を繰り広げる裕福で勝気な地主ワルワーラ婦人。

と言った具合に..........
(ツルゲーネフがモデルと言われるカルマジーノフもこれまた滑稽な描かれ方をするが.........)

彼の諸作の中でも非常に難解な部類の作品であるとよく言われる。
実際かなり難解だ。解釈も多様で現在でも体系化された定説的論評などほぼ存在しない。
しかしドストエフスキーの長編の中ではかなり「動」が目立つ作品であるし(前半はややダラダラしているが後半、醜悪な茶番劇同然の「祭り」の幕開け、街の火事、動き出すピョートル率いる「組織」 と、 物語は畳み掛けるように展開していく)決して読みにくい作品ではない。
ひたすらヘヴィーな「カラマーゾフの兄弟」等に比べれば余程読みやすいです。
ただ、内容が兎に角複雑で難解。

物語が難解なのは登場人物のキャラクター・ポジションが非常に「思想」として象徴的であること、主人公が誰であるのか分かりづらいこと(語り手がステパン氏の友人である「私」であることも混乱の要因)、主人公たるニコライ・スタヴローギンのキャラクターが謎めいている事、物語中では最期まで説明・語られることも無く、謎のままに中途半端にされてしまっている箇所がいくつかあることなども確かにありますがやはり物語を読み解く上で間違いなく重要な章である「スタヴローギンの告白」が本編とは別個の、独立した章として存在している事実が大きいような気がします。
これはどういうことかというと「スタヴローギンの告白」は本来、本編の収まるべき一部であった訳ですが「少女陵辱」というあまりにショッキングなテーマが生々しいタッチで書かれた内容であった為、悪霊が連載されていた新聞側では掲載を拒否。
止むを得ず本編から削除された上で後半の構成は大幅に修正されるという複雑な経緯を含んでいる。
その為、「スタヴローギンの告白」は長らく幻の章となっていた訳でこの原稿が発見されたのは20世紀に入ってからのことである。
前述の通り、この章はあくまで本編とは切り離された章であることには違いないのですがニコライの虚無的人格を指し示す非常に重要な箇所であり、尚且つチホン神父とニコライの鬼気迫る赤肌かな対話はその圧倒的な緊張感からいってもドストエフスキーの作り上げた文章の中でも最高峰のものの一つと評されています。


文化的なものであれ、体制的なものであれ、あらゆる形にせよ存在する西欧諸国に対するコンプレックス、そこから必然的に生じるアイデンティティの模索はロシア文学のテーマにも非常に深い影響を与えている。
ドストエフスキーの作品において西欧の無神論を初めとする新思想に対する危機意識はよく見られるものですがこの作品では兎に角それが生々しく直球的です。ソ連時代には革命を中傷する悪書と見られていたのも実に自然な話だ。
物語は19世紀中期、ロシアで実際に起こった秘密結社内部での同志殺害・処刑事件、所謂 『ネチャーエフ事件』 に着想を得て書かれた。
タイトルの「悪霊」とは新約聖書におけるルカ福音書・第八章 三二ー三六節からとられている。
即ち、人から出でた悪霊が豚の群に憑りつき、崖から湖に飛び込み悉く溺れ死ぬ  という箇所。
西欧から流れ来る無神論や革命思想・ニヒリズムを「悪霊」にみたて、彼等は無神論者に憑りつき溺れ死に、やがてメシアたるロシアは癒えるだろう  と  言うものである。

しかし思想文学「悪霊」は更にずっと複雑。

ニコライ・スタヴローギンはそのあまりに絶望的な人格から 「悪魔」 等と評されることも多いですがこの作品での彼のポジションは正しく「ロシア」の姿そのもの、またその悲劇性、或いは危険性の象徴に思える。正確に言えば悪霊に憑りつかれた人間達によって醜く祭り上げられた「空虚なロシア・神を失ったロシア」のアイデンティティ喪失に苦しむ姿。(ちなみにスタヴローギンはロシアの無政府主義・無神論者、バクーニンがモデルと言われる)
悪霊に憑りつかれたる豚、「神を失った人間」、革命家ピョートルはイワン皇子・即ち「メシアとしてのロシア=スタヴローギン」を祭り上げようとする。(レーニンによる社会主義革命の暗示的予言ではないか!)
しかし繕われたニコライはメシアなどではなく、贋物の自惚れに過ぎなかった。ニコライと秘密の婚約を交わした白痴の女・マリヤは「あんたは皇子じゃない」と見抜き、言い切る。
それどころかニコライはその内部から悪霊を媒介し、シャートフとキリーロフという象徴的人格の人間を作り出した。
そしてニコライが決定的に悲劇であったのは彼が理性はあるが一切の思想は持てず、何処までも虚無的で無関心な人格であったこと、即ちあらゆる意味で究極的な「ニヒリズム」の権化そのものであったこと。
それ故に彼は新世代の「革命思想」に共鳴・追従することも出来ず、あの悲劇的なラストへと繋がっていくのである。

ステパン氏は病に咽びながらも悪霊に憑りつかれたる人間達(疑いようも無く息子ピョートルはネチャーエフである)にも偉大なる思想が宿されていると説く。
愛、崇高で永遠なる信仰を失おうとしているロシアを嘆き、ただ、「知らぬ為」に破滅へと突き進む彼等に「もう一度会いたい」と漏らす。
この作品が真に難解であるのは農奴開放後の混沌としたロシアの姿を最も象徴的に表している点にあると思う。
しかし、作品全体に流れる国家・それを構成する人間への生命賛歌を見たときにやはりこの作品に対してもドストエフスキーの諸作に共通に流れる一つのテーマを感じます。


..................................

それにしてもやるせないというか本当に救いようの無い物語だ。
登場人物の殆どが精神的・肉体的に破滅します。

シャートフの妹・ダーリヤと福音書売りのソフィヤの存在ぐらいしか救いが無いです。


ところで前述の「罪と罰」の漫画版。

ygs.jpg

去年知人に借りて読んでみたんですが面白かったので結局出てるところまで全巻揃えてしまった。
物語のエッセンスとしてドストエフスキーを原作としているものの、単なる現代アレンジではなくまったく独立した作品として昇華しています。
非常に丁寧な作風。 お勧めです。
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1985/04/03
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