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過去も未来も無い、意識すべきはただこの現在の瞬間のみ
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そう言えば............  以前話題に出したことだが。

先月くらいだけど大き過ぎず、小さ過ぎずで実に調度いいサイズのゼラニカが買えました。
乾燥を好む植物なので冬は絶水。楽です。
ただ問題点なんですが........
未だに部屋の中で自分の満足のいくセッティング場所がはっきり定まらない。
コーディネートバランスが.....  思ったより難しい|ω・)

今年も残り少ないですがこんばんは。
手の肌荒れが激しくなってきたので色々と困ってます。
冬場、顔が乾燥する友人や首が荒れる友人がいるが僕は兎に角手・特に指が荒れるのである。
この手でチェロなんて弾いたら間違いなくザックリいくと思う。


◆◆◆

珍しく地元で夕飯食べてきました。

いや、もう寒くてなんか作る気も起きなかったし本日は完全一人の夜だったので。
ここ数年で自宅周辺にちょっと洒落たカフェやダイニング・バー、パブやらが色々と出来てたんですが実はほぼノーマーク状態。
今回行った店もそんな中の一つ。勿論初めて。

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よくある日本人の手によるフレンチ・イタリアンのニューウェーブ系ダイニング。
小さくて少し目立たない店なんですがこれぞまさに隠れ家的穴場と言うべきか。

美味しかった!
調子乗って少し出費し過ぎてしまったのが痛かったが!

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カップルの姿は殆ど無く、女性客がやや多めでお姉さんが友達同士で来ているような姿が客層としてはよく見られた。
カジュアルでありつつ、カジュアル過ぎずって雰囲気のスタイルなので女性客が気軽に来るのにはいいのかもしれない。
食前酒には冷静スープっぽい付け合せが付く。

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前菜・イベリコ豚。

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渡り蟹のトマトクリームのパスタ。
日本人好みな感じにやや柔らかめに茹でてある。ソースともよく絡んでいたしこれはこれで凄く美味しいです。
あと見た目品は無いが..........   殻や足に付いた残り味噌や身を夢中で啜っていた。(美味しいじゃん)
この店は全体的に素材に凝っているようで本当に旬のいいものを使っているといった感じだった。
牡蠣にすれば良かったかな...........

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マッシュポテトの上に添えられた牛肉のポワレ。
ポテトとソースが絡んだものが肉によく合う。
ほんのり赤みが綺麗に残っていて肉の焼き加減も好みでした。
これは理屈抜きに美味しかった。

休日・月曜にはやってないようですがランチタイムはもう少しリーズナブルっぽいので年明けにまた行ってみようかと思っている|ω・)
あ、不満を述べる点があるとすれば...........
珈琲が薄くて不味い。
何を隠そう、モロに自動で抽出していた。そりゃ駄目だよ。
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イギリスのモダン・デザイン界の雄、アラン・フレッチャーが60年代にデザインしたクラム・ボックス。Made In Italy
「貝」をモチーフにしたものでMomaの永久展示品にも指定されている非常に有名なデザインです。

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小物入れなんですが耐熱素材が用いられているので灰皿などにも使用可能。
いかにもな60年代レトロフューチャーなデザインでそのまま飾るだけでもインテリアとしてかなりの存在感があります。
いたってシンプルながらも実用性とデザイン性が高次元で両立されているという点がやはり末永く愛されている理由でしょうか。
これ取り扱っている所が少ないうえに上下別カラーで別売というのが中々無いのではあるが...........
「青」のカラーを新しく揃えました|ω・)


さて...............
クリスマスでしたね。
このお祭りムードは日本人の無宗教感を露呈させている顕著な例だ等と批判されたりもしますが別に悪いとは思わないよ。
一部の敬虔なクリスチャンを除けば宗教観抜きに騒いでいるのは現在の信仰心が薄れた欧米人も同様だろう。それにクリスマスが非キリスト教圏の土壌で特化したのは別に日本に限った話ではないし、では日本の土着の行事が伝統に従って現在広く敬われているかといえばそういうこともない。
現代日本人が「良くも悪くも」多種多様な文化をフラットな視点で捉えることが出来る現代的な柔軟性を保ってはいるが、いざという時には自国を自国たらしめている伝統文化を「隠れ蓑・バリケード」として利用する保守的な側面も合わせ持っているとすればだ。
それこそ都合のいいダブルスタンダードの視点というもので根本的に浅はかと言うべきではないかな。ラストサムライがこの国でヒットした時は本当に情けなかったぞ。普段から矛盾に満ちたハリウッド映画に慣れ親しんでいる癖に今更「これは日本じゃない」等と言う批判の声はもっと情けなかったが。
そして言うまでも無く消費を促進させているという点やイルミネーションスポットの観光地化等でかなりの経済効果もある訳で。
搾取? それは詭弁というものだ。形式的なクリスマスを過ごせないと気の済まない自らのミーハー気質を呪うべきである。
マクドやスタバの新製品を頼まずにはいられないのと何ら変わらない。

そういえば今年も例によって街中のあちらこちらでキリスト教団体が布教活動ご苦労様ですって感じではあったが。
初詣の時もよくいますよね彼等。成田山で見かけた時は流石に引いてしまった。
それにしても「処女が身篭った・ヌッ殺された教祖様は全人類の罪を背負われたのだ」とか本気で主張しているキリスト教徒って<実に冷静に考えれば>危ないよ。

ところで昔、十二使徒を覚えるのにレオナルドの「最後の晩餐」をよく使ったものである。
いくぞ。(今何も見てないですよ。マジで)
左から バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ヨハネ、ナイフを持って裏切り者を探しているペテロ、銀貨の入った袋を握っているユダ。(ちなみに裏切り者ユダを使徒の中に紛れさせて描いたのはレオナルドが最初である。以前の画家は非聖人であるユダを使徒の列から外れた位置に描いた)
中央にイエス、指を突き上げるトマス、驚愕する大ヤコブ、自らの潔白を悲痛な表情で訴えるフィリポ、議論するマタイ、タダイ、シモンの三人。

これで合ってるかな..........?
たまに忘れるんですがその度に記憶力を喚起しようと思い起こす。
下らないとよく言われるが|ω・)

<この時点で「最後の晩餐」の写真を確認。  ヨ...........ヨハネの位置が違う............>

 

何に関しても、「休息」或いは言い方を変えて「休止」「活動停止」「遮断」「断絶」等と極端な表現をしてしまってもいいがそういういった類のものが時々あるというのはそれ自体が「存在し続けなくてはならない」という常況において極めてヘルシーなことだと思うのである|ω・)
考えてみれば当たり前なことではあるがライトは不要なときは消す、常に光を発していなければならないという理屈はないしそれはそれそのものにとっても好ましいことではない。
それと同じようなことは広義に、あらゆるものにおいて言える。対人関係においてさえ。

言いたいことは簡単で   世の中無駄なことがあまりに多過ぎると思うのである。真面目な話。
「義務」という便利な表現で片付けられてしまうような類のものも多いが本当に自にとっても他にとっても本質的に意義のあるものがどれ程その中に含まれているであろうか。
「意味のない錆びついた形式」は常に時間・労力の無益な浪費である。無駄なことをするぐらいであれば何もしない方がいい。これは「では何か他の事をすべきである」という事ではないということを付け加えておきたい。
不要なことは次々と切り捨てるべきであるし、生活環境・様式はもっとタイトでミニマムであるべきなのだ。

自分にどれ程不要な要素が纏わりついているか、或いは省くべき無駄な部位が存在しているか、といったことについて整理を目的として冷静に分析・考察してみても結局は否定しようのない矛盾にぶち当たる。
それが我ながら腹立たしい。

Still Ill...............................

取り合えず眠い

そういえば雨降りましたよね。コケかけました。
レザーソールのブーツは辛いぜ|ω・)

◆◆◆

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先週くらいにカーニバルでHARIBOやKatjesのグミを数種類纏め買いしたので真夜中とかデスクの前の袋につい手が伸びてしまいます。
そのせいであろうか、ここ数日食生活が少々乱れてて不健康路線直行中なんですが。
ドイツのグミってやたらヘヴィーだから結構胃に溜まるんで一袋完食してしまうと時には翌日の昼過ぎまで凭れてしまったりで中々腹が減らないです。(僕が元々やや小食気味なのもあるが)

食生活がジャンク気味とか終わっている|ω・)

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休日前の新宿の夜は異様なまでに人が多い。

幹事の知人が予約を入れておいたというアジアンキッチンは何故か手違いで予約が入っていませんでしたということで(取れて無かっただけか?)入店出来ずに結局居酒屋求めてブラブラ徘徊する羽目に。
やむを得なくまさか不味いシェーキーズに落ち着こうとは思わなかったが。

昼近いですがおはよう。
毎朝毎朝寒さが身に染みて腰痛と共に爺は布団から出るのが辛いアルよ|ω・)

最近はと言えば邦楽のスタンダード曲をハウスとかエレポップでカバーしたバブルガムなコンピとか結構あるじゃないですか。
スイーツ(笑)とかサブカルヲタが飛びつきそうなやつ。
あの手の企画物に対してもうどうしようもなく嫌悪感が隠せないのだがどうしたらいいでしょうか。

◆◆◆


ところでこの間は気を紛らわせようと(荒んだ精神の応急処置)久々に都庁の展望台に上ってみました。
逆効果でしたね実際。
かと言って結果的にそれは『東京』の街並みの醜さを上空から再確認したに過ぎない。

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Quo vadis, Domine? <クォ・ヴァディス・ドミネ?>

(主よ、何処へ?)

           ペテロ


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最近読んだ本◆

クォ・ヴァディス (クオ・ワディス)


ポーランドの作家、シェンキェーヴィチの長編歴史小説。1896年刊。
シェンキェーヴィチはナショナリズムを鼓舞する立場から故国ポーランドの人物・事件に関する歴史小説をいくつか残していますがやはり世界的に最もよく知られ、各国語に翻訳されている作品と言えばこの「クォ・ヴァディス」な訳です。
僕は未見ですが50年代にハリウッドで大作史劇として映画化されており、「十戒」や「ベン・ハー」といった誰もが知っている戦後スペクタクル史劇の先駆け的存在として観られている模様。

帝政ローマ、暴君ネロの時代を背景にローマの若き軍団将校・ウィニキウスとキリスト教徒として育てられた北方蛮族の王女・リギアの恋をネロやペトロニウス、使徒ペテロ・パウロ等の実在の人物達や悪徳の哲学者キロン、リギアの怪力の従者ウルススのような架空の人物を絡めて展開していく物語。
生粋のローマ軍人であるウィニキウスとアウルス家の養女であり新興の異教徒であるリギア。二人の関係を通して伝統的なヘレニズム精神とヘブライズム(此処では即ちキリスト教精神)の拮抗・摩擦、そしてその中から次第にイエスの教えに心を開いていくウィニキウスの姿を描いた前半。
ローマの炎上、そしてやがて始まるキリスト教徒への大迫害により登場人物たちの運命が流転していく後半。
長編でありながらサスペンスフルでスピーディーな展開は最後まで一時も飽きさせない。
決してお堅い文学作品ではない、魅力的な登場人物達に飾られた純粋な「物語」としての面白みに溢れた作品。
それでいて古代ローマの細かな風俗考証もまったく手抜きがない。

シェンキェーヴィチは列強諸国に蹂躙された当時の故国ポーランド・同胞達を「迫害されるキリスト教徒」の姿と重ね合わせてこのクォ・ヴァディスを書いたと言われています。
この作品に対する典型的評価。

狂気の都ローマにおけるキリストが教える「愛と真理」の勝利という一見なんとも臭いテーマだが.........
もっと普遍的なものというべきか、心に迷いを持った人間達が精神の拠り所としての真理を見出し、感情に変化を来たして行く様を超現実的な奇跡等を通してでは無く、あくまで自然に描いていく。
押し付けがましい宗教臭さは個人的には思った程感じなかった。
(しかしネロの 「暴君の中の暴君」 「俗物の支配者」 的描き方は明らかに露骨なキリスト教徒の視点だな.....とは思いますが)

そしてそれ故に、キリストの真理の前に「排他されるべきもの」とはまた別の見地で捉えられたヘレニズム的な美学・価値観の具象とも言うべき描き方をされたペトロニウスのポジションが本作の中でもまた異色な風合いを醸している。
時として本作の真の主人公は彼ではないかと思う程に。



日が沈むのが早い。
夏にははっきり見えていたはずの景色も今はすぐに闇に沈む。
街並みがブルーに染まっていくのが切ない。

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カフェの外のテラス席(天井在り。柵在り)でコートに包まってアイスコーヒー飲んで待ってたら

「 馬鹿?ていうか馬鹿なの?;・д・) 」と、突っ込まれまくった訳ですが。
明らかに暖房効き過ぎで蒸し暑い上に女子高生が煩い(君達はマックに行くべきだ)店内よりは澄んだ冬の外の空気に浸れる方が良いかもしれないと思うのはある意味必然ではないかね。
そしてすぐ冷めてしまうホットドリンクよりもアイスドリンクの方が場合によってはいい(かもしれない)ではないか。
と、言うのはあまり合理的な思考を持ち合わせていない僕の考え方が反映され過ぎているのかもしれないが|ω・)
ああ、それとわざわざ外に陣取ったのは「観察」という目的も兼ねていた訳ですがそれについて詳しく述べようとすると爆弾発言になりかねない危険をはらんでigahkds:phdsafjsadflakjflsjasd;laf:dafp@l


ところで安藤美姫の衣装センスって明らかに一人だけズレてると思うの僕だけですかね。

何て言うか

品が無い

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確かレオ・レオニの絵本で小魚が集まって大きい魚を追い払う話があったと思うのだが。
仲間が皆赤いのに一匹だけ黒いやつがいてそれが

「そうだ、僕が目になろう!」とか言いだすんだと思うんですが(そうだったかな?)

今冷静に考えてみると    二匹いないと意味無いじゃんみたいな。

「論理性」とは縁の無い(それは中には生まれつきえらく論理的な子供もいるだろうが)純粋無垢な子供は二次元とか三次元の概念をそれ程普段の生活の中で意識してないから(もちろん区別はしているだろうが)そんなに違和感も感じてない訳じゃないですか。
そういう無駄なことに囚われない直感的主観と言えばいいのかな?そういったものに時として特異な価値を感じることがある。

特に創造性とかそういった分野では

◆◆◆

一昨日、当日券が余っているようだったのでNew Mastersoundsのライブに行ってきたんですが正直ダレたので途中で抜けてきてしまった。
フロントのカッティング・ギター、ねちっこく絡むオルガン、リズム隊のグリグリ揺さぶりかけるようなグル-ヴはもう神業と言っていいぐらいで演奏技術は非常に高いんですが..........
て言うかですね、Baker Brothersを始めとして近年の白人ファンク・グループは何て言っていいのかな.......  「小奇麗でお上品」過ぎてどうも好きになれない。
60年代ファンクを踊れるグルーヴとしてコピー・再現する「典型的優等生サウンド」と表現するのは強引だろうか。
泥臭さ、尖った部分が今一つ感じられなくて自分が求めるFUNKとどうもズレを感じてしまう。

そういえば今回の来日ではDionne Charlesがボーカルでフィーチャーされてましたがこの人は歌唱力は言うまでも無く、観客煽るの上手いですね。
「もっと声だせコラ」とでも言わんばかりに歌うの止めて耳突き出したかと思えば耳を劈くばかりのシャウト飛ばしたり。
ところでちゃんと聞いてないのではっきり言えないのだが「Baby Charles」名義のソロ作の方がNMでの参加曲よりまだ良いと思うのだが。(Arctic Monkeysのあのヒットナンバーを何の違和感もなしにFUNKとしてカバーしています)
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他人を意識しすぎる時に限って何か別のものに注意を削がれがちになる。
或いはある種の現実逃避とでも言うべきか意図的に注意を其方にそらしている。
肝心な時に自分の内面に集中出来ない。そんなにお前は自分自身に自信が無いのかと。

こんなことでは駄目だと常日頃思っているというのに|ω・)
正直を言えば書いている僕がそんな事を言ってちゃ世話ないぜって話ですがこのブログのその内容の支離滅裂な方向性もある側面ではそんな心理状態を表しているかも。

にしても凄い雨でしたね昨日は。
丁度そのピークの時間帯、カフェの窓際で一人爆睡してたんですがなんか派手に雷轟いてなかっただろうか?
ウトウトしてたんであんま記憶に残ってないけど。


◆◆

来週のAlex Paterson × Thomas FehlmannのDJ凄く行きたいけど12日か.........(The Orb好きな人とかいますか?)
週末忙しい雰囲気なんで無理っぽいな.......
去年辺りからサブカル周辺では何かと話題になっているchim↑pom(チンポム)というパフォーマンス・グループ。
♀(しかもギャル)一人と♂五人組だったかな?

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鴉の模型?と拡声器?使って渋谷の上空に鴉集めたり
カンボジアで撤去した対人地雷で自分の高級ブランドバッグ吹っ飛ばしたり
捕獲した鼠を剥製にしてピカチュウ風に改造したり
まあ何やら「前衛性」なんて事を飛び越えて意味不明なことをやってる方々。


この間彼等のインタビューをちょっと見てみたんですが一言。

「要は中二病なんですか?」

言ってることを通して伝わってくる問題・目的意識みたいなものが適当過ぎてこの人たちの頭の中でもまるで纏ってないんじゃなかろうか。
「そのパフォーマンスを通して何を伝えようとしているか?」という点があまりに希薄。
アートアートと無駄に叫べばそれが最終的にそれが「アート」になるってやつかな?

現代におけるアートとかアーティストなんて実に卑しい言葉だと個人的に思しその軽々しい用途についてもまた卑しさを覚える。
自らそんな用語を用い、自分のアイデンティティの一端として、或いは単に付加価値として飾り立てる事のみを目的としている連中なんて卑しい以外の何者でもない。(一般的に彷彿されるような芸術活動意外でも。例えば歌手・バンド)
もっとも現在においては「アート」というと表現手法を総括するような意味合いとしてとてつもなく広大なフィールドをバックに語られるので一概には言えないかもしれないが「無責任に量産されているもの」という意識だけは自分の中で常にある。
そのもっともらしい外皮の論理装甲を引き剥がして丸裸にしてやればどんなものが残ると言うんだ。
世の中は便器に自分のサインを記して自らの作品としたデュシャンの焼き増しを求めてはいないのだよ|ω・)

しかしこのchim↑pomに対しては一点のみ、好意的に捉える事ができる点がないでもない。
前述の見方をそのまま変えると.......    即ち自分達の創作活動と称するものを無駄に芸術用語で飾り立てようとしたり、作為的に奥行きを演出しようとしたりするようなそういう小細工な点が無いところ。
「面白そうだからやっている」 「見てくれる人も面白いと思ってくれる」 
要はそんなところなんじゃないかな。
アートアート言わなくなればもう少しましになる気がする。

しかしそこでふと思ったが
軽薄なこと極まりなく、身近な生活に密着し単純でわかりやすい大衆の単純な感覚によって大量に消費されていくものが現代におけるアートの有り方だとすれば、所謂「自称アーティスト連中」の立ち位置もまんざらでもないかなと少し思ったり。
かつて消費社会のシンボルをシルクスクリーンで作品として量産したウォーホルはやはり『アーティスト』なのである|ω・)

◆◆◆

以前使っていたブログ環境(っぽいもの?まあ付属サービスなんですが)が完全に新システムに移行したみたいなのでtest的に新たに登録してみた。
使いにくい......  というか見にくい..........

取り合えずデザインがシンプルなところや携帯更新が容易な点は相変わらず利点だとは思っているのだが|ω・)
どう使うかな
もう 「疲れた・眠い・だるい」 は禁句にしようと思います( ・×・)ノ

「禁句」とまではいかなくても無駄な乱用を控える.......と言うべきだろうか。
こんな疲れた疲れた言ってるようじゃ本気で精神的にも老け込みそうだ。
何が原因なのか知らないが最近やたら疲れが溜まってるのは事実だったりする。喋り慣れた相手でなくてはもうまともな会話が成立たない程に。

しかし疲れて眠いのを言い訳にして対人コミュニケーションをいい加減に片付けてしまっているのもまた内心事実だったりする。
あえて「疲れた」という表現を用いるとすれば「愛想笑いに疲れた」とでも言うべきかな?

むやみやたらに愛想笑いするのが義務とも思わないが。
それは形式上であったり、或いは(表面的には)理不尽に満ちた酷い世の中を少しでもましに生きようとして必死に足掻いている結果であってそれが顔に形として出たものであったり。




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ところで昨日の事ですが
呪われてるのか相性悪いのか知らないけど女の子とイタリア料理食べに行くと〔必ず〕会話ハズします。
どうすればいいでしょうか。

イタメシこえー

いや、しかし昨日の夜は本当に尋常じゃない程疲れが溜まっていたので正直それを言い訳にしたかったりするのが..........

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そう言えばティラミスの上にかかってる粉ってエスプレッソ使ったりもするんですね。
知らなかった。
新宿のタワレコにて。

この間出たスミスの二枚組みベストを手に持ってレジに並ぶ女子高生(少し可愛い)がいるのをみて衝動で釣られ買いしそうになった。
スミスか.........
聞く音楽の趣味も随分と変わったけどもスミスのアルバムだけは未だに手放さずに全部持ってたりします。
はっきり言ってスミスの音楽聞くと切なくなって泣きたい気分になってくるんで(時に。いや、時にだよ)頻繁に聞こうとは思わないしリアで他人にも「実は割と好きなグループ」とは中々言えないんですが。(勘違いされそうで......)
正直な話こんな鬱音楽聞かない方が健全なのかもしれないし大好きと言うわけでもないが時に無性に聞きたくなる、なんだかんだで大切に手元に置いておきたい音楽。そんな存在。

ところでスミスの曲というと女性がカバーするとやたらと格好いい。
それは元々モリッシーの詞に中性的な側面が(モリッシーの声や歌い方、パフォーマンスにも起因しているのかもしれないが)あるからだろうか。
「There Is a Light」(「ダブルデッカーに轢かれて君の傍で共に死ねるのはなんて素敵な死に様なんだろう」のフレーズで有名な曲)をクールにカバー出来る雰囲気を持った女性シンガーが今の日本の音楽シーンから出てきてほしいものなんですがまったく見当たらないですね。
何ていうか「夢見る健康的な良い子ちゃん」なキャラ・歌詞には皆飽き飽きしてるとかないですか?
かと言って奇抜・下品な歌詞をわざとらしく歌う某ミュージシャンもいかがなものかと思うが。

そういえば意外に思ったけどその昔MステをばっくれたT●Tuが「How Soon is Now?」をカバーしてたな......

※余談ではありますが当時あの事件の後、メディアに煽られてT●Tuバッシングが巻き起こりましたが個人的に心の中では「やるなボルシチ娘!」って思ってました。
あの番組の無意味なニコニコムード大嫌いなんで。


◆◆◆

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The Smiths (ザ・スミス)

1982年、英・マンチェスターにて作詞・Voのモリッシー、作曲・Gのジョニー・マーを中心に結成。
80年代を代表するイギリスのバンドの一つにしてラフ・トレードの看板。KINKSと並び最も英国的なロックバンドと言われる。
人生の絶望や傷だらけの青春をストレートに歌い上げるモリッシー、それを叙情的に盛り上げるマーの耽美的で悲哀溢れるシンプルなギターサウンド。
社会的弱者、社会不適合者、惨めな失恋者などのアウトサイダー達を主人公にしたモリッシーの切なくも文学性・ブラックユーモアに溢れた優しい歌詞はサッチャー政権下の不況で喘ぐイギリスの若者達の絶大な支持を得る。

OASISのノエル・ギャラガー、Suedeのブレット・アンダーソン、Radioheadのトム・ヨーク、Belle and Sebastianのスチュアート・マードックを初めとして彼等の影響を公言するUKミュージシャンは後を絶たない。
待ち合わせ時間までスタバで寛いでいたもう日が沈んでいた午後のことである。
やたら背の小さい年齢不詳黒縁眼鏡のコロボックル君が唐突に目の前に現れたかと思えば

「◇※■%●△/◎◆」

思わず「はぁ?」となってしまった。

いや、本気で何を言ってるのかわからなかったのである。
無愛想にカップをテーブルの上に置くとさっさと退散してしまった。
クランベリーなんたらかんたらというやつかな?
試食ですのでどうぞ的なものだというのはまあ見ればわかる。

ただあの情景を思い返すだけで冗談抜きに吹き出してしまう。
兎に角「間」が最高だったんです要は。

文章では表現しにくいんですが..........

突如気配も無く現れ「◇※■%●△/◎◆」と回復する訳でもない謎の呪文を無表情で唱えて去っていくコロボックル。
テーブルの上に試食。

いや.......  もういいや........


ところでスタバで水くださいって言うと大抵使い捨ての小さい紙カップで出されるんですが本日はプラカップで出されました。しかもかなりしっかりした作りの。
あまりエコ的ではないと言わざるを得ない。

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◆◆◆

今年も本格的に寒くなってきたかと思えば街中でよく見かけるは相変わらずモンクレールのダウン。
兎に角これでもかとモンクレール。貴様等グースを絶滅させる気か|ω・)

と、言うか世界中でもこんなにモンクレールやデュベティカ大好きなの日本人くらいでしょ。
雑誌の煽動に流されてるのか知らないが気が付けば近年は異様なプレミアムダウンブーム。
(余談ではあるが僕は基本的に雑誌って嫌いですが特にファッション誌は吐き気を催す程嫌いです)

最近よく見かけるといえばあのムートンブーツってやつですか。
なんであんな変なものが流行るのか理解に苦しむ。(男まで履いてるのがいるのはどういうことか)
特に激太短足の子が履いてるとその醜悪なシルエットが観るに耐えない。

少なくとも日本人が履くようなものではないと思うんだがどうだろう。
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もし出来るんだったら行ってみようかなとか思ってたけど榎本加奈子のスープカレー屋って結局東京には出店しないんですか。
今のところ仙台と函館にしか店舗ないみたいだけど。
画像は御茶ノ水のスープカレー屋にて。

ところで榎本加奈子って小学生のときに見たあの某ドラマの印象が強すぎてどうしても「ドS嬢」なイメージが抜け無かったんですが近年観た某インディー邦画ではすっかり「おっとりお姉さん」になってたので何と言うかイメージギャップが......
て、言うかこの人まだ二十代か.........

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いかに与えられた「時間」を無駄に費やし、「現在」それ自体を大事に思っていないかということは結局のところ自分が一番良くわかっている。
過去に執着している訳でもなく未来に漠然とした楽観的観測を抱いている訳でもない。
ただ、節度を通り越した余裕に入り浸っていることを自覚している。
やるべきこはやっているつもりではいるがそれが本心にかなっていることであるかという意識・確信が今に至っても持てないとは何ともブラックジョークな。

あらゆる事象・物事その他。実に小さなつまらないことを気を奪われ、またそれらのことにより常日頃イライラしている。
今現在、その瞬間において既に避けることができ得る物に対して無駄に気をかけ、避けられないものに対して無駄に気を乱すとは愚鈍以外の何者でもない。わかっているようで意識出来ない。
今日?リッドを外してシナモン入れて口に注ごうとしたところリッドがカップにちゃんとはまっていなかったようで思いっきり服に零して取り乱しかけました。
街頭バンドの下手糞ボーカルの稀に見る陳腐な愛のポエムの前に無益に憎悪を覚える。
その前に「だったら立ち止まるなよ」みたいな。




普遍的物質を記憶せよ。そのごく小さな一部分が君なのだ。
また普遍的な時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬間が君に割り当てられているのだ。
さらに運命を記憶せよ。そのどんな小さな部分が君であることか。

            マルクス・アウレリウス・アントニヌス



万物は長い時の中で河の如く絶えず流動する。
自然の理性に従って死すべき運命にある自らの存在、また世の中に存在する全てのもの(ストア派的に言えば善にも悪にも属さぬ中間的なもの)はかりそめに過ぎない。
という哲人皇帝マルクスの言葉であるが

このようなものの中で身に起こったことに対して気を散らしたり小さな不平・不満を漏らす事・「現在」を理性に従って善く生きようとしないことがいかに愚かなことであるか  ということです|ω・)



ところで休日ってやつは無駄に人多くてカフェは入れないわ新種のインフルエンザウイルスの感染の危険があるわで|ω・)

ああ、それと平日バイキングが無い

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最近観た映画◆

「ウィッカーマン」  The Wicker Man

1973年 英


行方不明の少女を探すため孤島・サマーアイル島にやってきた敬虔なキリスト教徒であるハウイー警部。
聞き込み調査を始めるも島民・実の母親までもが口を閉ざし、何かを隠しているかのような素振りを見せる。
やがてハウイーは島の得体の知れない原始的宗教の存在が事件の背後にあることに気付き始める。

所謂B級映画ですが70年代を代表するカルト・ホラーとして有名な作品。
2006年にニコラス・ケイジ主演でリメイクされているみたいですが....  観ていないのでそちらの方はよくわからない。
DVDがずっと廃盤状態であったのものの、漸く再発ということで観ることが出来たわけなんですが(と、言うか買っておいて観るのを忘れていた)取り合えず感想を述べると..........

うん、正直「衝撃の」ラストは読めてしまった。

それは単にこの映画のフォロワー的映画が多くてそうした作品の一つを過去に一度観ている事に起因しているのか........

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しかしこの作品も「この時代」だから作れたものであることは間違いない。
少しボケたような画質、「儀式」に携わる裸の少女達、闇夜に交わる島民達。全編に漂うエロティックでサイケデリックな雰囲気。
フラワームーブメント(60年代のヒッピーカルチャー)の残り香とも言うべきドラッギーな空気に満ちていることがこの作品で最も印象に残る点であったりする。

そんな「エロス」を特色としたサマーアイル島の宗教に特徴付けられるようなヒッピー的要素、またスコットランド民謡・ケルト音楽をベースとしたポール・ジョヴァンニの音楽に代表されるような牧歌・トラッド的要素、そして素人が作ったような少し荒い作り。
それらの要素が混ざりあってこの映画のなんとも表現しにくい(類例を持ち出せない)異様な不気味さを演出している。
この作品が多くの映画人(やマニア)を引き付けてやまない最大のポイントはそこに凝縮されると個人的には思う。

そしてなんと言っても美しくも残酷で印象的なラスト。(ネタバレになってしまうので多くは語れないのが歯痒い)一度観たら絶対忘れないであろうシーンの一つと言い切れる。
「保守的な宗教に染まった島民達」 と 「敬虔なクリスチャンであるハウイー警部」の描写のカットバック。
本当に「カルト宗教」なのはどちらであるのか?なんてことを少し考えてしまったり。


それと..........

クリストファー・リーが演じるサマーアイル卿の存在感は特筆すべきものがある。
この人ってほんと一癖も二癖もある奇人な役柄が様になる。典型的な「マニア受け俳優」


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取り合えず今一番欲しいルーチェプランのデスクライト。六万円。
イタリアン・デザイナーズインテリアは兎に角値が張る。
今すぐ買えないこともないんですが........  少し考えてしまう。
デスクライトなんてそう買い換えるものでもないんでちゃんとしたの買いたいというのはやはりあるんですが。
この「BERENICE」(ベレニーチェ)と呼ばれるスタンドライトはルーチェプラン社のカタログの中でも人気の高いモデルでスタイリッシュな見た目はさることながら、動きの良い細いアーム・小型の台座という実に機能的で使いやすい側面も備えています。
ただ細部の部品は細かく、作りはデリケートなので衝撃には脆そう........



十一月も半ばを過ぎ、今年も残り少なくなってきましたが毎年寒くなってくると好きな季節なので無意味にテンションが上がってくるというのに今年はそんなことも無い。
焦燥感も無く、気分の上がり下がりが激しい訳でもなく、かと言って特別無気力という訳でもない。(と、自分では思っている)
精神活動が一種の休止モードに入りかけている、または意識的にそう求めていると言えばそうだろうか。
気分転換的なものもこれといってなく、(身体年齢的に)なんかもう歳なんでクラブ行こうなんて気も起こらないです。

それよりも全てを忘れて冬眠したい|ω・)

習性として冬眠できる動物が羨ましい

何故か溜まっていた疲労が朝から噴出してしまってベッドから起き上がることもままならなかった引き篭もりDAY。
老体なんだから仕方ないだろうと言い訳程度に言い聞かせている|ω・)
スピーカーからは朝から音楽が垂れ流し状態・部屋にはRain Forestのお香の香りが充満し過ぎで頭痛を催す。嗚呼.........

取り合えず今から知人と会うのでこの記事を投稿し終わる頃には外に出ます。
(貴重な一日が意図せずに適当に過ぎ去ってしまった後には「後悔」とはまた違う実に奇妙な感覚が残る)

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昨日の夜は友人と代々木のカンボジア料理店に行ってきました。
ここら辺界隈ではそこそこ有名なアンコール・ワットという老舗。
値段もそこまで高くなくて量もそこそこ大目でお得なので昼にはたまに利用させてもらってます。
店の雰囲気はずばりアジアの大衆食堂。
アジアン・インテリアに囲まれたリゾート感覚溢れるお洒落なレストランなんて今では普通だが飾りっ気のないこの店はかなり「リアル」な雰囲気を持っている。

夜の時間帯はあまり利用したことが無かったんですが今回は三人で来て一人二千円のコース。(ドリンク料金別)

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鶏肉のサラダと定番の生春巻き

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蟹や海老の身が入ったビーフン。柔らかくて美味しい。

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インドシナ風ハンペン?とミニ春巻きみたいなもの。ビールのつまみに丁度いい。

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個人的にこれが一番美味しかった。魚介類で作られたの餅のようなもの。凄く柔らかい。

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豚肉とキャベツ、もやし等の野菜炒め。オーソドックスな味。

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骨付き豚肉でだしをとったスープ。割とさっぱりしていて骨にこびり付いた肉もホロホロになるまで煮込んであって美味しい。

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最後の一品が一人づつフォーかチャーハンを選べるようになってるんですが フォー×1 チャーハン×2 で頼んだのに何故かフォー×2 チャーハン×1で出てきた.........
僕はチャーハンで頼んでたんですがどちらでもよかったというのもあってフォーを食べることに。
フォーというとベトナムの名物麺料理ですが似たようなものはインドシナ全体で広く食べられている様子。
スープは油っこいですが味付けがクドくないのでいつ食べてもさっぱりした印象。

これだけ食べるともうかなり満腹。
「追加オーダーは?」と店主のがめつそうだが気のいいおっちゃん。  いや....  もう無理です........
しかしまだ皿に僅かながら残っているのにガンガン下げてしまうのは何とも.........


ちなみにこの店の主人一家はポル・ポト政権時代の動乱から逃れてきた元難民の方らしい。
この店もカンボジアが混乱の時代を迎えていた80年代初頭から営業している。
店内には「アンコール・ワット」というカンボジア人のアイデンティティの象徴ともいうべきものが描かれ、また店名として掲げられている。
祖国から遠く離れたこの地で、当時どういう思いを込めてこの店を営業していたのか。
ほかの団体客のオーダーを取るおっちゃんの背中を見ながらそんなことをふと思ってしまった。

◆◆

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追記:

サザンテラスのややフライング気味のイルミネーション。
全員一致の「ケーキが食べたい」という理由でまさか新宿髙島屋まで歩くことになろうとは............
今月のドーナツ・プラントのパンプキンクリームのやつが美味い。
買ったはいいけど食べるとこがなかったからシアトルズベストの店内に持ち込んで食べてたとか|ω・)
ドーナツ・プラントは所謂「カフェ」の形式をとってない店舗が比較的多いのが難点かなと個人的には思う。
コーヒーとか何気美味しい方なのに。

ところであの手のアメリカン・タイプのべったりコーティングして味付けしたドーナツは苦手という人もいるかもしれないが僕は好きです。
激甘党なんで|ω・)


こんばんは

記事修正のつもりが間違えて前記事消してしまいました。
せっかく実に久しぶりの方がコメントくれていたのに............

◆◆

昼以降の空き時間、友人に連れられてお勧めという新宿の「エラワン」っていうタイ料理店のバイキングに行ってきました。

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歌舞伎町辺りになると名店に混じってアンダーグラウンドな怪しいタイ料理屋がポツポツあったりするのだが...........
靖国通りにこんな店があるとは知らなかった。
タイ料理ということでやはり女性人気が圧倒的で店内の客の九割方は女性客だったと思います。
照明・インテリアをはじめ内装もアジアンリゾートを意識したと思われる少し洒落たスタイル。

バイキングの値段の方は千円ちょっとで正直この内容ではかなりリーズナブルな方。
グリーンカレーやカオッパ、ビーフン、豚肉の辛味炒め、完全セルフサービス形式のタイラーメンをはじめタイの大衆屋台料理的なものが食べ放題。
デザートの種類もこの手の店にしては多いほうで、欲を言えばカレーの種類がもう少し多い方が良かったかも。

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↑欲張り過ぎて取り過ぎた図

そういえば最近池袋のメコンに行ってないな.........
トム・ヤム・クンが無性に食べたかったり。
物事を時間をかけてゆっくりと、自分なりに考え、吟味することの重要性に今更ながら改めて気付かされている。
何故人間が生きているうえで「焦る必要性」というものが生じてしまうのだろう。
実に無駄であるし焦ることでしか得られない対価はその「短い時間分の価値しかない」というのが持論。

わかりやすい例を挙げるとすればそうだな、中高生の定期テスト前の一夜漬けの勉強。

悠長といわれようがマイペースといわれようがもう少し余裕があってもいいじゃないか。そう思う。

こんばんは。

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蛍光灯の強い白色光が正直苦手なので部屋の照明は専らフロアライトに頼っているんですが愛用していたスタンドタイプのフロアライトが二ヶ月ほど前にちょったした事情でポックリいってしまったので暫くの間、メインライトが存在しない状態が続いていた。
なので今回新しく買った画像の三連ライトのタイプ。

先代のものが五連だったのでスペックダウンかと思いきや一つ一つのライトの光の強さが今回のものの方が強いので(勿論強度は調整可)全体的に見て以前より部屋が明るくなった感じですね。
あとライト部分のみでなく、アーム部分も自在に動くので即座に部屋のどの部分をも容易に照らせる。(前のは動きがそれ程良くなかった......)
構造そのものに無駄がなく、本当によく考えられたデザインだと思う。外見も洒落てるしかなり便利です。長く使えそう。

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ところでチュニジア料理食べたい人とかいませんか|ω・)

ねえ?
先月、とある古い友人(現在国試対策の予備校に通っているという)から久々にメールが来て今度予定が合えば会おうということになっていた。
午後の夕刻に一人少し時間が空いたのでメールでこれから渋谷か代々木あたりで会おうかってメール送ってみたんですが結局今日は無理と返事が来たのだが..........

その返事とやらがやたら可愛い絵文字・顔文字満載のファンシーな文体で   「え。。。。て言うか君そういうキャラだったっけ。。。。。。。?」

と   ふと軽い衝撃に震えた秋らしい静かな午後|ω・)

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Nudieの今期モデルの新しいデニムを買った。細身系のデニムだと此処かSUPERFINEかWhyredのものが好きです。
此処のジーンズはデニム生地の質もいいし形・色合いも綺麗。そして何よりイタリア製の癖に値段が非常にリーズナブル。
ヨーロッパでまず人気に火がついたスウェーデンの新興ジーンズブランドであるNudieですが日本においては数年前まではエリミとかほんとうに一部のセレクトショップでのみの取り扱いであったというのに何時の間にかオンリーショップも出来て何処でも普通に見かけるようになった。
そういえばこの間デパートのエスカレーターで美脚足長のお姉さんがNudie履いてるの見かけて目茶惹かれたんですが|ω・)
国内ではまだメジャーではないが一応レディースラインあるのにあえてNステッチってとこがいいじゃないか。(レディースサイズなんて何処で見つけたんだろう?と気になってしまったが)

「自分だけのジーンズを育てる」というのがブランドコンセプトでもあるのでやたら色落ちに拘る愛好者が多いようですが僕は此処のリジッド(ノンウォッシュデニム)は持って無いので何とも言えないんですが友人などから聞くところによるとただ履くだけでは一般に言われるほどそんなに色落ちしないそうです。
ただ、他のものと比べても履きこんでいく内に皺など非常にいい感じなくたびれ方をすると個人的には思う。

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ところで「Oscar Dark Worn」(過去のモデル)をGrim Timで再発してくれないかと最近では思っている|ω・)

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