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いかに与えられた「時間」を無駄に費やし、「現在」それ自体を大事に思っていないかということは結局のところ自分が一番良くわかっている。
過去に執着している訳でもなく未来に漠然とした楽観的観測を抱いている訳でもない。
ただ、節度を通り越した余裕に入り浸っていることを自覚している。
やるべきこはやっているつもりではいるがそれが本心にかなっていることであるかという意識・確信が今に至っても持てないとは何ともブラックジョークな。
あらゆる事象・物事その他。実に小さなつまらないことを気を奪われ、またそれらのことにより常日頃イライラしている。
今現在、その瞬間において既に避けることができ得る物に対して無駄に気をかけ、避けられないものに対して無駄に気を乱すとは愚鈍以外の何者でもない。わかっているようで意識出来ない。
今日?リッドを外してシナモン入れて口に注ごうとしたところリッドがカップにちゃんとはまっていなかったようで思いっきり服に零して取り乱しかけました。
街頭バンドの下手糞ボーカルの稀に見る陳腐な愛のポエムの前に無益に憎悪を覚える。
その前に「だったら立ち止まるなよ」みたいな。
普遍的物質を記憶せよ。そのごく小さな一部分が君なのだ。
また普遍的な時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬間が君に割り当てられているのだ。
さらに運命を記憶せよ。そのどんな小さな部分が君であることか。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
万物は長い時の中で河の如く絶えず流動する。
自然の理性に従って死すべき運命にある自らの存在、また世の中に存在する全てのもの(ストア派的に言えば善にも悪にも属さぬ中間的なもの)はかりそめに過ぎない。
という哲人皇帝マルクスの言葉であるが
このようなものの中で身に起こったことに対して気を散らしたり小さな不平・不満を漏らす事・「現在」を理性に従って善く生きようとしないことがいかに愚かなことであるか ということです|ω・)
ところで休日ってやつは無駄に人多くてカフェは入れないわ新種のインフルエンザウイルスの感染の危険があるわで|ω・)
ああ、それと平日バイキングが無い
取り合えず今一番欲しいルーチェプランのデスクライト。六万円。
イタリアン・デザイナーズインテリアは兎に角値が張る。
今すぐ買えないこともないんですが........ 少し考えてしまう。
デスクライトなんてそう買い換えるものでもないんでちゃんとしたの買いたいというのはやはりあるんですが。
この「BERENICE」(ベレニーチェ)と呼ばれるスタンドライトはルーチェプラン社のカタログの中でも人気の高いモデルでスタイリッシュな見た目はさることながら、動きの良い細いアーム・小型の台座という実に機能的で使いやすい側面も備えています。
ただ細部の部品は細かく、作りはデリケートなので衝撃には脆そう........
十一月も半ばを過ぎ、今年も残り少なくなってきましたが毎年寒くなってくると好きな季節なので無意味にテンションが上がってくるというのに今年はそんなことも無い。
焦燥感も無く、気分の上がり下がりが激しい訳でもなく、かと言って特別無気力という訳でもない。(と、自分では思っている)
精神活動が一種の休止モードに入りかけている、または意識的にそう求めていると言えばそうだろうか。
気分転換的なものもこれといってなく、(身体年齢的に)なんかもう歳なんでクラブ行こうなんて気も起こらないです。
それよりも全てを忘れて冬眠したい|ω・)
習性として冬眠できる動物が羨ましい
何故人間が生きているうえで「焦る必要性」というものが生じてしまうのだろう。
実に無駄であるし焦ることでしか得られない対価はその「短い時間分の価値しかない」というのが持論。
わかりやすい例を挙げるとすればそうだな、中高生の定期テスト前の一夜漬けの勉強。
悠長といわれようがマイペースといわれようがもう少し余裕があってもいいじゃないか。そう思う。
こんばんは。
蛍光灯の強い白色光が正直苦手なので部屋の照明は専らフロアライトに頼っているんですが愛用していたスタンドタイプのフロアライトが二ヶ月ほど前にちょったした事情でポックリいってしまったので暫くの間、メインライトが存在しない状態が続いていた。
なので今回新しく買った画像の三連ライトのタイプ。
先代のものが五連だったのでスペックダウンかと思いきや一つ一つのライトの光の強さが今回のものの方が強いので(勿論強度は調整可)全体的に見て以前より部屋が明るくなった感じですね。
あとライト部分のみでなく、アーム部分も自在に動くので即座に部屋のどの部分をも容易に照らせる。(前のは動きがそれ程良くなかった......)
構造そのものに無駄がなく、本当によく考えられたデザインだと思う。外見も洒落てるしかなり便利です。長く使えそう。
ところでチュニジア料理食べたい人とかいませんか|ω・)
ねえ?
熱帯アジアにツムギアリという大型のアリがいる。
可愛らしい外見とは裏腹に大きく強靭な顎と現地ではレモンティーの代用になるという程の強力な蟻酸を持つ獰猛なアリとして知られている。
自然番組は基本的にあまり好きではないんですが昔、ツムギアリを取り上げたドキュメンタリー番組で凄く印象に残っているシーンがあって............
所謂一般的な「芋虫」とは似ても似付かぬ小判のような形をしたチョウの一種の幼虫がツムギアリの巣の中にゆっくりと我が者顔で入っていく。
大抵の昆虫はまず、危険なツムギアリの巣に近づくことはない。
ところがこの幼虫は装甲なような硬い表皮によって体がガードされており、畳み掛けるツムギアリの攻撃をものともせずに巣の奥深くへと入っていく。
そして最深部の卵や幼虫のいる部屋に辿り着くとそれらを片っ端から食べ始めるのである。つまり、肉食性。
そして食事を済ませるとそのままアリの巣の中で蛹となる。
小動物すら近寄らないツムギアリの巣の中で無防備な蛹の状態を過ごすなどこれ以上に無い程安全なシチュエーションという訳だ。
なんとも図々しい進化を遂げた生物がいたものだと思ったものが。
「共生」 「共存」 等と言うのは所詮互いの利益が偶然一致した結果に過ぎない。
こんな自らの利益の為だけに他を利用する生物が自然の秩序の中でその存在を認められ、人間的な価値観では不道徳と取られる行為が「生存手段」としてなんの理不尽もなしに成り立っている。
自身にとってそれが価値ある行為である場合のみ実行に移し行動する、というのは生物の最も原始的な要素だと思うのだが........
こういう「冷酷」などといったものとはそもそも次元の違うマシーンの如く究極的なまでにミニマムな思考回路が(それが現代人間社会に適合するか同かはまた別の話として)時として刺激的に映る。
良くも悪くも、それは色々な意味で|ω・) 人間の感情の面倒臭さや上辺だけのギブアンドテイクに嫌気が差す時には常に。
ちなみに孵化する際は当然無防備な状態でアリの巣から這い出なければならない訳だが孵化したばかりのこのチョウの体は細かく粘着性の高い毛で覆われていてそれが報復に出たアリの顎に絡みつき攻撃を阻害する仕組みになっている。
巣の外に這い出て、羽根を広げて飛び立てば無事「脱出成功」となる訳だが..........
当然の如く脱出は100パーセント成功という訳ではなく、アリの餌食になってしまうケースもあるらしい。
ふむ.........
当然ながら他人を利用するということはそれなりのリスクを伴う事を覚悟せよというのもまた真理であるということか|ω・)
◆◆
November
寒気と共に空気も澄み始めたようで一年の内でも実にいい季節になった。
僕はというとまた寒い時期恒例の不眠症が再熱し始めて実に困ってます。
昨日も今日のスケジュールの為に早く寝付かないといけなかったというのにスナフキンのぬいぐるみ虐めながら あー ってなってたら明け方になってたみたいな。
そういえば昨日、高円寺のPlanet3rdが定休日でも無いのにクローズになってたんだけどどういうことかな?閉店?
取り合えず此処は客席が多いのがいいです。
ボタン一つで買えてしまう世の中。
生産性・速度は正に時代の象徴、現代の社会構造は徹底的に形式化されている。
マニュアル化され、それが機械的に実施されることで世の中は動き消費社会は機能するのである。
国内・海外問わず酷使される安い労働力によって支えられる利便性に富んだ快適な「スピード」の世界。(小林多喜二が売れてようが知らないがプロレタリア文学にのめりこんだ訳ではない!)
この極度に合理的な世の中が時として「異常」とも思えなくも無い。
が、
それ自体を否定しようにも与えられた物質文明の恩恵を捨てられないが故に人は従属する。
「最善」ではないが現実的な選択肢の中では最良であるという事に同意せざるを得ないからだ。
矛盾を感じても皆目を瞑っている。
毎日の自らの排泄物の行き先など知る由も無いかの如く。
.............
結局は僕もですが|ω・)
最近はというとどこかにショートコートでヴェスパに乗ったイカした子いないかなーとか思いながら過ごしてます。
しかし妙に寒い。
最近、朝カプチーノを飲むのによく使わせてもらっている某カフェ。
天井が高くてBGMの音も小さいし朝の時間帯は人が少なくてちょっと本読みながらまったりするのに適していて落ち着きます。
しかし、店のカラーがオーストラリア一色なのはどういうことかな?
国旗もかかってるし...........
出てくるカプはやや重めでバリバリにイタリアン・スタイルなんですが。
最近といえば寒いのか暑いのかはっきりしない中途半端な気候ので服装に困ってます。
早く感傷的な気分に落とすぐらい気温が下がってほしい。
オーバーな経済評論家は「世界恐慌」だなどと騒ぎ立てて何やら厭世的な気分にさせる不景気な話しか世に溢れていないが。
20世紀以降のアメリカ中心主義・資本主義経済が崩壊して本格的に現在の物質社会が行き詰まり、文明が今より後退する時代がいつか来るだろうか?とか最近は本気で思うようになった。
「人類が最も幸福な時代」と言われた帝政ローマですら内部・外部共に社会の「疾患」を抱え500年持たずに(真に安定していた時代は200年間)滅亡している事を考えれば
あながち陳腐な近未来SFの話でもない 気がしないでもない
Welcome 未来の暗黒時代 |ω・)
高校中盤位の頃には一番よく弾いていたかもしれないMYチェロ。
久々にケースから出してはみたんですが六年近いブランクに加えまったく手に触れていなかった時期だけでも四年位になるので指の感覚は残っているものの、全然弾けなくなっていた。
ピッチカートで少し弾いてみたり。意外と疲れる。
ジャズバンドでウッドベースとかやってる人って指の皮が異様に発達する訳だ。
そういえば指長いんだからベースやれば?とか色んな人によく言われたものだが.........
◆◆
これあんま見かけないんですけど僕の周りだけですかね。
期間限定物ってはなからスタンダードにしようって気がない一種の企画ものだから味を求めてはいけないと思うんですが
不味くは無いがパッケージのチャイナ服のリスが可愛いぐらいしか印象に残らない。
ようつべでPuffyのPVを懐かしくて色々見てたら何か曲が頭にへばり付いてしまって本読んでても勉強作業してても鬱陶しいぐらい脳内再生されてて離れない。
「アジアの純真」なんてほんと何年前だ?小学校の時にクラスの皆で歌った記憶があるんですが。
しかしこの人たちも今改めてみてみると当時は実に計算されつくした上で巧みにパッケージされ、「商品」としてレコード会社から売り出されたアイドルだったんだなと思うばかりである。
今でも一部でカルトな人気を保っていますが一発屋で消えなかったのはやはり幸運にも奥田民生のような自分の尻の下にしこうとしなかった良心的なプロデューサーが付いたことに起因しているのではないか。
アイドルって結局は現代消費社会の象徴の一つじゃないですか。本人が意思を失ってプロデューサー・レコード会社の「食い物」になった時点で「ミュージシャン」としては終わりなんですよ。
既にアイドルなんて呼べる年齢ではないにもかかわらずマドンナが今でも第一線で活躍し得ている例から見てもそれはわかる。
さて....... 今日も眠れない夜だ。
◆◆
カンボジアという国はインドシナの周りの国と基本的に仲が悪い。と、言うか敵意剥き出しというべきか。
まあ歴史的背景を考えればカンボジアの近代史といえばタイやベトナムといった大国の狭間で領土を侵食され、苛められ尽くした惨めな歴史であるし仕方が無い事でもある。
数日前に起こったタイ、カンボジアの国境地帯での武力衝突。
未だに両国間の軍部で協議が続けられている模様ですがやはり国境に存在するクメール遺跡の「取り合い」が背景にある様子。
そう言えば何年か前にタイの女優が「アンコールワットは私達のもの。返して欲しい」と発言したとカンボジアメディアが報道。カンボジア国内で暴動が発生するという事件もあったが。(結局はカンボジアメディアのまったくの誤報であった)
しかしこの国がかつてタイの支配の影響下にあったことは事実。
アンコール遺跡群が点在するシェムリアップ周辺の地方も元はと言えばチャクリ朝のチュラロンコン大王(ラーマ五世)がタイの植民地化を防ぐ為にラオスと共に「とかげのしっぽ」的感覚でフランスに割譲した領土がベースとなっている。
それが現在にも続く曖昧な国境問題にも繋がっている訳ですが。
しかしカンボジア人も内心たまらないだろうね。
カンボジア人、即ちクメール人といえば一時期はインドシナのほぼ全域を支配下に収める大帝国を築いていたたというのに今じゃ見る影も無い小国となってしまっている。
アンコールワット、アンコールトム、タ・プロームを初めとする壮大な仏教・ヒンドゥー遺跡群も元はクメール帝国の帝都である「アンコール」という一つの巨大な都市の一部であった訳だが15世紀にシャム(現在のタイ)の軍隊に都を攻略され、ジャングルに埋もれていく末路になった訳で。
シャムも元々はアンコール帝国の属国でクメール人からみればタイ人なんていうのは北から南下してきた田舎者に過ぎなかった訳ですが。
文明の黄昏とでも言うべきかな?こういう「堕ちた国」というものを見ていると海に囲まれた日本の他民族に国土を蹂躙された事が無い歴史が相対的に見ていかに平和であったかが見えてくる。
て、言うかこの国に大規模な石造の市壁を築く文化が芽生えなかったことからもわかることだが。
そういえばタイに行った時に中国系タイ人のお姉さんの案内でバンコクのワット・プラ・ケオ(タイの王室寺院)を見学しているときに境内にアンコール・ワットのミニチュアが作られていたのを見たのを今でも鮮明に覚えているのだが。
タイ人も心の底では自らが駆逐したクメール文化に対するコンプレックスがあるんじゃないのか?と少し思ってしまった。
て言うか女の子から見てああいうのって憧れるものなんですかね?
相変わらずああいう欧米系ハーフ顔でコネで歌も歌えて「アーティスト系」(それも少し嫌な言い方だな)を名乗れるマルチなモデルが持て囃される現状。
結婚・芸能活動休止宣言でここぞとばかりにリア・ディゾンが叩かれているが
あの子はスイーツ(笑)とかと言うより空気の読めないただのお馬鹿って感じなんで特になんとも思わないんですが。
実に丁度いいサイズのゼラニカを見つけて思わず立ち止まる。
そうしているとプラントショップのお姉さんが喋りかけてきて 「すいません..... これご予約品なんですよー」
がっくりきた|ω・)
夏前だったかな...... Jungle Collectionで陶器製の鉢の形状よし、大きさも申し分ないゼラニカを見つけたのだが.........
次の日に売れちゃってました。この手のいいサイズのものはやはりすぐ無くなってしまうようです。
パキラやアレカヤシと並ぶ観葉植物の定番中の定番、サンスベリア。
スタイリッシュな外観もさることながら、元々乾燥地帯の植物なので水も日光もそれほど必要なく生きていける程のふてぶてしいシブトさを持っている。
そんな非常に丈夫であるということから「育てやすい」という点もまた人気なのかもしれない。
また、近年では「マイナスイオンを出す」という事で宣伝され、ミーハーにオオウケしたとか。どうでもいいですが。
そんなサンスベリアも定番の剣状のものを初めとして棒状のものや小型でやや葉がラウンドしたものなど実に様々な品種・形状がある。
中でも飛びぬけて有名なのは「ローレンティ」と呼ばれるものでカフェやオフィスで見かけることも断とつで多く、サンスベリアと言うと大抵これを指す事が多い。(トラノオとも呼ばれる)
剣状で縞模様が入り、葉に黄色い縁がかかってるあれです。
前述の「ゼラニカ」というのは僕が今探してる画像のタイプなんですが一見ローレンティに似ているがこちらは黄色い縁が無く、また前者と比べて葉の歪みが少なくよりスッとしたシルエットが特徴的。
名前の通り鮮やかなゼブラ模様、色も控えめで上品なグリーンで男性に人気のある種類らしい。
ローレンティだったら何処でもいくらでも見ることが出来るんですがこのゼラニカはショップを探しても中々出て来ない。
店のお姉さん曰く今市場にもそれほど数・いい形状のものが出回っていない為、いい鉢が中々作れないようです。
今回のショップで入荷次第連絡をもらえるということで予約を勧められたんですが(何ヶ月先かわからず)なんていうかこういうのはやはり自分の目で見て決めたいじゃないか|ω・)
ちなみに現在僕の部屋にあるサンスベリア。
ローレンティの変種で「ブラック・ゴールド」と呼ばれる種類。(実は割とレアなタイプ)
ローレンティの色素が濃いもので縞模様はあまり見られず、金と黒のコントラストに見えなくも無いことからこう呼ばれる。
スプリングコートのスニーカーが兎に角大好きだったりする。
合わせ易いシンプルなデザインであまりスポーティーな感じもせず、いかにもフランス的な(そういやジェーン・バーキン、セルジュ・ゲンズブール夫妻もよく愛用してましたね)洗練されたフォルムもさることながら兎に角履き心地が抜群にいい。
長く歩いても足にそれ程負担をかけないクッション性の高い厚いソール、コンバースよりもしっかりした丈夫なキャンバス地。
自分みたいなウォーキング派にとってはヘビーユースするのに申し分ない。旅行には正に必需品。
で、三代目にあたる画像のものですが..... もう限界を迎えたようだ。
薄汚れてからはバイトの作業用に使ってたんですがもうあちらこちらが破けていて流石に引退時かな......って感じです。
此処まで徹底的に履き潰したのも始めてかも。今までご苦労であった|ω・)
取り合えず同じモデルで黒二つに白一つ欲しいです。これだけは何足あっても困らない。
◆◆
ところで........
チャールトン・ヘストンといい、ポール・ニューマンといい今年も大物が立て続けに亡くなって寂しさを感じていたら日本では緒形拳が先日亡くなった。71歳。
緒形拳と言うと自分としては「毛利元就」(小学生の頃のNHK大河)での尼子経久が強烈に印象に残っている。「.......首を撥ねろ」とか。
こういう「風格」を備えた演技派俳優って日本のテレビ・映画界でも本当に少なくなってしまったと思う。残念です。
そう言えば何時の間にか「太平記」の完全版DVDが発売されていた模様。
大河史上最高傑作とまで言われながら何で完全版でDVD出ないんだろうとずっと思っていたが漸くか。
リアルタイムで見た世代じゃないんで総集編と再放送で数話見た程度なんで本当に待ちわびていた。勿論買います。
OPの重厚な幕開けから感じられるますがこの頃の大河は最近のフヌケ大河とはやはり風格が違う。(宮崎あおいと堀北真希で視聴率稼いでるのなんて早く終わらせてくれ........)
舞台となっているのは鎌倉末期から南北朝期に至る勢力構図が非常に複雑な時代であり(日本史の中で一番面白い)、かつ皇室が深く絡む日本史の中でも一種のタブーであってこれから映像化されることも殆ど無いと思われることから非常に貴重な大河でもある。
ちなみにここでは緒形拳は足利貞氏を演じています。
不味い。
はっきりいって不味い。
て言うか味以前にヘヴィー過ぎて食べてて気持ち悪くなります。(珈琲にもそれ程合わない)
正直な話こんなもの食べてたらデブになる。
しかし雑貨屋などの輸入菓子コーナーは地雷原エリアとわかっているというのに何故か手を出してしまう。
お勧めあったら教えてください|ω・)
◆◆
昨日の夜は友人の恋愛話に付き合っていた。
一方的に聞く側に回っていたんですが何やら本格的に恋の病とかで「今まで会った人の中で一番ヤバイ」とか「会話の一つ一つが頭から離れない」だとか病的っぷりを遺憾なく伝えてくれた。
なにせ付き合っていた彼女と夜の駅に置き去りという古い手法で別れたらしい。
僕自身は此処一年近く恋だとか一目惚れに(本当の意味での.....?キモい言い方をすれば胸が苦しくなるほどのレベルの?何ていうかこの手のものに冷めてしまいました。多分老けだ、間違いない)無縁なので共感のしようも無く、「じゃあアプローチすればいいのに」の一本で。
て言うか恋の悩みを抱える人はその問題の本質が実に単純なものであるのに複雑怪奇に悩み、更に具体的に「じゃあどうなのか」 「どうしたいのか」という点をはっきりと表現しないので相談しようにもどうすればいいのだ|ω・) 困ったな
下の記事の飲みの時もそうだが.........
最近多いのだが........
「放浪しちゃえば?」とよく言われます。
それどころか「放浪しちゃった方がいいんじゃない?てか絶対出た方がいいよ」とまで言われた。
僕が普段から思い出す度に「放浪したい」とクドいまでに発言しているからなんですが。
「全てを投げ出して衝動のままに旅に出る」っていうのも古臭くて中二病的でベタといってしまえば確かにそうかもしれない。(最近その手のサブカル本もやたらと多いし)
別に自分探しだとかそういう陳腐な目的を求めているわけじゃない。
ただ、純粋に若い感受性がまだ残っている内に長期間の旅をして色々見てきたいってだけなんですが。
ツアー旅行のような「快適」な旅は求めていない。色々と苦労して若い経験として記憶に焼き付けたい的な。
アムステルダムから北東ドイツを横断してプラハ・ウィーン・ブダペストの中欧三都を通過、そのままバルカン半島を南下してトルコのイスタンブールまで至るルートは二年位前から構想していた。
今まで行ったことのない国・地域が集中しているというのもあるし東欧は比較的お金がかからないからというのもある。
しかし過去にドイツのプチ放浪旅で大失敗した覚えがあるんで不安があると言えばあるんですが........
まあ現実的に考えればもう少し周りが落ち着いてからかもしれないですが
取り合えず二十代の内には絶対にやりたいと思ってます。
(そう言えば南米横断も凄くやってみたい。もろに「モーターサイクル・ダイアリーズ」の影響で)
前から気になってるんですがスタバのBGMのセレクトっていったい何処でやってるんだろう。
この手のカフェチェーンの中では結構センスいい方だと思います。(タ○ーズはジャズ・スタンダードばっかだしエクセル○オールはベッタベタなボッサ、フレンチばっかだし)
基本R&B、ファンク、レゲエのスタンダードナンバーが多いような気がするんですがたまにAugustus Pabloとかかってて凄くびっくりする。
この間の週末は早朝のスタバで勉強・作業。
早朝のカフェというと人が少ないのが故の静寂がいいというのにカチカチカチカチと..........
手に持ったPSPの画面に熱中しながら鼻息荒げている客が一人。
正直すごいストレスが溜まるしイライラする。(モンハンですか?どうせ)
こんなことでイライラしているようじゃどうしようもないな。
気が付けば自分も来年でもう24で二十代中盤戦なんですが歳を重ねても「品性」だけは失いたくないと常に思っている。
だから日頃から
・中正であることを重んじる
・何事においても「足る」ことを知る
・怒らない、笑顔でかわす
といったことをモットーにしているのだが(いや、ネタでは断じて無い......つもりではある)
ついこの間、ちょっとしたことで姉にマジギレしてしまいました。(ちなみに姉とは現在別居中)
態度に露骨に出しはしなかったものの少々荒れてしまいまして。
大人気なかったのはわかっているが人を舐め腐ったano態度を思い出すだけで怒りがぶり返す。
はっきりいって人間性を舐められるのだけは我慢がならない。
老けても失ってはならないものに「品性」と形だけではあっても「自尊心」も付け加えておこうか|ω・)
何時の間にか日が沈むと肌で秋を感じるような時期になった。
この時間帯だともう半袖も必要ない。
最近夜の買出しとかでプチ外出する際にラフに羽織っている長袖カットソーがハイブランド物だったりするのだが。
多少肌寒くても一枚で着れる適度な厚さで着心地良くて室内でも手頃に着れるから実に便利。
なんかもうブランド物とか関係ないって感じですね。
所詮服は服でどれ程付加価値が付こうがそれ以上の存在では無いのである。
◆◆
ところでふと思ったが
「フランス料理って例えば具体的に何?」と聞かれてちゃんと返答できる日本人がどれ程いるだろうか。
大抵はブイヤベースくらいしか答えられないんじゃないかな。
後はフォアグラやエスカルゴ辺りの食材程度。
西洋各国料理全般に言えることかもしれないがフレンチだのイタリアンだのと名のつくレストランは星の数ほどあっても多くの一般人はその本質なんて理解していないのである。
あれだけメジャーなカテゴリとして揺るぎ無い地位を築いているにも関わらず。
下記は実に乱暴な言い方だが|ω・)
イタリア料理=ピザ・パスタ。オリーブオイルベース。デート向け。
フランス料理=小皿の小奇麗なコース料理。デート・接待向け。
程度の認識だろう、ぶっちゃけた話。
と、なるとそうった大衆認識の存在は国内に星の数ほどある西欧かぶれの気取った店やカジュアルレストランの功罪だと思うんだけどもどうですかね|ω・)
そもそも「フランス料理」なんて強引なカテゴリが存在すること自体驚きだが。
「ブルゴーニュ料理」 「プロヴァンス料理」 のように地方ごとに細分化しても尚、その内容は実に多彩であると言うのに。
余談だけども.....
何だかんだでヨーロッパで一番飯が美味いのはフランスだと思います。
過去に旅行した国の中でもフランス料理だけは朝昼晩毎日食べさせられても本当に飽きなかった。(和食欠乏症にはなりますが)
南部とかのほうだと前菜(サラダだったりスープだったり)後のメインが大ボリュームでドカッて豪快に出てきたりしてフレンチの小奇麗で貧弱なイメージが吹っ飛びます。
そんな当ブログ著者の夕食兼夜食はレトルトタイカレー。
例によってまたヤマモリ。
無印のタイカレーのキットは少し前は美味しかった気がするのだが..........
今売られているのは全然駄目。
時間に追われ、その強迫観念に束縛されている我々現代人。
厨房的な発想かもしれないが冷静に考えてみれば狂気の沙汰としか言いようが無い。
「計画的に練られた規則正しい一日」
が現代人のライフスタイルの模範であり立派なものであるあるというのか?
だとすればある側面から見れば悲劇。
「甘え」 と捉えられようが 「現実逃避な老荘思想的傾向」 と捉えられようが
僕にとってはもっと気分的でマイペースな生活こそ理想であり憧れである。
と言うか今でも周りからはマイペース過ぎるって言われたりするんですが..... 困ったな
オランダ名物?のトフィーワッフル・サンド。
煎れたての珈琲のカップの上に置いておくと熱気で挟まっているバター・トフィーがとろけてきて出来立ての食感が味わえると言うものなのだが........
要は柔らかくなるだけじゃんみたいな。
ダッチのお菓子ということで大して美味しいわけでもない。
でも食べ方としては洒落てるじゃないですか。それだけだけど。
ちなみに画像のはCake Box Cafeのもの。
同じオランダ製のものでもっとワッフルのサイズが大きいのがあるんですが(社名忘却)そっちは挟んであるキャラメルがクド過ぎて苦手だったな.........
偶然、権八の西麻布店を初めて至近で拝む。
デカイ。一言で言ってデカイ。
画像だとあまり大きさが伝わりにくいですがいきなり目の前に現れたときは「なんだこの怪しい館は!?」って思ってしまった。
確か小泉とブッシュの夕食会が行われたとこですね。敷居高いわけでも無いのに........
それにしても妙にでずにーらんどのアトラクションチックに見えたな此処。
内部でゴンドラ動いててもおかしくないみたいな。
先日久々に観た「さらば青春の光」。
それ程好きな映画というわけでも無いのに何故か持っているDVD。
WHOのコンセプトアルバム、「四重人格」(Quadrophenia)をベースに過ぎ去りし60年代のモッズ・カルチャーを振り返った作品。
当時Policeとして活動していたスティングがスクリーンデビューしていることでも知られています。
思えばこれが公開されたのが70年代末。ポール・ウェラー率いるJAMの登場とも相まってこの映画の公開はモッズ・リバイバル(俗に言うネオ・モッズ)の起爆剤となった。(ほんとなんですかね?)
同時に、日本において当時勘違いモッズを生み出した元凶の一つ。日本人がモッズファッションの物真似したってコスプレにしか見えません。真面目な話。
モッズコートなんてアイテムもあるぐらいで「モッズ」というと何かとファッションを第一に連想する人が多いかもしれない。
細身のスーツに軍用コートでキメてイタリア製スクーターでロンドンの街中を駆け回り、夜な夜なクラブめぐりをしてたような連中.....っていうのが一番ステレオタイプなイメージかな?
要は60年代のイギリスのユースカルチャーの一つなんですが「アングラなカルチャーマニア」 「人と同じは嫌だ」 「反抗精神こそ生き様」 などの要素がポツポツあるため
要 は 中 二 病 じ ゃ ん
って思う人も多いかも。特にこの映画を見た後では。
何が正しくて何が間違っていると一概には言えないかもしれないが、しかし偏ったイメージのみで語られてしまっている側面も多いと思う。
音楽に限定していえば「アメリカの黒人音楽に憧れた英国白人の若者達」がモッズのルーツである。
モッズ達の好んで聴いていた音楽といえば50年代のジャズやR&B、ソウルといった類(60年代にはスカやロックステディなども)であって実はオリジナルな形でのモッズ・ムーブメントは60年代中期前頃には既に終焉してしまっていたらしい。
つまりその後に台頭してきたWHOやKinks、Small Facesといったブリティッシュ・ビートは本来のモッズたちが聴いていた音楽ではないということになる。
彼らの音楽の多くは現在でも「モッズ・アンセム」として語られることも多いんですが。
さて、今年11月はWHOが初の単独来日ツアー。(実に40年以上の月日が........)
これ程のビッグネームの日本ツアーが今まで一度も無かったと言うのも驚きですが。来日自体も2004年に一度のみ。
日本では今ひとつ一般知名度が低いですがビートルズやローリング・ストーンズと並んで最も有名なイギリスのロックバンドの一つです。
ピートはギターを床に叩き付けて派手にブッ壊すはキースはドラムを爆破するは「楽器破壊」の過激なパフォーマンスで有名で元祖パンクとも言われる。
また、社会に対する反抗精神むき出しながらも若者の繊細な心情を代弁したピートの歌詞に対する評価も非常に高い。
前述のとおりモッズビート・バンドとして知られていたりするんですがその傾向が観られるのはごく初期のみでピートいわく当時はモッズウケをワザと狙ったんだそうです。
1stアルバム 「My Generation」はR&Bを荒々しく解釈しましたってなようないかにも英国臭くてモッズが喜びそうなガチャガチャサウンドであったがそれ以後、彼らの音楽性は回数を重ねるごとに小奇麗になっていく。(ステージ・ファッションもモッズスタイルじゃなくなる)
まあ元々アメリカ志向なバンドだった訳で。
ちなみにそこまで特別好きって訳でもないしメタボ化したロジャーとピートの絡みを観てどうすんだ?って感じなんで僕は武道館行かないですが。
「キング・オブ・ファンク」、再結成のSly & the Family Stoneが今月末、東京jazz2008においてまさかの初来日。
今になってやっぱチケット取っておけばよかったかな.........と多少後悔している。
スライももう歳だというのに元気ですね。
ちなみにアルバムはベタながら断然「There's a Riot Goin' On」(暴動)派です。
「無人島に持っていく十枚」を選ぶとすれば取り合えずこれは決まりだ。
まだ一山暑さがありそうではあるが最近妙に秋らしさを感じるようになったこの頃。
手頃にラフに羽織れるシャツジャケットが欲しくなってきた所ですがいま頃になって東ドイツ軍のワークジャケットが一枚欲しい。
しかしあからさまにサイズが大きいので合うサイズが中々無いという。それに元々とうにデッドストックの代物なので年々未使用の流通数も少なくなってきている模様。
ミリタリーウェアの定番モデルの一つともなっている東独のジャケット。
DDRもの全般に言えることですが兎に角無駄が無く、シンプルの一言に尽きる。
ワークウェアで知られるKEMPELにしろ、Stephan SchneiderやFrank Lederと言ったドイツのデザイナーズブランドの全体傾向にしろ、国民性が反映しているのかやっぱドイツ人ってああいうの好きなんでしょうね。
即ち 「ミニマムで機能的で丈夫」
特にミリタリー系のものなんかで見られますがポケットやジッパーの無駄遣い。
あれってどうなの?
まったくついてないぜ
オーダー後に戻ったら窓の外であまりに突然にドー!!!って降り出したんで一人しかいないというのに軽く「Shit!」なリアクションとったら前方に座っていたお姉さんにチラ見された。
「O型自分の説明書」を読んでも自分に当てはまる所なんてあまり見つけられなかったが「身振り手振りが大きい」というような箇所があったような。
だとしたら言えてるかも。(そう言えば「効果音をやたらつける」というのもあった。上文でも表れてしまっていますが)
陰鬱な天気に合わせて陰鬱なニュースばかりが入ってくる。
バイト先の店舗の元バイスマネージャーのお姉さんに久々に会ったんですが心身疲労の影響で七月中に二回倒れたということを聞いていたので心配していたら意外とピンピンしていたので大丈夫そうだなと思っていたら........
次の日に耳に入ってきたのは「ドクターストップによる一ヶ月の休養」
駄目じゃん.........
やはり仕事は自由など齎さない。
そう言えば最近ラッセンの絵にミッキーとミニーが描きこまれたポスターを数点見かけたんですがなんなんですかねあれは。
「コラボ」ってやつだとは思いますが正直ディズニーもラッセンも嫌いな自分。
考えてもみて欲しい、可愛くも無いキャラクター(Mっ禿げの鼠の何が可愛いのか)によるバブルガムな頭悪い世界とラッセンのゴチャゴチャ欲張りなマリン・ファンタジー世界の融合だ。
極端にクドイ世界観を一つにする趣味の悪いハンバーガー的思考がやはりアメリカン。
アイスカフェラテを頼んだちょっと行儀悪めのお姉さん。
財布から小銭を取り出す指をよくみると(と、言うかあまりに目立つのですぐにわかる)ヴィヴィアンのアーマーリングとナックルダスターを両方付けてる事に気が付く!
この手の痛い天然記念物いるとこにはほんとにいるもんだなと引く反面関心してしまったが即座に頭の中に浮かんだことは一つである。
お姉さん頼む 付けるんだったらどっちか一つにしてくれ
さて、開会式が行われ、漸く五輪の幕が明けた訳ですが僕は相変わらず五輪の「開会式」 「閉会式」というものが嫌いです。
何がってあの偽善臭くて鼻につくコスモポリタニズム。ウンザリしてんだ。
「プロパガンダとしてのスペクタクル劇」とまで言ってしまうのは少し表現が過ぎるかな。
そもそもあんなものスポーツとは何の関係も無い、金にものを言わせた国家パフォーマンスではないか。何が面白いというんだ。
最後の方少し見ましたが四時間以上に渡って延々とやっているので何か呆れてしまった。
競技種目などにおいて五輪の規模縮小が叫ばれている今、開会式ももっと短く、スタイルをよりシンプルに戻すべきだ。違うかな。
NHKのアナウンサーも碌な事を喋りやしない。
五輪は「戦争」とは無縁の世界なんたらかんたら........... その精神を大切にしていくべきうんたらかんたら........
何処かで聞いたような頭悪そうな綺麗事の羅列。
「戦争」をどう定義するのかにもよるがあくまで広義に捉えれば五輪も形を変えた「戦争」だろう。
メダルの数がその国の威信を示しているとすれば。
正直な話スポーツに美談はいらない。特に民放だがテレビ局の臭くおしつけがましい広報戦術がこれから山ほど控えていると思うと本当にゲンナリする。
「感動をありがとう」なんて嫌らしい表現誰が使い始めたんだ。
最も嫌いな文句の一つだ。
背景としてドラマチックな要素がまったく不要である、と主張したい訳ではない。
ただ、もう少し客観的でシンプルな中継というものが出来ないものかなと思う。その程度なんです。
(例として最悪のスポーツ中継例を挙げておきましょうか。民放のバレー)
改めて思ったが
カルーアミルクが居酒屋のメニューにあるのが信じられない。
邪道というかなんというか、フードメニューと壊滅的に合わないからだ。
特に 石焼ビビンバとの組み合わせがここまで最悪とは思いもよらなかったが。
それ単体は好きなんだけども。
カルーアミルクが食欲を奪ったは言わないが最近暑さのせいか食欲が本当に無いです。
もうなんか一日一食で十分やっていけている。
しかし一方でそれは単に体が求めていない訳であって栄養分が不足しいるとは思わない。
てか僕が思うにですが人間若干腹をすかせている状態の方が健全だ。
常に「満腹の状態が約束される」先進国のライフスタイルの現状そのものが「異常」なのだ。
人間ってのは何処までも自分を誤魔化せるから結局は環境に慣らされてしまうんですよ。
イスラムのラマダンって割といいんじゃないかな。国単位で少しグレード緩めた感じで施行すれば。(それは少し冗談入っている かもしれない)
まあ上記みたいなこと本気で言ってたらエスカレートして拒食死する人間出てきそうですが。
しかしほんと極端なデブが生まれるメカニズムがわからない。あれって本当に自制心とかストレスとかそういう問題かな。
豊食の時代という環境が生んだ突然変異種としての産物って言ってしまっていいですか。
ここ数年、ロンドンで人気というエナジードリンク(FIREFLY)
自然派志向の栄養ドリンク?といってしまえばいいんでしょうか?
ちょっと前までは日本では中々手に入らなかったと思うんですが今ではナチュラルローソン等で手軽に購入できる模様。
「Chill Out」 「Wake Up」 「De-Tox」 等のフレーバーがカラフルなボトルカラーで色分けされているが本当にそういう表示どおりの効果があるのかどうかを栄養ドリンク一般に求めるのはナンセンスというか まあ 暗黙の了解ですか。
また砂糖・添加物等を一切使用しておらず、果汁とハーブのみで調合されているらしくナチュラルでヘルシーな点が売りとなっているらしい。(でもこれ、自然水の占める割合が多いようだが...... 果汁は50%未満)
しかしこれが向こうでウケている最大の理由はそのデザインから生まれるイメージの良さじゃないだろうか。
ビン一つをとってもそのままちょっとしたインテリアとして使えそうな程レベルが高い。
以前ヨーロッパの栄誉あるデザイン大賞を受賞したという英国製ミネラルウォーターのボトルがあったんですが(僕の手元に一本未開封のものがある)市販のドリンクビンとは思えないほどブルーの発色、ビンのスマートなフォルムが見事でイギリスもこういう生活雑貨のデザインセンスは北欧に負けず劣らず高いな....と関心してしまったことがあった。
しかし原価もそこそこなのであろうが流通ルートの問題もあってか値段がかなり高い。
330mlのビン一本で500円ほど。
しかし値段に見合うメリットはない。
あまり美味しくない。
健康志向ものに美味いものなし。
もう自己満足でやってくれ開発者
堕ちたな自分も........
コーヒー豆が米国からの輸入物だったり(つまり自国焙煎ではない)、ラテの作り方がこれってほんとシアトル系?と思ってしまう程アバウトだったり不満点も多いものの
スタバが他のチェーン系カフェ(タリーズだったりエクセルだったりセガフレードだったり)と比べて際立って優れている点としてやはりグッズ・タンブラー類のデザインセンスの良さが挙げられると思います。
実際ファン、フリークが多いのもこの点だけは頷ける。
それに比べてタリーズ、エクセルのパターンの少なさ、地味さは脱力物なのだが。(ほんと泣けるポイントだ)
しかしタンブラーは特別メリットが多いわけでも無いので持たないことにしていたんですが.......
スタバのキャッシャー横の棚に並んだ今夏の新作もの眺めてたら
シロクマ君に一目惚れしてしまって画像のタンブラー買ってしまいました。
グランデサイズしかなかったけど........(このデザインそのものが)
これもって自店舗遊びいこーヽ(´・ω・`)ノ
それにしても広尾のスタバ(広尾通りの方の店舗)のクオリティには脱帽してしまった。
一見デザイナーズ建築っぽい三階建てで全階喫煙テラス完備。それも多くの店舗と違い割と広いテラス。
座り心地が物凄くいいソファ席も多い。学生が居座りに集まるのも頷ける。
やっぱ求めるカフェってこうだよな.... と思ってしまう。
要はミニマルシンプルでいんです。環境がよければ。
◆本日の一枚
Roni Size / Reprazent 「New Forms」
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