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遅れ過ぎですが今更ながら知って驚愕したというか何というか。
今年の秋冬シーズンからジル・サンダーがユニクロの「全商品」の監修を勤めると聞いて「えええええええ!?」ってなった。
ラフ・シモンズがクリエイティブ・ディレクターを担当している現在の「JIL SANDER」ではない、本家の「JIL SANDER氏」である。
ユニクロも出世したもんだな|ω・`)
成る程、シンプルさを売りにしているユニクロと徹底したミニマリズムをアイデンティティとするジル・サンダーの相性が悪い訳が無い。
個人的に所謂 「MODE」 は常に消費され、変化し続けるものであるが故に既成価値・概念を覆し続けるかのような挑発性の保持というか.......
つまり奇抜でぶっとんだものであるべきだと思っているので彼女みたいに簡素美を追求するデザイナーの傾向は今一つ面白く感じられないんですがこういうデイリーに用いられる大衆ウェアにそちら方面のセンスが落とし込まれるというのは発展性そのものを考えれば形としては凄く理想系だと思うんですけどどうだろう。
少し大袈裟か。
あ、そう言えばラフ・シモンズはJILで割かしシンプルな服デザインしてる半面、「Raf Simons」の方では止められない位どんどん方向性が奇抜になってきてるみたいですが。
デザインのみに止まらずなんか新素材等も開発しているらしい....... 青山にオンリーショップ出来たみたいですが本当に売れてるんだろうか?
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本日観た映画
「真夜中のカーボーイ」
Midnight Cowboy
1969年 米
予定よりもかなり早く目が覚めてしまった明け方四時、選んだ一本。五年ぶりくらいに見る。
音楽にしてもそうですが「お気に入り」であってもそれ程頻繁に聴かない・観ない類のものというのは結構ある。
それはその対象を「体感」(少しオーバーな表現か?)するにあたり「集中力」を必要とするものであるから、「余韻」が味であるものであるから、或いは観る・聴くべき時が自己の中で明確に要求されるからであるとか対象によって理由は様々で単純なようであって複雑でもある。
特に三つ目に挙げた例は服みたいなものですね。
ニットみたいなデリケートなものは毎日頻繁に着ていれば当然くたびれて来る。だから同じものをそれ程毎日も頻繁に着たりはしない。
それはもったいぶっているのであるのと同時に「毎日のように着る必要性が無いから」という理由に帰着する。それだけのこと。
この映画もそんな感じかもしれない。
「明日に向って撃て」 「俺たちに明日はない」 「卒業」 「イージー・ライダー」等と並びアメリカン・ニューシネマの傑作の一つとして名高い作品です。
60年代後半以降に起こった「ニューシネマ」はアメリカ映画界の一つの重大な転換期として位置付けられる。
即ちベトナム戦争の激化・学生運動など70年代への激動の時代の変遷を背景としている事、そして若い映画監督達の大作主義的なハリウッド映画へのアンチテーゼとして。
前者は社会に行き詰まりを感じる若者達の刹那的なテーマを、後者はそれまでの映画制作にとらわれない自由なスタンスをニューシネマに与えた。
そして更に「アメリカ的だなー」って思うのは小難しい理屈を込めない単純明快な点。フランスのヌーヴェル・ヴァーグのように露骨に芸術ぶった側面が少ないです。
さて、この映画。主演はジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン。
(意外と知らない人がいたりするんですがブラピと交際している女優のアンジョリーナ・ジョリーはジョン・ボイトの娘です。唇一家とでも言ってしまおうか。いや、言わなくていいか)
監督のジョン・シュレシンジャーはイギリスの監督なんですがここでの明瞭な作風は「アメリカン」って感じですね。
「Midnight Cowboy」っていうタイトルの素敵な響きがまず大好きです。
ハスラーになることを夢見てテキサスの田舎町から大都会・ニューヨークへとやってきた自信に満ち溢れた少しナルシストなジョー。
そこで彼を待っていたのは理想とはまるで違う、街に住む奇々怪々な人々の偏見・冷たい視線だった。
現実とのギャップに絶望したジョーが出会ったのはラッツォという足が悪い一人の小男。
どこまでも「汚い」がどこまでもお人よしな都会のはみ出し者同士の二人。その間には同棲生活の中で奇妙な友情が育まれていく。
夢はある。しかしあらゆる物・人が行き交う街の喧騒の中でどうしていいかわからずに孤独感に打ちのめされていく居場所の無い二人の破天荒な姿が哀しく描かれていく。
そして悪化していくラッツォの持病。フロリダへ行きたいというラッツォの願望に沿い、二人はニューヨークを抜け出し南へと向うバスに乗り込む。
作られた時代がフラワー・ムーブメントの真っ只中であっただけにところどころにL・S・D!って感じのサイケデリックな描写が出てくる。
現代社会の疎外された醜い弱者。時に非行に走る彼等の道筋の見えない孤独な姿をユーモアに溢れた暖かい眼差しで描いた作品というと少し臭いだろうか。
ラスト、故郷でも憧れたニューヨークでも安住の地を見つけることが出来なかったジョーが大好きなカーボーイの衣装を脱ぎ捨て、フロリダの太陽の光の中で自分にとっての「現実」を悟り、受け入れるシーンが心に残る。
破滅的・刹那的なラストを迎える多くのニューシネマに属するとされる作品群のラストシーンの中でも一際輝いて映る。
ジョン・バリーのテーマ曲と相まって切ない。
◆零れ話
◇ジョーのホテルの部屋。
テレビ画面で放送されているのは「ウルトラマン」。スカイドンやジャミラがちらっと映ります。
当時アメリカでの認知度も高かったのだろうか?
◇時代を感じさせるドラッギーなサイケ・パーティーの会場。
会場のエキストラの多くにポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホル(彼主催のパーティーという設定)のスタジオ、ファクトリーに出入りしていた面々が出演している。
アーティストだったり奇人変人だったりそのどちらかスレスレの両性器具であったり。
その中にはウォーホルプロデュースの映画作品群の監督を勤めたポール・モリセイの姿も........
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