忍者ブログ
過去も未来も無い、意識すべきはただこの現在の瞬間のみ
1. 2. 3. 4. 5. 6. 7.
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

iqu.jpg

寒い季節のロシヤ文学 3

プーシキン  「大尉の娘」


近代ロシア文学の父とも称される大文豪、A.C.プーシキンを抜きにしてロシア文学を語ることなど到底出来ない話であることは言うまでも無い。
彼の創始した文体・文語の影響を受けていないロシアの作家はほぼ皆無とすら言われます。
と......言ってもやはり詩は原語で味わう以外にその本質を楽しむ術は無い。
日本人からしてみれば当然ながら彼の詩は今ひとつ馴染みの薄いものとなってしまっているし、プーシキン自体の知名度も一般的にそこまで高いとは言えない。否、「プーシキン」の名は知っていても作品そのものは読んだ事の無いという人が兎に角多い気がする。
また、そもそもロシア文学に関する翻訳・研究が進んでいるはずのこの日本においてもプーシキンの翻訳というとやはり数が少ない気がします。
彼の散文小説は基本的にそこまで大長編も無い上に比較的読みやすく、ロシア文学が苦手という人にも割とお勧めなんですが。

プーシキンの小説といえばなんといってもチャイコフスキーのオペラ化でも知られている「エヴゲニー・オネーギン」が有名ですが(特にタチヤーナの姿はロシア文学のヒロイン像の一つの原点として後の作家に与えた影響大)訳の問題もあると思いますがプーシキン本人の仰々しい語り口が少々つっかかる人もいるかもしれない。
と、言うかオネーギンはそもそも詩小説として書かれたものなのでやはりその文章の本質(つまりは韻)を味わうためには原文を読むしかないのかもしれない。

そんな背景もあり、プーシキンを読むにあたる初めの一冊として挙げたいのはやはりこの「大尉の娘」であったりする。
書き上げられたのは決闘により死亡する数ヶ月前、彼の最晩年の作品です。
18世紀、エカテリーナ二世の治世に起こったプガチョフの乱を題材に主人公ピョートルの愛と冒険(......て言い方をすると少々ディズニーっぽくなってしまうか)を描いた一種の歴史小説です。
貴族の家に生まれたピョートル・アンドレーイチ・グリニョフは父親の言い付けによって辺境の要塞に配属させられる。
そこでの司令官一家との交流、司令官の娘であるマーシャとの恋、後に裏切り者となるシヴァーブリンとの確執、やがておこるプガチョフの乱と要塞に降りかかる災難、そしてプガチョフとの奇妙な友情を淡々としたタッチで描いていく。ダラダラとした所も無く、単に物語としても面白いし非常に読みやすいです。

プガチョフの乱と言えばロシアの歴史上最大規模の大農民反乱として名高い。首謀者であるプガチョフはドン・コサックの出身。
(ちなみに「コサック」とはウクライナ南部・ロシアの辺境に移住した農民を起源とすると言われる半独立軍事共同体。その騎兵はユーラシア最強とも言われ帝政ロシアの重要な軍事力として奉仕し、シベリア進出を初めロシアの領土の拡大にも大きな役割を果たした)
18世紀の中頃、帝政ロシアにおいてますます拡大する農奴制に反発する農民を中核とした反乱軍を組織して決起、農奴制からの開放を掲げ自身はピョートル三世を僭称。
社会の底辺に位置していた労働者やバシキール人を初めとする辺境の少数部族をも反乱軍に巻き込み、プガチョフの乱は帝国内における一大内戦へと発展した。
プーシキンはこの事件に多大な関心を寄せており、オレンブルクを初め戦いの舞台となった現地を自分の足で歩き、司馬遼太郎並に徹底的にリサーチ。本作とは別にプガチョフの乱についての史書も執筆している。
主人公であるピョートルも実際の事件でプガチョフ軍の捕虜となった士官、シヴァンヴィチ少尉をモデルにしていて彼の存在もリサーチ作業において知ることになったそうです。

この作品において特異な描かれ方をしている人物を一人挙げるとすれば他でもない、プガチョフである。これはプーシキンの歴史観の独創性を証明する要素でもあると思います。
当時、事件からそれ程遠い時代という訳でもなかったプーシキンの時代においては歴史に残る大反逆者・極悪人として見られていた、にも拘らずプーシキンはこの「悪人」を人間味溢れる人物として、また仲間に裏切られる哀れな首謀者として非常に同情的に描いている。その同情を寄せるのが何を隠そう、義理に基づき命を助けられた主人公のピョートルなのだ。
やや滑稽な人格ながらも義理人情に厚く、また部下の非情な行為は許さない。一方では自らに屈せずに皇帝側に付こうとする人間は容赦なく処刑する残虐な側面も描かれる。
こうしたプーシキンのプガチョフ像は中央政府の目が光っていた当時、かなり挑戦的であったことは言うまでも無い。つまり問題作であったはずです。
プガチョフだけではない、農奴制や少数部族の問題も広角的に捉え、関心を示していたプーシキンはそれらの問題も作品の中に取り込んだ。
捕虜となって残虐な拷問を受けるバシキール人の凄まじい描写などは主人公ピョートルの口からも語られる通り、明らかに「理由ある暴力」を「暴力」で鎮圧したロシアの正義に対する疑問符でありアンチの姿勢でもある。
これはチェチェン問題を抱える現代ロシアにもまったく同じ事が言えるのではないか。

捕虜になりながらも誠実なピョートルは自らの義務としてプガチョフに寝返る事は出来ず、また中央政府を盲目的に美化・過信したりもしない。
逮捕されたピョートルの潔白を女帝に訴えるマーシャの純真な姿に象徴されるように恋愛小説としても知られる本作ですが誠実善良な人格であるピョートルの目を通して多角的に、また偏り無く中性的に描かれるプガチョフの乱は広大なロシアに生きる様々な境遇の人民、また異民族・人種に対するプーシキンの愛情に溢れた公平で広い視点・史観が垣間見れるような気がします。

PR
放送が始まったNHK大河ドラマの竜馬ですが..........
これまでの大河と差別化をはかりたかったのか想像以上に気合が入っている。
セットが驚く程リアル。時代劇にありがちな不自然な小奇麗さがなくて初期の黒澤映画を髣髴させる。
それとカメラワークもいいし画面の光・色彩の調整もかなり拘りが感じられていいと思います。
福山は嫌いだが体当たりというか泥塗れで結構頑張ってる様子なので何かあまり悪く言えない。

ただ...........

妙に地味な印象しか残らないのは.........

やはり脚本が悪いのだろうか。
(取りあえずOPクレジットの映像と音楽は最悪)

ちなみに竜馬は日本の歴史上最も過大評価されていると思います。
三成は義人であるとか乃木は無能だとか.........
所謂 『司馬史観』 の呪縛か。
ところでBS民放系などでよく韓国の歴史ドラマ(例の中国の東北工程政策に反発している世論が背景にあるのか高句麗史のものが多い)がやっているんですが...........
内容についてはよく知らないが(9割以上が脚本家の創作とか聞きますが)あれ風俗考証とか絶対適当でしょ?
ファンタジーに出てくるような変てこな鎧、紀元前が舞台だというのにビビッドカラー満載のギラギラした衣装。
考証とか以前にスタッフのデザインセンスを疑ってしまうが。

こんばんは

nmj.jpeg

先月、バイト先のMGに半ば強制的な形で(?)ハンドドリップのセットを一式買わされた(?)ので最近ではペーパードリップをちゃんと煎れてたりしてます。
まあ自分の方でもずっと自宅でハンドドリップを煎れたいとは思っていたんですがどうも「面倒臭そう」という意識があったので今ひとつ重い腰が動かなかった訳ですが。
事実一回一回煎れるのに時間がかかるし毎朝は出来ないな.........  というのが正直なところ。

しかしだ..........

やはり面倒臭くても珈琲を一番美味しく味わえるのはハンドドリップである。

nmh.jpeg


挽いた珈琲粉


nmb.jpeg

そういえばこれ

KALDIで大量に売れあまっていたのでちょっと気になって買ってみたんですがかなり美味い。

nmhj.jpeg

オランダ産のアップルパイクッキー。
輸入菓子って当たり外れが激しくて定番もの以外は博打的な側面が強く(それでも国産物では見かけないような類のお洒落なパッケージなどに釣られてつい買ってしまう)、特にオランダのようなプロテスタント系の国のものは外れが多いような気がするんですがこれは珍しく当たりでした。
濃い目に入れた珈琲との相性が抜群です。
同じ種類でブラウニーの味もあったから今度買ってみようか。

やはりティータイムの菓子には細かく作りこまれたケーキ類よりも無骨でシンプルな焼き菓子が一番だ。
珈琲やチャイの味を最大限にまで引き上げてくれる。

何やら年末年始の腑抜けっぷりについてリアの聡明なる女史からおしかりを受けそうな気配なので......
今年も慎ましく、精進していこうと改めて思う次第なのである。

もう八日とは!

早いものである|ω・`)






woody_allen_image__4_.jpg

ウディ・アレンというとその特徴ある容姿、コメディ出身、一人で監督・脚本・主演を兼ねて成功等という要素から度々チャップリンと対比されたりしますが彼の映画は何ていいますか、アメリカ映画界でもある種特殊なポジションにあるというか「アレンの映画」という一つのジャンルを築いているというか。
「ニューヨーク派」等とも呼ばれますがニューヨークを舞台にしたヒューマン・コメディとして彼の映画は広い認知を得ていて日本にも一部熱狂的なファンがいます。
多作家でもう74歳になるというのに今も元気に現役で活動中。

一言で言えば彼の作品は「好き」っていう人と「退屈」と感じる人とはっきり分かれる。
ニューヨークやヨーロッパではインテリ層に人気がある事で知られていますがなんだろうな、全体的に地味な作風でそれでいてちょっと独特な癖があるのが特徴だろうか。
彼の作品を楽しめる人というのは作中のアレンの皮肉屋で神経質なインテリキャラクター及びその台詞回し、作品のユーモアセンスを理解できる人ですかね。
アカデミー賞の授賞式をすっぽかすなどハリウッドのショービジネス的大作主義にはアンチな姿勢を貫いており、我が道を行く系の典型的な監督です。

アニー・ホールやマンハッタン等有名なものは僕も見ましたが正直な話ウディ・アレン映画は特別好きという訳でもないので実は語れる程観ていません。
何て言うかな.....  これは僕の主観なんですが彼のシニカルなユーモアセンスって日本人の一般的なツボとちょっとズレているというか、若しくは文化的な差というもので今一つよくわからない所がある。(時には露骨なインテリネタで)
アレン映画をくすって笑いながら見てる人とか観ると「それは本当かね?」と思ってしまう時がある。


◇最近観た映画

INTERIORS_DVD_HIRES.jpg


「インテリア」

Interiors

1978年


「最近」というか正確には「去年最期に観た映画」ですね。


ウディ・アレンの監督作なんですが彼自身は出演していません。
それにユーモアも皆無、全体的に静かで暗くとてもシリアスな映画。正直アレン作としてはあまりにギャップが感じられて少々驚いた。
前述の通り彼の作品は比較的苦手な著者ですがこの作品は中々良かったです。
彼の映画はそれ程長尺でないのに妙に長く感じてしまったりするんですがこの映画はそんなことは無かった。(何ていうか映画の中のアレンのキャラクターが生理的に苦手なのかも?)

所謂「家族崩壊」の物語。
異常なまでに神経質で完璧主義者のインテリアデザイナーの母親、彼女の築いた「冷たい完璧な秩序」の家庭。
その苦しさから逃げ出した父親。
注がれない愛情、認められることの無い才能、渦巻く嫉妬等の狭間で苦しむ姉妹やその恋人達の葛藤を交えて家庭の断絶・行き詰まりを何処までも冷たいトーンで淡々と描いていく。



I think you're really too perfect to live in this world.

I mean,all the beautifully furnished rooms carefully designed interiors everything so controlled.

There wasn't any room for any real feelings.



劇中の印象的な台詞。
正に芸術家の心情・ディレンマの代弁ではないでしょうか。

流石というか母親を演じるジェラルディン・ペイジの演技力が圧倒的です。
動作や表情そのものから行き場の無い神経質さが漏れ出していてる。
そしてラストのジョーイと二人でのシーン、海のシーンのもの悲しさ。
彼女抜きにした「インテリア」は有り得ないと思います。

またモノトーン、ブルーをベースにしたストーリーにマッチした映像が兎に角綺麗。
寒々しいビーチ、間接照明が効果的に使われた部屋のセットの数々。それらを捉えたアングルがまたどれも素晴らしい。写真とか好きな人だったらこの映画の良さがよくわかるんじゃないでしょうか。
音楽がまったく使われていないことも相俟ってより映像に冷たい質感が伴われている。
この作品を見終わったあとに残ったカタルシスは間違いなく映像から来ています。
ウディ・アレンの監督としての技量を改めて見せ付けられたような感じがした。他の作品ももっと見てみようかと思った次第。


明けましておめでとうございます。

2010か。

当時中学生であった2000年の大晦日には一人でまったりとキューブリックの名作「2001年宇宙の旅」を観ていたものだが......(ちょっとおませロマンチストだろ?)
今年は特に「2010年」を観るということもなかったのですよ。

ゼロ年代には毎年恒例であったあのニューイヤーな眼鏡も 『200X』 というデザインが今年から不可能になるためどうなるかと思えば.......
やはり強引なデザインになっていた。
来年からはどうするんですかね?0が1個しかないし。


wsta.jpeg

さて


今年の大晦日はELECTRONIC TRIBEでカウントダウンでした。
恵比寿ガーデンホールで開催されていたパーティ。大晦日に恵比寿でガルニエなんて幸せだー。
前日、バイト先の忘年会オールだったんですが.......   お姉さんの容赦の無いポイズンマウスぶりに気が滅入るというかゲンナリしてしまいまして。
僕が特に言われたわけではないですが少々胸糞悪い気分になってしまって最期の方は嫌悪の表情すら浮かべて傍観していた。(怖いね人間は。本当にそう思う)
て言うか何度でもいうが
「めんどくさい」って言葉は大嫌いだ。自身も無意識に使用している瞬間があることを否定はしないが!

そんな訳で翌日も気分が晴れなかったのでこんな状態で年が越せるか!という事でもう早い時間から現地に行ってオープンと同時に入場したかったんですが連れの方が大幅に遅刻。<ねえ、君?|ω・`)>
中に入ったのは11時ちょっと前だったろうか。
エントランスでお酒飲んでまったりしてからいきたかったんですがマイコーのBillie Jeanがかかって盛り上がってて興奮してしまいまして思わずすぐにホールに移動。
ちょうどCALMからKRUSHに移ってバキバキはじめてるところだった。

激混みという訳でもなくかなり快適な方だったと思います。
場所柄とこういうカウントダウンイベントという事でVIVIとか読んでそうなス○ーツ系の女の子が多いような気もしたけど皆ハッピーそうで近年の都内のクラブでは珍しくなってしまったものですが全体的にまったりしてて凄くいい雰囲気だった。
しかしカウントダウンの瞬間が近づくにつれてどんどん混んできて手洗い行って戻ってきたときには連れと逸れていた........(年明けるまで会えなかった)


.........3、 2、 1 !  Baaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaan!!!!!!!!!!!!!

って明るくなった瞬間は酒くれた目茶ノリがいいこってり顔の外人とタンクのセクシーなお姉さんと肩組んでピョンピョンしながら叫んでました。


と.............

瞬間、緑のレーザーがビュンビュン飛び交うなかKRUSHと入れ替わりでガルニエ登場。

wsha.jpeg



「HAPPYYYYYYYYYYYY  NEW  YEARRRRRRRRRRR!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




wsaa.jpeg

こういう問答無用に盛り上がろうなノリのパーティには彼のようなアグレッシヴなスタイルのDJは最高ですね。
グラスでシャンパンをグビグビ飲みながら終始ご機嫌で兎に角のせるのせるで。

『超ベタ』とはわかっていても.........
やっぱSong 2とかかかると超興奮するじゃないですか。楽しいじゃないか。
まったりゆらゆらしてるときや形式的なハウスステップ踏んでるときよりもやはり最高にアガるのはこういう瞬間なのだ

「レディィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!」


『 whoo  hoo  !!! 』



僕も悪ノリして前方でジャンプでもみくちゃになりながら手振り上げて



『 whoo  hoo  !!! 』



ってやってました|ω・`)
周り皆ノリいいし吐血するくらい楽しかった。いい感じ

明け方近くなりフロアが疲れてくるとドラムン投下したりBlue Mondayかけたり..........
前述の通り全体の雰囲気もまったりで本当に快適だったし明け方までほぼホール離れることも無く踊り倒した。(少し予想外だ)

いい年越しでした

今年もよろしくです

wsra.jpeg

ガーデンプレイスの夜明け


「坂の上の雲」  第一部終了

第二部は来年で第三部は再来年か..........
三部構成の映画を見せられているような感じですが。

金と十分な時間さえあれば今のNHKでもこれだけのレベルのものが撮れるのである。
かなりハイクオリティなドラマだった。凄く丁寧に作られているのがわかるし脚本からも役者からも司馬の原作への愛が感じられます。
近年のへっぽこ大河とは雲泥の差。(て言うか脚本がほんと陳腐で駄目なんだよな........)
福山の竜馬なんて誰が見たいんだ。



最近食べたインド料理 (今回はどこもハイレベルです)


◇ ニルヴァーナ・ニューヨーク   東京ミッドタウン

wqfd.jpeg

ニューヨークの有名インド料理店がミッドタウンに移転オープンしたお店。
所謂ニューヨークスタイルなのでエスニックな雰囲気はあまりなく、店内はモダンでお洒落です。(個人的にニューヨークでよく見られるこの妙に小奇麗なスタイルはあまり好きではないのだが......)
夏場は広々としたテラス席も開放されるようで凄く気持ち良さそう。

wqerr.jpeg

昼のランチバイキングの時間帯に訪問。
ドリング別で二千円という価格帯のバイキングでしたがこの内容でこの値段は安いほうだと思う。
ライス、出来たてを持ってきてくれるナンをはじめ日替わりカレーが三種類でサイドメニューの種類も豊富でどれも美味しかった。チキンもその場で焼いてくれる。
デザート類も充実していてフルーツをはじめブリュレっぽいものやケーキ類もあったんですが........

胃が小さいくせにしょっぱなから飛ばしすぎてあまり食べれなかった..........

取りあえず此処はデートの寄り道などにもかなりお勧めです。
(夜は結構高くなる)

wqhf.jpegwqq.jpeg



◇ グルガオン   銀座

wqhs.jpeg

このブログでも何度か紹介した八重洲のダバ・インディアと同じ系列のお店。
ダバ・インディアが南インド料理専門なのに対しこちらは北のパンジャーブ系の料理専門。
味は前者と同じでかなりハイレベル。

wqjf.jpegwqosah.jpeg

wqya.jpeg

骨付きチキンのバターマサラ。
いかにも北インドのカレーと言った感じのまろやかなもの。
冗談抜きで凄く美味しかった。

wqhea.jpeg

もう一人の方が頼んでいたムンバイフィッシュカレー。
こってりまろやかの優しい味でこれも美味しかったです。このお店にはずれ無し。

wqyf.jpeg

ダバ・インディアのマドラスコーヒーも美味しかったですがこの系列店はドリンク類もすごくいい。
チャイってお店によって結構当たり外れがあるような気がするんですが此処のチャイは美味しかった方だと思う。
チャイは砂糖を沢山溶かして激甘にするのがよろしい。



◇ カイバル   銀座

wqhd.jpeg

こちらもダバ・インディア、グルガオンと同じ系列店で尚且つグルガオンと同じく北インド料理専門ですがグルガオンよりもタンドリーチキンやシークカバブ、チキンティッカ等タンドールを使った料理により力が入っている。

て言うか.............

ディナータイムだというのに一人で訪問。
ワインも揃えてあるようでしたが流石に一人で飲む気は無い|ω・`)

wqhsl.jpeg

チキン、マトン、海老、魚、野菜タンドール料理の盛り合わせ。
二名からということでしたがそれ程混み合っていない早い時間帯だったので一名分でも用意してくれました。
色々な味を味わいたいという人にはいいのかもしれないが......
一つ一つがちまちましていて少々コストパフォーマンスが悪いように感じた。美味しかったことは確かなんですが。

wqhfg.jpeg

マトンのクリーミーなカレー(名称忘却。ムガール風らしい)
マトンカレーというと肉そのものの臭みに対抗する為にかなりスパイシーなタイプが多いような気がしていたんですがこちらも香辛料が効いているとはいえ凄くまろやかなカレーであったので少々驚いた。味は文句のつけようが無い。
このお店のカレーメニューは一部グルガオンと被っているようでしたがこれは此処のお店にしか無かったと思います。

お手頃なランチメニューも用意しているようですがこのお店はディナータイムに複数人で訪問して色々なメニューを頼んで取り分けて食べるのが良さそうです。
全体的な予算は恐らくグルガオンよりやや高め。

スタバ某店で店員さんが声を揃えて


メリークリスマス!!!!!!!!!!!


と大声でコールしながら働いてたんですが
正直威圧以外の何物でもなかったのだが。

そういえば某所では(イルミネーションの前ですよ)
女子大生と思われるグループが何かのステージで下手糞な発音で英詩の歌を歌っていたが..........
威圧とは違いますがなんか


もっと私達をみて!!!!!!!!!!



みたいな感じでどうも嫌らしい印象を受けてしまったのだが
少しへそ曲がりかな?

こんばんは|ω・`)




bla.jpg

寒い季節のロシヤ文学 2

ブルガーコフ   「巨匠とマルガリータ」


ロシア文学というと基本的に「暗い・長い・説教くさい」という先入観としてのイメージを一般に持たれてしまっていると思うのですがどうだろう。
「ロシア文学」というと多くの場合19世紀のものを指しますが20世紀ロシア文学というと更に「暗い」イメージが付き纏う。
時代背景として共産主義の台頭が背後にありますがゴーリキーに象徴される社会主義リアリズム文学、ソルジェニーツィンやプラトーノフのような体制批判文学などがそれに当たる。
この作品は日本では知名度が極端に低いですが(その割りに現在入手しやすい翻訳が三種類も存在する)このようなブラックファンタジーの存在はある意味20世紀前半のロシアでは異質であったかもしれない。
そういえばちょっと前のiichikoでブルガーコフの特集が組まれてたんですがそこに載せられていた「巨匠とマルガリータ」の各国で出版されてきた本書の表紙・装丁デザインがまたどれも素敵だったのである。
多くはヒロインであるマルガリータと人気キャラのベゲモートがモチーフでしたが。

舞台は20世紀のモスクワ。
この都に突如現れた悪魔ヴォランド一味(※)が引き起こす騒動、それに並行する形で本作の主人公たる「巨匠」の作品の中で語られるキリスト処刑前後のエルサレムでの総督ピラトを中心とした一幕が語られていく。
そして交差するマルガリータと巨匠のロマンスがこの作品の主軸である。
独特なユーモアと時代を先取りしたかのような描写・表現、兎に角不思議な雰囲気を持つ作品。


黒い右目と緑色の左目を持つ外国人風の身なりをした悪魔ヴォランド
減らず口ばかりたたく猫のベゲモート
高身で格子縞のジャケットを着た催眠術師のコローヴィエフ
牙をむき出した射撃の名人アザゼロ
裸の美女のヘルガ

奇妙奇天烈な面々


ブルガーコフは今日では20世紀ロシア文学を代表する巨匠として知られていますがその生涯は悲運そのものでソ連当局から体制批判分子と見られ、「白衛軍」をはじめ多くの作品は発禁処分を受けた。
晩年に書かれた「巨匠とマルガリータ」は誰もが彼の最高傑作としている作品ではあるがスターリン体制化の30年代のソ連では到底出版できるような内容ではなかった。
この長編小説が日の目を見たのは彼の死後、スターリン体制以後のことである。<しかしスターリンはブルガーコフの作品そのものは気に入っていたと言われている>
出版されるやいなやソ連国内で大きな話題を呼び次々と各国語に翻訳、不死鳥の如く蘇った作品は彼の名の再評価へと繋がった。
今や巨匠とマルガリータはロシア人の国民的愛読書としてドストエフスキーやトルストイの長編を上回る人気を誇っているそうです。
悪魔ヴォランドが「原稿は決して燃えない」と言い、焼けて灰となった巨匠の作品を奇跡によって蘇らせるシーンには不遇の環境で晩年を過ごした一人の作家の自身の作品の不滅を信じる意思が込められているとよく称されますがこの「復活劇」からわかるように正にこの作品の運命に対する作者自身の予言そのものとも言える。
また、ブルガーコフが全体主義としてのソ連、それに属するロシア国民の不条理を自身の作品の中で明確に皮肉って表現しようとしたのかは分からないがヴォランド率いる悪魔の一味に翻弄されるモスクワ市民の醜い姿は正に現代人に対するドギツイ風刺である。
冒頭、ヴォランドに「あなたは青年共産党員の女に首を切られて殺される」と予言され結果的に本当にそうなってしまう(不慮の事故で)ベルリオーズの場面等は成程、スターリンによる粛清の嵐が吹き荒れていた30年代ロシアのブラックな風刺そのものと言えます。

それにしても特に主張したいのは..........
この作品全体に散見されるサイケデリックとも言うべきシュールな描写の数々。
70年以上前に書かれた作品としてはかなりあくが強い。
「裸の女性が箒や豚となった人間に跨って空を飛ぶ」という表現やヴォランドのグロテスクで奇妙極まりない舞踏会の描写など正に。
この作品が翻訳され世界全体で出版されたのは66年、ちょうど世の中がマリファナと共にサイケデリックな文化が絶頂期を迎えようとしていた頃ですが時代的にもマッチしていたのかも。
そういえばローリング・ストーンズのミックジャガーは「Sympathy For The Devil」(悪魔を憐れむ歌)の歌詞を書く際にこの作品から多大なインスパイアを受けたという有名な話がある。

rui.jpg

寒い季節のロシヤ文学 1

ゴンチャローフ   「オブローモフ」


19世紀ロシア文学黄金期を代表する作家の一人として揺ぎ無い認知を得ているゴンチャローフ。
その代表作「オブローモフ」も同様にロシア文学を代表する一作なのではあるが何て言いますか、所謂「文学」と言われる類のものが好きな人の中でもこの作品をスルーしている人って何気多いのではないだろうか。
これを読んだことのある人と言うのは余程のロシア文学好きか暇人だろう。(言い過ぎか)

そこそこ長い作品であるとはいえ決して読みにくいと言うわけではないが.....  ダラダラしてて少々たるいですね。
第一章ではオブローモフの夢の中の描写を除けば彼の部屋の中から一歩も外の世界に出ていない。
第二・三章ではオブローモフとオリガの助長に感じられる恋愛描写が延々と続く。(て言うかゴンチャローフって生涯独身だったというのに恋愛心理描写はびっくりするくらい精密です)
これだけでも途中で折れる人が出てくるのは目に見えている。
しかしこの作品が長い前置きから動きを見せ始め、その本質を曝け出すのは最終章の四章であるのですが......... (シュトルツの友への友情にはほろりとくる.......)

高潔で汚れの無い優しさに溢れた心を持つが世の中全ての物に対する無気力・倦怠感に陥り、それが骨の髄まで染み付いてしまっているが為に領地の整備もせずにいつまでも精神的に眠り続け、無為の生活を送る男・主人公であるイリヤー・イリッチ(オブローモフ)。
「進歩派」であり「活動家」、倦怠を嫌い常に生活の中に存在する勤労を忘れることのないオブローモフの友人、シュトルツ。
互いに異なる生活環境で成長したが故にそれぞれ異なる点において精神的純粋さを守った結果、対象的な性格を持ち合わせることとなった二人の人物の対比を軸に二人の間で揺れる女性、オリガの姿を通し「社会的人間としての『生活』とは何か」という問いを色々な面から突きつける作品。

勿論舞台は農奴制の上に地主・貴族制が成り立っていることが背景にある19世紀ロシア、現代とシュチエーションにおいてそのまま置き換えることは出来ないがそれでも
圧倒的なリアリズムと「警告」をこの作品は現代人に与える。
ドストエフスキーのどの作品よりも、です。
オブローモフは今で言う「ニート」である。
自分一人では何一つすることが出来ず、子供の頃に育まれ、精神的に植えつけられた桃源郷の幻想によって現世に溢れる困難に打ち勝っていこうとする意思の力・忍耐力は奪い去られ、ついには愛の感情でさえも彼を深淵から救い出すことは出来なかった。
彼の悲劇は慢性的倦怠感により身も心も自身の未来も蝕まれ尽くされてしまったことによる。

しかし

ラストのオブローモフの姿、即ち無用者でありながら自分なりの「平穏」を手にし死んでいった姿からは果たして何人においても、いかなる場合おいても「未知の外の世界の空気に触れること」「先へ進むこと」が当人にとって幸せと言えるのか。
そんなことを考えさせられます。

そして彼の死後も不器用な召使ザハールやおかみのアガーフィヤは彼への忠誠・愛情の念を捨てなかった。
寝ているばかりで何も自分ではすることが出来なかったオブローモフもやはり、本質的に無用者では無かったのである。
取るに足らないと思われている人物への無償の愛情、やはりこの作品もロシア文学の明確な血筋を引いている。
ewya.jpeg

LIQUIDROOM  恵比寿

今は無き、都内の伝説的クラブ 新宿LIQUIDROOM(歌舞伎町)の2004年の閉鎖に伴い、同年移転再オープンしたもの。
しかし場所柄オールナイトは出来ず、クラブというよりは単なるライブイベントスペースとなってしまっている。
此処で毎晩クラブイベント出来たらどんなに素敵だろう。グレーゾーンだとは思いますが「たまに」オールナイトイベントもやってますがね。
一番最近だと僕は先月、Orbの来日行きました。

しかし気が付けばYELLOWも閉鎖しちゃうし今の東京のクラブはもう確実に不毛と化してきてますね。
まったり音楽を楽しめる音箱なんて数える程も無い。
僕は新宿リキッドで遊んだ世代ではないのでアラサーのお兄さんお姉さん方の思い出話は羨ましかったりしますが.........
そう言えば新宿リキッドの最後を飾ったのは卓球のかけた「Blue Monday」だったそうな。
思えばこの間パターソンもBlue Mondayかけてたな.........


こんばんは

基本的に僕の書くブログではあまり行政上の時事問題は取り上げないようにしているんですが.........

先日の『天皇陛下の政治利用』に関する宮内庁に対する小沢氏の逆ギレ発言。
彼が売国奴であるとかそういうレベルの話を超えて人間性の問題だ。(どう見ても政治家のすべき発言・口調ではない。
こんな男がこの国の現在の与党のバックに張り付いているなど考えるだけで怖気が走る。

それにしてもこういった皇室絡みの問題が立ち上がるたびに内面で吹き上がるある種の表面的なナショナリズムめいたものに対して......
正直な話 我ながら浅はかさを感じるのも確かなのである。

そうそう、
先日PS3の本命タイトル、FFの新作が発売。早朝から渋谷のツタヤに行列が出来るこの国は相変わらず正常運転。(うちの馬鹿姉もプレイしている模様)
駅に貼りまくられているポスターはいい加減なんとかならないものか。ビジュアルエフェクトに懲り過ぎたが為に感覚が麻痺したここ数年のFF大嫌いなんだ。
何故あそこまで!!!!  露骨にコーカソイドに対するコンプレックス剥き出しなキャラデザインなんですかね?黒人ぽいのもいるし。
FFなぞより発売が発表された世界樹の迷宮の新作の方が早く欲しい。ああいうシンプルなマゾゲーRPG好きです。

zaj.jpeg

バイト先のお姉さんがお勧めとして教えてくれた青山のカジュアルイタリアン。
モダンインテリアに埋め尽くされ、夜にはLEDで照らし出されるお洒落な店内。
ピエトロ・アンドロゾーニというデザイナー出身のイタリア人のお店らしいんですがお姉さん曰く「ピエトロちょーいーやつー」
一度此処で友人の結婚式のアフターかなんかをやったそうですが貸切予約をしていなかったにも関わらず貸切にしてくれた上に会計総額を数十万まけてくれたそうです。

そんなお勧めのお店にこの間昼に行ってきたんですが定休日でもないというのにチェーンが掛かっている。
と、言うか営業されている気配が無い。

ピエトロよ、どうした?|ω・`)

と思いつつ店を後に。

後にお姉さん本人から聞いたことによると何やら現在は移転してしまったらしい。
今は別の場所でもう少しグレードの高いイタリアンをやっているそうです。

ピエトロよ、どういうことだ?|ω・`)



こんにちは

21世紀最初の十年最期の月も早いもので残るは約三分の二。
思えば文化的に特筆すべきものが無い(例えば時代を象徴するようなミュージシャンと言われても即座に挙げられるアイコンが皆無)地味な10年であったと思うが...........
そんな地味さがここ十年のカルチャーの特色だったのかも。
インターネットの普及により世界がより小さく、より合理的へと流れていることが背景にあるかもしれないが......
いい意味でも悪い意味でも20世紀のような個々のマテリアルの突飛さが無くなった。世界は確実にミニマムな方向に向かっている。
「わかりやすい」というだけではない、また「没個性」という訳でもない。言うなればより現実的・実際的で無難なものが社会・生活全体のニーズとして要求されてきている。
ユニクロの急成長は分かりやすい一例として挙げられるかも。

それにしても冬だというのに暖かいですね。

zas.jpeg

冷夏でも順調に成長していた我が部屋のサンスベリア。
暖冬の影響を受けてかふてぶてしくも益々大きくなっている。
特に一本飛び抜けて成長している茎がありまして。

他の葉から栄養奪ってるんじゃないかと思えてくる。

wqa.jpeg wqri.jpeg

この間は友人と久々に八重洲のダバ・インディアに行って来ました。
去年このブログでも取り上げましたが南インド料理の名店です。
これだけ本格的な南インド料理のミールスが食べれるのも日本では此処くらいじゃないだろうか。
スパイスに独特の癖があるものの、時折無性に食べたくなります。

こんばんは

有名なデザイナーによるものらしいですがコンランショップでチーズ擦り具に電球取り付けただけのデザインテーブルライトに一万近い値が付いていたが........
どういう事だこれは|ω・`)

◆最近見た映画

che.jpg

「チェ:28歳の革命」
「チェ:39歳別れの手紙」

ベニチオ・デル・トロが革命家チェ・ゲバラを演じて話題になった二部構成の作品。
前半では革命に身を投じ盟友カストロとキューバ革命を成し遂げるまでを描き、後半ではキューバを去ったゲバラの南米ボリビアにおけるゲリラ活動・そして最期を遂げるまでを描いている。
劇場で見そびれてしまったので是非ともと思い借りたのだが..........  自分には不向きな作品だった。
ゲバラの自伝、及び山のように存在するに関連書物をあまり読んだことがなく、尚且つ中南米における軍事独裁政権・共産革命について疎い(だからこそこの映画のテーマに惹かれたというのに)自分にとっては少々この映画は辛かった。
(て言うかアウト・オブ・サイトやトラフィックでソダーバーグ作品には苦手意識もあったんだけども........)
友人の彼女が「つまらなくて途中で寝た!」と言っていたけどもわかるなそれも。
良くも悪くも不親切な映画。これではある程度の予備知識がある人間でなければまるでわからないではないか。
当時の詳しい時代情勢・状況説明を大胆に省き、更には徹底的にドキュメンタリータッチに徹している為にあまりに淡々とし過ぎていて事の契機、密林から都市部へ拡大するゲリラ戦、しいては革命そのものの全体的な流れが掴み辛くよく分からない。
また編集もお世辞にも上手とは言えない。この手合いにはよく見られる演出ですがモノトーンの時間軸をずらした場面の挿入(国連における後のゲバラの演説シーンなど)等もナンセンスを覚えた。
また、その挿入の演説シーンで補っているつもりなのかもしれないが第一部ではゲバラの存在感がどうも大きく感じられない。これだったら群像劇としてキューバ革命を取り上げたほうが良かったのでは?とすら思った。
ボリビアにおけるゲバラの最期の演出も「は........?」。これは個人的なものですが晒し者としてボリビア兵に囲まれて目を開いたまま絶命しているゲバラの実物の写真を見たときのインパクト、胸に迫る感じとはどうも異質なものだった。
堅実な作りと言えば堅実だし近年のゲバラの形骸化した英雄伝(刹那的・詩的描写であるとか)に対する「アンチ」として、彼の伝記を客観的な語り口でスマートに提示したと言う評価も与えられるかもしれないが自分的にこれはないな.........
淡々として味気ない演出になってしまうのはドキュメンタリー形式の映画が陥りがちな傾向であると思うし難しい所ではあるんですがこの映画はあまりに助長でダラダラし過ぎ。
状況描写は『リアル』と言ってしまえば正にその通りなのであろうが『一本の映画として』の出来は如何なものだろうか。

しかし.......

トロ様のゲバラは中々当たりだったかな.......
近年では少なくなった味のある雰囲気を持つ個性派俳優だと思うし僕は割りと好きです。

che4.jpg


ちなみにチェ・ゲバラを取り上げた映画は数あれど個人的にはこれが結構好き。

motorcycle-diaries-poster.jpg

「モーターサイクル・ダイアリーズ」

革命家となる以前の若き日のゲバラと親友アルベルトの南米横断の旅を描いたロードムービー。製作総指揮は意外にもロバート・レッドフォード。
彼の後の思想が育まれる上で大きな意味を持ったと言われる旅。その途上での様々な人物との出会いを通し、ゲバラが人間として成長していく様を描いていく。
ゲバラの実際の日記からの抜粋によるナレーション、そして南米の雄大で美しいカットも多くシリアスな作品ですが「ゲバラ」というキーワードを外して青春映画として見ても実に爽やかで印象に残る良い映画です。

しかしガエル・ガルシア・ベルナルはどうもゲバラって印象ではないが.....
(「アモーレス・ぺロス」のイケメン君です)
qweray.jpeg qwera.jpeg
qwert.jpeg

珍しく姉者が訪問してきて

これまた奇妙な成り行きで夕飯一緒に食べてきました。
去年当ブログでも取り上げた自宅近くのカジュアルフレンチ。
しかも何か全額出してくれたという.......|ω・`)
基本的に仲は悪いが近年はぎこちない形にせよ割かし喋る様になってきたと思う。
特に最近は彼女も仕事や異性関係の方面で色々とストレスが溜まってきているようで何やら吐き出しの場を求めている様で。
それにしても改めて思ってみても自身のM癖と年上女性に対する妙なコンプレックスはこいつが原因であると思わざるをえない..........

こんばんは


もう

十二月ですか.....

早いのう.......


ところで相変わらず都内ではエコバッグ持ち歩いている女の子異様に多いんですがあれほんと何なんですかね?雑誌の付録かなんかか?
特にディーン&デルーカのトートとか多過ぎだろう.........
あんな安っぽいものを制服の一部のように皆同じものを持ちたがる心理がよくわからない。
日本人的といえば日本人的ですが。

freitag1.jpg

バッグといえば前々からFREITAG(フライターグ)のバッグが欲しくて数年前からアーバンリサーチやヴィレヴァン、アートショップ等で色々なデザインを見てきたんですが本当にこれといって目に留まるものが無かった。
それがこの間..........
某所で凄く気になるデザインを偶然発見。
シルバーベースにTeardropな寒冷色の細い模様が入っているデザイン。
これいいね!と思ったものの、モデルが「JOE」というFREITAGのメッセンジャーシリーズの中でも最高級とも言うべき本格的な作りの物。
Dexterとかだったら即買ってたんだけどな.......と思いつつ肩にかけて鏡の前で考えること暫く。

何故かその場で

実に急にだが!

こんなボロくてゴム臭いバッグに大金出すのが馬鹿らしくなって
冷めてしまいました|ω・`)


近年では日本でもかなり有名になってきましたがFREITAGはスイス、チューリヒのリサイクル・バッグブランドで廃棄トラックの幌等を切り張りしてそのまま柄に利用するというユニークな方法でバッグを製作している。
直線的なミニマルデザインが多いのはその為。(よって何かのマーキングなど細かいデザインはレア物の場合が多い)

freitag.jpg

その為世界に一つとして同じデザインは存在しないという点が人気の一要素でもあり熱心なコレクターも存在する。
また製作は全て手作業であることやリサイクル品である材料の調達が困難な事などから大量生産は出来ず、品質に対して値段はかなり高めの設定。

自分にとってはそういった要素が逆に購入を戸惑わせる要因になってしまっていたりする。
ただでさえ高いのに「同じデザインは存在しない」という点からもっといいデザインがあるのではないかと思ってしまう悪循環。
じっさいこういう人って多いんじゃないだろうか|ω・`)
にしてもこのバッグ、白人が持つとかなりかっこいいんですがデザイン上無骨でありながらも独特のポップ性がある為に日本人が持つとデザインを中和しきれずに.........
何て言うか  多くの場合、上京したての学生君な感じになってしまうのが悲しい。


xhaq.jpeg

「坂の上の雲」の第一話

やっぱ金かけてるなあ........って印象。
ワンシーンのセット一つにかけてもそれが容易に分かる。
大規模なロシアロケも敢行されたようだし全体で見ればそこいらの邦画よりも余程予算が投じられているのだろうと思う。
司馬原作だからって訳でもないですが脚本も堅実で役者も阿部寛に本木雅弘と味があり好印象。
て言うか伊藤博文役って加藤剛なんだ.........

こんばんは


電車内の広告の上村愛子を見る度に思うのだが

やはり女の子はどんなに顔が綺麗でも歯並びが悪いと残念な感じになってしまう。

そもそも先進国の中でも此処まで歯並びに関して無頓着なのは日本人くらいのものらしいですが......
彼女はスポーツ選手だからまだしもコマーシャルな活動を積極的にしているというのに歯並びがぐちゃぐちゃなタレントが多い現状には首を傾げる。メイク以前の話だよ。
沢尻●リカとか宮崎●おいとか一時期酷かったけど今はどうなってるんだろうか。

xhai.jpeg

今日は一人でほのぼのと自宅近くのインド料理屋でランチ。
知る人ぞ知るといった感じですが地元では割と有名なお店です。
お世辞にも小奇麗といった感じの店ではないですが南アジアの小さな大衆食堂といった感じで独特の雰囲気がある。
味の方も都内の有名インド料理店にありがちな北インドの本格的なパンジャーブ料理といった感じではなくて庶民的というか素朴な味が魅力か。
値段もリーズナブルで特に野菜系のカレーが美味しい。
画像は個人的に此処で一番美味しいと思う豆とホウレン草のカレー。
よくあるペースト状のホウレン草を使用した緑色の宮廷料理カレーではなく、もっと無骨にホウレン草を一緒にさっと炒めたといった感じです。

基本的に休日のランチによく利用する感じですが夜はあまり行った事が無い。
夜のマトンカレーが特に有名みたいなのではあるが.........

dgy.jpg

毎月UNITで開かれている爺の大好きなイベント、「Drum & Bass Sessions」。
その名の通りドラムンベース系のパーティです。

先月から待ち遠しかったが本日夜はブリストル・ナイトなので今から凄く楽しみなのである|ω・`)
何せイギリス、ブリストルにおけるドラムンシーンの重鎮、ダイとクラストの競演ですよ。

更にNICK WALKERのライブ・ペインティングパフォーマンス。
NICK WALKERというと現在ではブリストルのストリート、グラフィックアート界ではBanksyに次ぐ知名度を誇る存在です。
モナ・リザをモチーフにした(皮肉った)シリーズは有名で何処かで目にした人もいるかもしれない。

3ab45a49.jpeg


こんばんは


最近妙に東西ドイツ統一関連のドキュメンタリーを多く目にすると思ったら成る程、ベルリンの壁崩壊20周年ですか。
ちょっと前にBSでライプツィヒにおける市民の決起を取り上げたドイツのドキュメンタリーがやっていましたが事件の舞台となった市民が行進した道路や教会が写されていて「あー、調度ここガイドブック片手に歩いたなー」としみじみ思い返してしまった。

日本国内を含め、今まで訪れたところで一番深い印象を残した場所を挙げろと言われたら「地域」として挙げるとすれば即答でドイツの旧東ドイツ地域と答える。
「観光地」としてのイメージと言うよりは何て言うか....... 生意気な言い方をすればイディオロギーに翻弄された国家の悲劇というものを肌で感じたような気がするからです。

第二次大戦末期、日本と同じ敗戦国であるドイツは連合軍による徹底的な戦略爆撃を受けており目ぼしい街は殆ど瓦礫の山と化した。
(右的な事を主張するつもりはないが市民の殺戮とアイデンティティの破壊を目的とした連合軍の戦略都市爆撃は明らかに国際法違反の許されざる蛮行である。)
だから一から多くの街を再建していかなければならなかった戦後の分断ドイツは体制の相違によって双方の町並みに大きく差異が生まれた。(より正確に言えば東プロイセン地域はポーランドとロシアに奪われているので戦後ドイツは四分割されている事になる)
即ち戦前の美しいドイツの町並みを市民の誇りに基づいて再建した西側、共産主義的合理主義に基づいて醜い町並みに作り変えてしまった東側。

その名残が今でも残り旧西側から東側に入った途端に街の雰囲気が何処か変わる。しかしそれは単に汚いからというだけでは無い。
ドレスデンにしろライプツィヒにしろ街のそこかしこに西のどの街にも感じられなかったDDR臭さが残っていてそれが流入する「新風潮」に何処かの点で空しい抵抗を続けているような雰囲気を醸しているのだ。
どれだけ西側資本が東ドイツの汚い町並みを綺麗にしようとしたところで数十年の共産体制の中で積もった払拭できない何かがある。
東ドイツの現代の町並みが印象に強く残ったのは「痛々しかった」からに他ならない。
ライプツィヒにバッハやワーグナーの面影を求めて訪れる人は失望を味わうに違いない、もはや今のライプツィヒに文化芸術都市の雰囲気は無い。ただ、冷たい。
ゲヴァントハウス周辺の古写真を見ると戦前のライプツィヒはどんなに美しかったろうと思う。
ライプツィヒの寒々しいホテルの部屋に置かれたハリボのあのベアグミの子袋が何故か凄く寂しく見えた。(いや、ほんとに今でも思い出す)

そして東側に入ってからもう一つ目に付いた事と言えば「物乞い」が明らかに増えた事である。
今でも忘れないがワイマールの街角でお爺さんが空き缶を前に祈るような姿勢で座り込み、フラリフラリと揺れていた。
何ユーロくらいあったか覚えていないが近づいて小銭を何枚か缶の中に入れた途端に弱々しい声で「ダンケセーン.............」とボヤいていた。
ベルリンではまだ若い女の子が赤ん坊を抱いて缶を前に路上に座り込んでいた。これはもう見てられなかった。
これらの人の多くは統一後の西側資本の急速な流入により職を失った、或いはその余波をいまだに受けている人であろうか。
何れにせよ東ドイツ時代にはホームレスなど見たことがなかった人達は統一後、西側の町の路上生活者を目の当たりにして驚いたそうです。

次、いつかまたドイツを訪れる日が来たらどれだけ旧東ドイツ地域の開発が進んでいることだろうと思いながら出国したが........
さて、現状はどうか。
前述のドキュメンタリーの中で東ドイツ側の街に生まれた青年は「統一なんてしなきゃよかったんだ」とボヤいていた。

当時感じた旧東独のあの雰囲気は彼の一言の中に全てが示されているように思った。

good_bye_lenin.jpg

あまり関係ないですが統一直後のゴタゴタの時期を描いたドイツ映画「グッバイ・レーニン!」
東ドイツの消滅後、母親に一つの嘘をつく息子の物語。いい映画です。
旧東側の人間の本音の一部のようなものが垣間見れたような気になります。
ここ数日でまた一段と寒くなりましたね

そのせいか腰痛いし肩凝るし妙に疲れが溜まるしおまけに眠いです。
実年齢よりも身体年齢の方がガチで先にいっているかもしれない。
本当に自分でも驚くほど睡眠所望時間が長い。駄目だなこの傾向は.......
今年も例によって冬眠したい気分です。


こんばんは

さてこの間は...........
バイト先に、しかも僕がシフトイン時に友人に二人組みでサプライズか知らないですがゲリラ訪問されて焦った......
妙に長時間居座るし|ω・`) いや、別に全然迷惑などではないですが。
<見てるか?君のことだぞ。あの時間帯は狙ったな?>

zcha.jpeg

バイト先の近くにこれまたフランスチックで素敵なカフェレストランがある。
外人客も多く夏場には彼等がまったりムードの中、歩道に面したテラス席でカフェラテを啜ったりポテトが盛られた皿を啄ばんでいたりで何とも優雅なのである。
前々から一度行きたいと思っていたのでこの間初めてランチタイムに一人で行って来ました。

一人でパリっぽい雰囲気に浸りたかった。

いや、冗談だけど。

寒かったので流石にテラスは開放されていなかったけども。

zchga.jpegzchaq.jpeg

 






店名が明記出来ないのは........

いや......  そりゃバイト先のマジ近くなので........

フランス料理店のカフェ形態なので料理は流石に美味しかった。
値段的に見ても非常にリーズナブル。
ただ、本当にがっつり食べたい人は量的に少し物足りないかもしれない。

zcja.jpeg

食後は当然エスプレッソ|ω・`)

この前、劇場で見そびれた「エリザベス・ゴールデンエイジ」を今更ながら鑑賞。 
前作「エリザベス」(99年作?だったかな?)ではエリザベス一世が女王の座に付いた直後というあまり映像化されることが少なかった時代を描いているのに対し今作では英国にとって国難とも言えるスペインのアルマダ襲来をメインに据えているんですが.........
微妙だ..........   中途半端な恋愛描写とどうも陳腐になった脚本(あのスペインサイドの描き方は無いだろう........)のせいか前作ほどの緊迫感やダークな様式美が無い。
それとメアリー・ステュアート役候補にはもう少し綺麗な女優さんいなかったんですかね......(意図的なのかと思ってしまう)
海戦シーンはやる気無し、と言うか予算がなかったのか。
ただ、ケイト・ブランシェットのエリザベスとジェフリー・ラッシュのウォルシンガムはほんと当たり役だと思う。
ケイト・ブランシェットはオーストラリア人だったと思うんですがあの英国貴族的な丸型子顔は王族を演じるとなんと言うか自然と様になる。

ただ!

前作のシーンが少しだけ流用されてるんですがそれ見る限り改めて思うのは

ケイト・ブランシェット老けたな



こんばんは

カフェやバールで

エスプレッソを出されたその場で立ったまま二、三口ですっと飲んで去っていくお姉さんとかイタリアーノな感じでマジ格好いいですね。
逆に知らずに頼んだシングルの量の少なさに不平を漏らしたり、カウンター席だったらまだしもテーブル席でエスプレッソ一杯で長時間居座る人とかは
ダサいとは言わないまでも田舎者臭く見えてしまう。(別に欧米主義的な観点で話してる訳でもない)

ところで自宅用エスプレッソマシンがそろそろ本気で欲しいんですが

買うんだったらスペインのアスカソがいいかなと前から思っていたんですがこの間、パボーニの実物を見て見事に浮気をしてしまいました。

lapavoni.jpg

なにがいいってこのクラシカルで品のあるデザイン。こういうインダストリアル系なフォルムに弱いです.....
画像では何度か観たこともあったんですが実物は本当にかっこいい。
LA PAVONIはイタリアの有名なエスプレッソマシンメーカー。
その性能はさることながら非常に丈夫で長持ちするつくりであることでも知られているようです。

どうせ買うんだったら一生ものとして使えるものを買いたいんですが問題はお値段

グレードは様々ですがボディの素材によって大分価格も変わってくる。
ウッドレバーのものだと15万から18万くらいの値段になってしまうようです。(少なくとも日本では)

少し様子見かな.......

XT

毎年寒くなってくると睡眠時間が長くなります。

より正確に言うと........

集中力が鈍る訳でもないが所望する睡眠時間が長くなる。
冬眠する動物が羨ましい。著者も冬眠したいです。Death

zzuaie.jpeg

前日、友人に突如呼び出されて(て言うか自分から向かったも同然ですが)行けなかったので翌日改めて久々に都庁の展望台に登っていました。
来るたびに思うことだが..........
この田舎者的で目障りな土産物屋がなければどんなにいいフロアだろうと思う。
しかし白人やチャイニーズは結構ひっかかっている。嗚呼.........

ところで新宿の街並みを眺めているとモード学園のコクーンタワーが相変わらず鬱陶しい。
直線的なイメージの強い新宿のビル街にこの建物は要らない。ゴジラに破壊してほしい。

何より.........

よく指摘されることですがどう見てもロンドンの30セント・メリー・アクスのパクリですよこれ......
外形にしろ、壁面の模様パターンにしろ。少なくともデザイン上意識したことは疑いようも無い。

あ......  ドコモタワーもエンパイアステートビルのパクリか

cp.jpg

ctt.jpg

 

kali.jpg

血と殺戮・戦いの神、カーリー。
キャラが濃いというか曲者揃いのヒンドゥー教の神々の中でも特に強力なインパクトを持つ。
全身は黒、或いは青。首からは狩った首・髑髏を、腰・体には手首を無数にぶら下げ手には血塗られた刀と生首を持ち常に血を求めて口からチロチロ舌を出している。
血と酒を何よりも好み、彼女が戦勝のダンスを踊り始めると大地が割れてしまうので足元に夫である寝ているシヴァ神を踏みつけている姿でよく描かれる。
インドでは何百年という昔から「サッグ団」とも呼ばれた熱烈なカーリー信者・ヒンドゥー原理主義者集団が存在していて太古の昔から何万という人間を捕まえ、殺してはその血をカーリーに捧げていたらしい。
19世紀、イギリスによる殖民統治時代に撲滅された事になっているが広いインドのこと、今でもインフラがろくに整備されていないデカン高原の奥地には首狩り・人食いの風習を残す原住民の村が実際にあると言われているくらいだし何が潜んでいるかわからない。
地方では行方不明者が出る度に「サッグ団の仕業だ」という人もいるらしい。

◆◆

とあるインド料理店にこれまた怪しげな祭壇画が飾ってあった。(人間の贓物をえぐり出している神の姿)


カーリーは確かに極端な例ですが........

異文化の人間から見ればヒンドゥー教というのは邪教すれすれです。
シヴァにしろカーリーにしろガネーシャにしろドゥルガーにしろ、ヒンドゥーの神々を描いた祭壇画を見るたびに何か物凄くカルトで怪しげな臭いを感じる。
神々の姿、その神話からしておかしい。最高神たるシヴァからしてその異様な姿は有難い神というよりは「悪霊」というか何て言いますか。
慈悲深く弱きものの見方という側面があると思えば邪神的な振る舞いも平気でする。
よくヒンドゥー教と古代アーリア人が信仰していたリグ・ヴェーダを聖典とする宗教(所謂バラモン教)を同一視するような人がいたりするがそれは大変な間違いでもある。
そんな認識では多民族・多文化・多宗教が混沌とした中複雑に絡み合って成立しているインドという国を理解することは出来ない。
しかしやはりヒンドゥー教で面白いと思うのは神の位の乗っ取りが実に自然な形で進んだことだろうか。
ヨーロッパや中東でみられたような一神教が多神教を追放した歴史とはそもそも性質が異なる訳です。つまり宗教が「単純化」したのではなくますます複雑になった。インドの他民族性を象徴するかのように。
古代アーリア人がインドに持ち込んだインドラやアグニといったゾロアスター教の流れを組むかっこいい神々はアーリア人とインドの先住民であるドラヴィダ人の混血が進む中、紀元前後を境に次第に忘れさられていった。
そしてリグ・ヴェーダの根本要素・外形、ヴァルナ(カースト制)はそのままに原住民の信仰していた怪しげで得体の知れない神々がその地位に取って代わった。
それらが次第にシヴァやヴィシュヌとなり、長い歴史の中で様々な民族・部族の民間信仰を取り込んでいく中で膨張と再構築を繰り返し、出来上がったのが現在のヒンドゥー教という事になる。
よって宗教の本質を理解しようとする際、もっとも難しいのは断トツでヒンドゥー教なのだそうです。
そんなヒンドゥー教の複雑怪奇な側面がインドのミステリアスで魅力的な表情を作り上げている訳ですが。(当然ヒンドゥーの要素のみが「インド的」という訳でもない)

しかし凄いエネルギーを持つ宗教だ。

特質的とも理不尽とも呼べる厳しい戒律を持ち、尚且つ多神教であるにもかかわらず魔力的な教化力を持つ一神教・イスラムの侵入を前にしても歴史から姿を消すことなく、現在のインドでもその信者人口からいって圧倒的な地位を保っている。

所謂アジア雑貨の店に行ってもどうも取り扱っているものが悪く言えば民族色が薄めで万人受けしやすいものばかりというか。
はっきり言ってしまえば無難な「東南アジア産お洒落なインテリア」が殆どで面白くないものが多い。
例えばバリ島の家具やフロアライトを取り扱っている店は数多かれど、あのギョロッとした目が特徴的な魔除けの飾り(バロンやガルーダ)等が数多く取り揃えてある店はあまり無い。
その店のコンセプトの問題で日常的に実用性をもって使用できるものを中心にセレクトしてあるのかもしれないし、前述のようなものが欲しければ現地に行けということになるのかもしれない。
しかし外国産の民芸雑貨店に求めるものがあるとすれば自分的にはやはりもっとバラエティーに富んだセレクトであるしその方が見てる分にも楽しい。マホガニーの家具ばかりだと飽きます。
しかし需要が無いかな........

こんばんは

前々から気になっていた恵比寿のTea Espressoのお店「HATEA」(ハッティー)に行ってきました。

wts.jpeg

以前、休日に訪れた時には...........

店内が恵比寿系のお姉さんばかりで流石に入れそうな雰囲気じゃなかった的な|ω・`)

エスプレッソマシンのフィルターを改造して紅茶を抽出できるようにし、それをラテ使用で作ったドリンクがここの主力メニュー「ティーラテ」。
時間がかかる紅茶を短時間で、しかも濃縮された状態で抽出出来るんだそうな。
しかし面白い飲み方を考えるもんだ。

wtd.jpeg

味はというと..........
必然的にショットの味が薄くなるトールサイズ(ここでの表記はミディアムサイズ)を頼んだのが駄目だったのか?あまり深い味は味わえませんでした。
しかし最近スタバのスタンダードメニューになったティーラテ(アッサム茶。ちなみにこちらは茶葉で普通に抽出している)とそこまで味に落差があるとも正直思えなかった|ω・`)
まあ最近あまりスタバに金落としたくないんであまり行かないんですが。
今度来たときはショット追加して飲んでみよう。また違うかもしれない。

そういえばミニサイズのチーズケーキと生チョコショコラ食べたんですがチーズケーキが結構美味しかった。

tuu
世の中はビートルズのリマスターで何やら大騒ぎのようですが.........
モノラルバージョンのボックスの方を買おうか買わないか迷っていた挙句結局僕は買いませんでした。
高い。

あれはいくらなんでもぼったくりだろう。

輸入盤でも高い。

いくら日本製の紙ジャケを採用しているとはいえあの価格は無い。
正直そこまでヘヴィーなビートルマニアでもないので........
メンバー各々の個性のベクトルが極端というのもあると思いますが個人的に好きな曲とどうでもいい曲がはっきりわかれるのであまりアルバム単位で聴こうという気が起きないバンドです。(サージェントペパーやアビーロードが好きな人には申し訳ないんだけども)
しかし一部のビートルマニアにもそういう傾向割とありますよね。
Tomorrow Never KnowsやDay In The Life、I Am The Walrusのようなジョンのサイケで実験的な曲はやたら評価するくせにLet It BeやHey Jude、或いはYellow Submarine、Ob-La-Di Ob-La-Daのようなポールのバラードやほのぼの路線の曲は妙に毛嫌いする人。

ビートルズを「ポップミュージックの革命者」とか変に持ち上げる人って基本的に嫌いだな。
基本的に音楽を「ロック」「バンドサウンド」の枠組みでしか考えられない人って他のミュージックジャンルに対して妙なコンプレックスを持っているような気がする。
「ロックを芸術の域まで押し上げた」とかビートルズを神格化する人たちの思考は正にその裏返しだ。


album-cover-crap-65_manson_char_lie.jpg


◆最近聴いた音楽

Charles Manson   「lie」

アメリカの戦後ポップカルチャー史におけるダークサイドとも言えるべき存在、チャールズ・マンソン。
60年代・ドラッグカルチャー全盛の頃、家出少女や自らを崇拝する仲間を掻き集め「ファミリー」を組織、シャロン・テート、ラビアンカ夫妻殺害事件をはじめ数々の凶悪犯罪・猟奇殺人事件を引き起こす。
実質ヒッピーの変り種集団に過ぎなかったファミリーが何故全米を震撼させたカルト集団と化したのか、今でも議論の的になったりもしますが教祖であるマンソン自身が音楽に深く傾倒しており、ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと親交があり彼との曲の共作をはじめ殺戮事件を繰り返すようになるまではファミリーの女の子ともどもデニス邸にいりびたっていたのは有名な話だったりする。
デニスの援助によりレコーディングされ、リリースされた彼の唯一のアルバムがこの「LIE」。
殺人者の音楽ではあるが現在普通にCDで手に入れることが出来ます。
マンソンのアルバムという理由で「聴きたくない」という人もかなりいるにはいるようですが取り合えずここでは一つの「音楽」として見るべきだろう。
自分は最近初めて聴いたんですが...........  バリバリサイケなアシッド・フォークですね......
基本的にリズム感のずれたヘロヘロなのだが何処か不気味で混沌としてて頭くらくらします。シド・バレットとサイキック・ティーヴィーを足して二で割ったような。

beatles-the-white-album.jpg

さて、音楽に傾倒していたマンソンが最も影響を受け、お気に入りであったグループにビートルズが挙げられる。
マンソンのラリった頭脳にはビートルズは純粋な音楽としてだけではなく、思想媒体としても捉えられた。
文明社会への激しい憎悪が育まれた中で彼の耳に届けられたのがこのアルバム「The BEATLES」。
その真っ白なジャケットからホワイトアルバムの異名をとる二枚組みの大作....  てみんな知ってるか。
このアルバムがリリースされる頃のビートルズと言えば既に空中分解を起こし始めていた時期ですがそういう背景も相まってか各メンバーがそれぞれ持ち寄った個性溢れる楽曲群のごちゃ混ぜサラダボールのような作品となった。
それも中途半端な小品あり、アヴァンギャルドで実験的な曲あり、と思えば時折名曲が顔を出す。年々評価が高まっているアルバムです。

それはさておき
69年当時、マンソン及びファミリーの内部では近い将来のハルマゲドンの到来が話し合われていた。(LSDで頭がイカれた妄想の産物の範疇を出ないが)
そのビジョンは彼の中でも漠然としたものでしかなかったがマンソンのハルマゲドン構想に決定的な影響を与えたとされるのがこのアルバムに収録された「Helter Skelter」(へルター・スケルター)である。
冒頭の破壊的なギターリフ、何かがはずれたような狂った轟音を繰り出すドラムとベース。
ビートルズの曲の中でも最も激しく、元祖ヘヴィーメタルとも言われるこのショッキングな曲は黒い側面を背負わされる宿命にあった。
どういう解釈を加えればそうなるのかわからないがマンソンはへルター・スケルターの歌詞から次の意図を読み取った。

ブラック・パンサーを始めとする黒人武装集団が各地で蜂起、白人達の殺害を開始し世界を揺るがす大戦争が始まる。
何千何万という死者を生み出した戦いの果てに黒人側が勝利、しかし黒人達は自分達が世界を統治する不適さに気付き、カルフォルニアのデス・バレーで黒人対白人の最終戦争を凌いでいた真の覇者、チャールズ・マンソンに世界の覇権を譲り渡すであろう。(すげえ御都合主義)
この人類最終戦争を「へルター・スケルター」とマンソンは命名した。

マンソンが当時のブラックパワーに極度の脅威を抱いていたのは知られている話ですがこのへルター・スケルターの構想には彼の黒人への恐怖心への裏返しが明らかに現れている。
更に社会やコミュニティー外部の人間達への憎悪、過度の自己意識が彼の頭脳の中でミックスされLSDやへルター・スケルターの衝撃的なサウンドにより覚醒した、と考えるのが自然な成り行きだろうか。
しかし皮肉なことに州の死刑廃止法、即ち自らが憎悪した文明社会の恩恵を受けマンソンは40年経た今も獄中で生き長らえている。

そういえば........

U2のボノが『マンソンの手から「Helter Skelter」を僕らの手に取り戻そう』と、ステージでHelter Skelterをカヴァーしたことがあったが.........
彼のこういう偽善シャシャリ癖大嫌いですね。
ポップミュージシャンの分際で文化人ぶってアフリカや温暖化問題に口出ししてきたりとか。

少しダマった方がいい。


tau.jpeg

UAの新譜を今更ながら視聴。

悪くない。全然悪くないんだけども...........
この人って何処までもアーティスト気質なんだな....と、やはり思うところではある。
なんて言うかビョークと同じ傾向。
まあ今回もバックのミュージシャン勢がミュージシャン勢だし。(細野晴臣や内橋和久、LITTLE CREATURES etc.....)

ちなみに個人的には現代ポップスには肩を張り過ぎない、それでいて媚び過ぎない「ユルさ」みたいなのを求めてるんですが。

◆◆◆

この間「魔女の宅急便」がやっていたので久々に観ていた。
あれの舞台の街のモデルがクロアチアのドブロヴニクというのは有名な話ですがあの「赤い屋根に海のブルー」っていう光景は明らかに風光明媚なアドリア海沿いの街って感じですね。

しかし........  改めてみる度に思うが.............
ジブリアニメって良くも悪くも一目見てすぐに「ジブリ」ってわかってしまうような匂いと言うかマンネリ化した様式があると言うか........  画風のせいかな?

それと声優業というのがしっかりと確立されていたのは日本のアニメ界のいいところであったと思うんですが近年といえば声優の妙なアイドル化が進んでいたり俳優や芸能人を声優に起用(これは伝統的にハリウッドに観られた傾向)したりする動きがジブリ物にも及んでしまっていてなんても言えない。
これはある意味象徴的かもしれない。
偏見が絡んでいるのは否定出来ないですが所謂「ステレオタイプなオタク」と「商業主義的なテレビ屋」が対象に深く絡むとアニメに限らずなんでも「腐る」。
昔と今のジブリアニメを比較すると声優の質が誰の目にも明らかに劣化......  とまでは言わないまでも表現力を同系列で語れないといいますか。
榊原良子さん(殿下)とか家弓家正(クロトワ)さんみたいな印象深い声が今のメジャー化したジブリアニメでは聞くことが出来ない。

あとキャラクターに全然魅力を感じないのは..........
多分自分だけではないはず
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[05/02 HIDE]
[04/27 てふ]
[10/04 通りすがり]
[06/24 HIDE]
[06/22 ひろたそ]
プロフィール
HN:
hide
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/04/03
自己紹介:
ブラック・ミュージックと甘いものがあれば最低限生きていけます
最新記事
(05/24)
(05/16)
(05/06)
(05/02)
(04/25)
(04/22)
(04/19)
(04/18)
(04/04)
(04/03)
(03/14)
(03/09)
(03/07)
(02/28)
(02/27)
(02/23)
(02/15)
(02/01)
(01/29)
(01/21)
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(04/27)
(04/30)
(05/04)
(05/06)
(05/07)
(05/15)
(05/18)
(05/22)
(05/23)
(06/02)
(06/04)
(07/10)
(07/13)
(07/15)
(07/18)
(07/20)
(07/23)
(07/24)
(07/27)
(07/31)
忍者ブログ | [PR]
shinobi.jp