[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
気が付けばジーンズの股の部分が
C R U S H !
してました。
まだ糸で部分部分が繋がっているので「穴」という程酷い状態でもない。
まあスキニーのうえにただでさえ穴が開きやすいと言われるヌーディー。
お気に入りだったのでもう三年近くヘビーに履き込んでいたのでいつこうなってもおかしくなかった訳ですが。と、言うよりもかなり遅かったくらいだ。
早いうちにリペア出さないとなこれ。まだまだ履き潰す気満々なんで|ω・`)
◆◆
友人に誘われて久々に神谷町の「ニルヴァナム」に行ってきました。
都内でも意外と数の少ない南インド料理専門店。(まあ多くが一部北インド料理も扱っているが.....)
此処はデイナータイムには訪れた事がないんですが取り合えず平日のランチバイキングの質が凄く高いです。「平日の昼」のみなので中々行けないと言えばそうですが........
訪れた時間は昼時を少し過ぎていたけどこれでよかった。
ランチタイム真っ只中は結構ごったがえしてます。
カレー・惣菜の種類も豊富でしかも日替わり。ナン・ライスも勿論用意してある。(確か日によってはビリヤニまであった。)
バイキングとしては味もしっかりしている方で特にマトンカレーは辛さも味の濃さも本格的。
ドリンクが付かないとはいえこれで1300円はやっぱり安い。
ゆったり時間があるときにはお勧めです。
↑
タピオカや木の実?等が入ったココナッツミルクベースのデザート。
不思議な味がする。
アメリカの食生活事情も多少なり変わってきてるんだなと思う。
何ってこのポテトチップス。
ノンフライで超少量。アメリカ製とは思えない。
デカ袋のスナック菓子を食べきってしまうのがアメリカンだと思っていたがやはりこれも近年の健康ブームの影響か。
ちなみに味は不味くも無いがそこまで美味しくもないです。
こんばんは。
ここ数日腰痛がまた酷い爺です|ω・`) 相変わらず寝起きが辛い。
精神的には永遠の19歳を自認しているが身体年齢は実年齢+5で加速中。
笑えないな。
◆◆
最近見た映画
地球で最後のふたり
2003年
浅野忠信主演、いかにもといった感じの一時期のアングラ邦画臭漂うタイトル。少しベタなタイトルといえばそうかも。あと手が広いというか浅野忠信はほんと多作だな........と思う。
しかし監督・脚本・製作サイドのスタッフはほぼタイ人というタイ映画な本作。
「一人で見る時」向けの映画。
病的なまでに潔癖症、そして自殺願望のある内気な主人公。
男のことで妹と揉めた勝気な姉。
方や取るに足らないと思っていた兄を亡くし、方や反目しあっていたとはいえ大事に思っていた妹を亡くす。
二人がであって互いに惹かれあっていく。
というような話ではあるがこれだけ聞くとベタなラブストーリーに思えなくも無いが露骨な恋愛もの的描写はあまりなく、Hなシーンも殆ど無い。何処までも淡白。
評判が良かったので観てみたんですがクリストファー・ドイルの映像は非常に綺麗なんですが内容に関しては正直まったく感情移入できませんでした。
そしてムード・ムービー的なクドさが悪い意味で結構ある。そして悪い意味でタルい。
あえてであろうが浅野忠信の演技も悪い意味でぎこちない素人っぽさが出過ぎててなんかあまり好きになれない。一部べた褒めする人々がいるみたいですが理解出来ない。
そしてラストも唐突。て言うかこれで終わり........?と思ってしまった。
話の流れ的に矛盾のあるあのラスト。カットバックで切り替わるノイの大阪での姿は主人公の妄想なのか近い将来の描写なのかよくわからず。
また、主人公の自殺願望の動機やバックボーンなども殆ど語られずに終わるのでその消化不良な幕引きによりもう何がなんだかわからない。
結局何が言いたかったんだこのストーリーは。テーマの一つであろう「虚無的な寂しさ」なんて殆ど伝わってこなかったんですが。
と、アンチな事を並べ立ててしまいましたが........
美意識に基づいて「手堅く纏められている映画」という印象は凄く感じた。
前述の浅野忠信の演技も映像の雰囲気を壊さずにコンパクトに収まっているしアンビエントな音楽も映像と噛み合ってて凄く良かったと思います。
過剰な描写も少なく素朴、全体的に互いを相殺するような要素が無い。<ヤクザのシーンを除けば>
個性、そして「監督の拘り」が感じられる分近年の観るに耐えないレベルにまで堕ちてしまった邦画よりかは断然いい出来であると思う。
しかしじっくりまた観たいとは思わないな.........
そういえば先月は事前に遠出するつもりで予定立ててたんですけど結局無理でした。
一番の理由はレーシックで予想外の大出費をしてしまった為。
なにせ一番高いところの(それだけ信頼は置けるが)一番高いカスタム手術をしたので...........
後に友人から「品●クリニックでも良かったんじゃないの?」と聞かされて正直「そうかも.....」と少し思わないことも無かった。
が、命に関わらないとはいえ一生ものの手術だったので最先端のカスタムで受けて最終的には良かったかなとは思っている。
と、言いつつ余談ですがレーシックを無理には薦めません。
まだ若い手術であるが故に発展途上であるのと同時に術後の眼球に対する影響も実質わかっていないことが多い。確かな事といえば老眼が比較的早期に来ることぐらいか。
嫌いな言葉ではあるが手術を受けるのも「自己責任」という事になる。ただ、本当に感動するほど裸眼でよく見えるようになります。
◆
何やら昨日の夜はBS(だったかな?)でシスティナ礼拝堂を中心にバチカンの特集のようなものがやっていた。
イタリアに初めて行ったのは小5の時だったけど思えばバチカンの中に入ったのはあの時だけだな.......
思えば小学生・中学生がヨーロッパなんて生意気・おませですよね。自分でもそう思った。
あの頃は古代美術・ルネサンス芸術に対する理解なんてまるでなかったのでバチカン美術館も退屈だったしラオコーンぐらいしか印象に残っていない。
システィナ礼拝堂は人が多過ぎて「!!!」だったしラファエロの間に至っては「そんなのあったっけ?」状態。
ヨーロッパに限らず海外旅行は一人、或いは少数の友人とフリーな状態で長期旅行できるようになってからで十分だと思います。
ツアー旅行なんて絶対駄目です。個人的にはお勧めしない。
短期間に広範囲を効果的に回れるからいいという人もいるが結局は真理としてその程度の浅い密度の旅しか出来ないという事だ。
ツアーが駄目なのは「街を自分の視点・角度で見る」ということが殆ど無い事。(街を見るというよりは「その町の有名な教会・美術館を見ている」という感じ。そして時間に制約のある言い訳程度の自由行動には意味も無い)
そして旅の苦労を忘れる事。これがなければ長く記憶に残る旅にもならない。
快適・合理的な旅なんて老後でいいよ。自分のような若造は 歩 け ! そして困れ
ところでバチカンでは最高に嫌な思い出が第一にある。と、言うよりトラウマですね。
その日、ハーフパンツを履いていたのでサン・ピエトロ大聖堂に入る前にスーツ姿のイケメン監視員に止められた。
頭を軽く振りながら冷徹な表情で「帰れ」とでも言わんばかりに指であしらう彼。
ローマ・カトリックの総本山たる場所だけに兎に角訪問者の服装・身嗜みに煩いのが此処。(夏場は女の子は過度の露出・靴に注意しよう)
一緒にいたサングラスをかけたイタリア人のオバサンが口論してくれてなんとか入れたんですが後から聞いた話によると「この子はカトリック教徒で(大嘘)遥々日本から来たのに此処で帰れって言うの!?」と、突っかかっていたらしい。
で、イケメン監視員も折れて「見てないから、ほら、行け」っていう感じで通してくれたらしい。
今思えば笑い話だがあの時は幼かったので動揺していて入った直後も壮麗な内装に素直に驚く精神的余裕が無かった。(ミケランジェロのピエタも見逃した!)
あの事件以来、ハーフパンツが大嫌いになった著者。
そう言えばバンコクのワット・プラ・ケオでも同じ体験したな........
あの時は足の肌を見せていけないのは男性だけという意味不な仕様に対して、また現地の男性は普通に足露出して入っていたので理不尽を覚えたが|ω・`)
冒頭から爆弾発言だ。
更に言えば
オーダーしたカルビクッパを「凄く辛くして下さい」って言ったらオーダー確認のときに
「カルビクッパ超激辛で」
とか言ってくれました。反応したよこれは。
<そういう時ない.......?>
◆◆◆
最近見た映画
TAN DE REPENTE
「ある日、突然」
2002年 アルゼンチン
「ねえ、ファックしよう」
と、 『突然』 レズのカップル、マオとレーニンにナンパされ、拒絶したかと思えばナイフで脅され拉致られる嵌めになった肥満体のマルシア。
タクシーを強奪し海に向かう事から三人の不思議なロードムービーが始まる。
自由奔放な二人に振り回される中で平凡な普段の生活の中では他人に吐き出す事が出来なかった心の傷が剥き出しになっていくマルシア。
一方でマオとレーニンにも『突然』な出来事が降りかかってくる。
ヴェンダースっぽいと聞いていたんですが作風そのものはモロに50、60'sヌーヴェルヴァーグを意識した作り。
モノクロ画面、少し不鮮明な映像、クローズアップ等。冒頭からその傾向がクドイと言うか露骨過ぎてオジナリティはあまり感じなかった。
映像以外、ストーリーそのものに関してもどこかで見たような展開・筋立て。
でも白黒を生かした印象的なカット、シーンは多々有り。
心に深く残ると言うほどでもないがスカッとしたカタルシスを覚える。自分にはそんなタイプの映画。
なんだかんだ
印象に残るは
「ねえ、ファックしよう」
TOMBES DU CIEL
「パリ空港の人々」
1993年 フランス
主演はジャン・ロシュフォール。
パスポートを盗まれてしまった為に空港から出る事が出来なくなってしまったアルチェロ。
本人の確認が取れない為に已む無く空港のトランジット・ゾーンに住み込む嵌めになるがそこには父親を待ち続ける黒人の少年や自称世界を渡り歩いた元傭兵、国外退去処分となったラテン系の女性、不明の言語を喋る国籍不詳のアフリカ人など奇妙な人々が住み着いていた。
自給自足を送る彼等とアルチェロの奇妙な交流の日々、いつまでも空港から出て来ない夫にヒステリーになる妻とのトラブルをほのぼのとしたタッチで淡々と描いていく作品。
明確な行く先を持つ人々が日々行き交う空港。一方で行く先も帰る場所も無く自身が誰かも証明する術を持たない空港に住まう彼等。
国籍の無い空間に住まう国籍の無い彼らは「そこ」から出る事は出来ず、ボーダーラインが無いはずなのに事実上自由でない。
彼等の微笑ましくも物悲しい姿からは国家・人間・人が帰着すべき共同体、およびその関連について見ていてふと考えてしまったり。
本国送還が決まった黒人の少年ゾラを励ます為にアルチェロは卓上に小さなパリを再現。
そしてその夜、共同体の皆を引き連れてパリの夜景を見るために空港を脱走する。
登場人物たちが思い思いに夜景を眺めるこのシーン、個人的に共感すところもあって少し切なくなってしまったが。
爺も脱走したい|ω・`) 可能性なんてものは求めてはいないが。
しかしこの映画、全体的に不透明なところも多く特にラストシーンは「?」ってなってしまったのも事実だったりする。
ところでスピルバーグの「ターミナル」の原案になったというのは本当だろうか?
MAGNOLIA
「マグノリア」
1999年
これは有名か。
映画史に残る名作とは思わないが個人的に90年代映画の中でも十指に入るくらい好きな作品。
トム・クルーズ、ジュリアン・ムーアが目立つが脇にもなかなか味のある俳優が揃えられている。
久々に見たわけですが何を隠そう、このDVDを何故かまだ持っていない|ω・`)
余談ですがお香の香りではマグノリアが一番好きな著者。
三時間に渡り、多くの登場人物達の多くのドラマが織り成す群像劇。
自身の最後を目前に息子に会う事を望む金持ちの大プロデューサー、彼に対して負い目を感じるその妻、そして看護人。父親と確執のあるセックスマシーンな息子、ガンの長寿人気テレビ番組司会者、彼を恨む娘、彼女に恋する警官、かつて番組に出演した落ちぶれたゲイの元天才少年。周りの大人たちにいいように扱われる天才少年。
偶然は重なり、何処かに欠陥のあるダメ人間達のボロボロな人生が物語が進むにつれて一つの糸に繋がっていく。
画面に引き込まれていくこの演出、そしてそんな人生に苦悩しつつ懸命に生きるキャラクター達に対する愛情ある描写。
そしてラストの締めに「こんな事もあり得る」なんていってあのシュールな神展開を持ってくるか.......
こういう強烈なカウンターが内包された半ば暴走してる映画って最近はほんとないですね。
人によって意見は色々かもしれないけど自分はこういうの好き。
EDクレジットのAimee Mannの「Save Me」もいいですね。(これも一時期スタバでよく流れてたよな....)
ところで監督のP・T・アンダーソン、相変わらず寡作だがどうしたんだ?
電車の中で自分の前の席で眠りこけていたお姉さんがやたらと可愛かった。
見た目少し地味目で目立たなそうな感じではあったが少しハーフっぽくて何より大人っぽいオーラがまた.....
大人のな雰囲気を放ちつつもを足元がビルケンとかでソフトに可愛いとmgauiasiuqsugwqdiuwqgds。。。。。。。。。。。。。。
そういえば今日タワレコで見かけたお姉さんも大人っぽいと同時にいい感じにユルくてつい目がいってしまったので印象に残っている。
更にこの間でたDepeche Modeの新譜手に取っていたが
お姉さん! カーステレオでDepeche Modeなんて聴いちゃうんですか? かっこいー
こんばんは
著者は相変わらず年上のお姉さんに弱い|ω・`)
某人>
例のアンコールワットのクッキーありがとう。
美味しかったけどかなり普通のクッキー|ω・`)
取り合えず「今の僕の部屋」に他人を上げるのは最初で最後になりそうな.....................
◆◆◆
最近はめっきり会っていないが友人の一人が「僕から嫌われている」と思い込んでいるらしい。
誤解という以前にこっちからしてみれば「意外」過ぎて何ともコメントし辛い。
どういう理屈で僕が君を嫌いになるんだと。
就職先の製薬会社の営業として今月から福岡の方に行ってしまう別の友人と久々に会って来た訳なんですがその事は彼から聞いた。また、何処かで似たような事も誰かから聞いた様な気もしたのでちょっとデジャビュ。
と、言うのも彼は事前に前述の彼とも連絡を取っていて呼んでいたそうなんですが自分が来ると僕が来なくなるから遠慮する と、言うような事を深刻そうに語っていたらしい。結局そのよくわからない配慮の結果?彼は来ていなかった。
まあ彼と連絡をまったく取っていなかった自分も自分ですが
なぜそう考える!?と不思議に思わざるを得ない。
さて、数日後には福岡に発ってしまう後者の彼。
と、言っても定期的にこっちの方に帰ってきたりはするみたいですが。
久しぶりといっても相変わらずのダルビッシュ面、そして尋常でないまでの彼のリア充っぷりはいつもの通り。
おまけに未だにスロット・麻雀ジャンキーとは.........
スタバに長時間居座って重い話題を軽いムードで語らっていた が、特に去年あたり、色々と大変な日々を過ごしていると聞いていたのになんだかんだ遊びまくっていた様子の彼。
受かったのが奇跡的っておいおい......|ω・`)
警戒水準「フェイズ5」という笑えない状態になっている豚インフルエンザ。
「パンデミックの恐怖」ってやつですか。
少し過大に騒ぎ過ぎている気がしないでもないがこういう得体の知れない新種ウイルスが次から次へと発生している現状は気味が悪い。
震源地の一つと目されているメキシコの某養豚場は排水設備をはじめ信じられぬ程衛生状態が悪く、豚の死骸を放置するなどかなり管理も杜撰であったようです。
<なにヤバイもの培養してんだよ>
こんばんは
気が付けば五月だ。
大変だ|ω・`)
秋葉原のインド料理店の名店、「ジャイヒンド」。
外見は味気ないというか....... こじんまりとした店なんですが兎に角カレーの味が一級品。
自分の知る限り都内の北インド系料理店では此処の味が抜きん出ています。
平日のランチが値段的にお手頃ですがこのお店は特にディナータイムとの味の落差が大きいように思う。
ランチのものよりも夜のカレーの方が圧倒的に美味しい。(ちなみに日・祝の昼のみランチセットなしの夜メニュー)
先日、祝日の昼に久々の訪問。狭い店内は満席状態。
ラジさん、アミットさんという雑誌やテレビ等にも度々露出している有名なシェフがチーフを勤めているこのお店。
見かけない日も多いんですが厨房には立っていなかったものの、この日はラジさんがお店にいらっしゃいました。
オーダーしたホウレンソウのチキンカレー <サグチキン>
インドカレーではホウレンソウを用いたこの類のカレーは定番。
食わず嫌いの人が多いような気がするんですがニンニクや香辛料でもみ消されている為にホウレンソウ特有の癖は殆ど無くて苦手という人も食べやすいと思います。
特に此処のサグチキンは「超緑」っていうくらい緑色。葉緑素をそのまま食べている感じ。
連れの方が頼んでいたチキンバターマサラ。
これもまた定番。トマトのチキンカレー。
これはインドカレー全般に言えるんですが各種香辛料をふんだんに使っているにも関わらず非常に後味がさっぱりしている。
いきなりナンやチャパティにガシガシ付けて食べ始める人がいるけどそれはそれで少し勿体無い。
あとやたら自分好みでカレーを度が過ぎるほど辛くして元の味を破壊する激辛マニアもいるがこれもどうかと思うときがある。
最初にスプーンで一口、カレー単体で口に含んでみるとベクトルは違うはずなのに日本料理にも通じる非常に繊細な味をしていることがわかる。
余談だが著者が一番しつっこい味だと思っているのはインドネシア料理と韓国料理。
やはり味の素をふんだんに使用するからだろうか?
インドの定番の揚げ物(スナック) サモサ。
何かで見たがアフリカのエチオピアでもよく食べるらしいです。
名前を忘却してしまったが............
興味半分で頼んだインドのおつまみ。
木の実や何かの揚げカス?のようなものや小さく刻んだトマトが入っている。
正直こいつには参った。強烈にスパイスが効いていて物凄く塩辛い。
ビールが欲しくなる味ですがもう一人の方もまったく食べれなかった様子で自分も半分も食べれなかったです。
不味くは無いが....... かなり癖がある+喉が渇く味 = 胃にくる
ちなみに此処のお店、カレーは文句なしに美味しいんですがシークカバブやタンドリーチキンなどのタンドール料理に関しては今ひとつな印象が........
基本的に薄味過ぎて物足りなさを感じる。
個人的な好みとしては香辛料がもっとガシガシ効いていて真赤になっているものが好きかもしれない|ω・`)
先月頃購入した±0のウォールクロック。
極限なまでにミニマムデザインでこれだったら部屋にも合わせ易い.......と思ったのだが。
どうにも気持ち悪い。 何処か部屋にあっていない。
ミントブルーのカラーが悪いというわけではないですが「浮いている」。
という訳で現在では取り外してクローゼットの中にかけてます。(特に意味は無い)
±0は国内外のデザイン大賞も数多く受賞しているプロダクトデザイナーの深澤直人氏による家具・家電ブランド。
一見シンプルながらもいい意味で癖のあるプロダクトが多いように思う。
それでいて「±0」という表題らしく煩くなり過ぎないデザイン、特に色使いにセンスがあって好きです。
それにしても今ではここのものも様々なインテリアショップで見かけるようになりましたが。所有している加湿器のデザインは中々気に入っている。
ちなみに深澤直人氏というと無印良品等の一部のデザインも手がけている。
auの携帯のデザインが一般には一番よく知られているだろうか?
一時期大反響を呼んだ「INFOBAR」も氏のデザイン。
http://www.plusminuszero.jp/
◆◆◆
さて.........
本日で当ブログは一周年を迎えました。
これは自分にとっては結構凄い事だったりする。
なにせインターネット上のこの手の日記も今までに移転や更新ストップ、過去記事全消去を頻繁に繰り返していたのでこういう形で一年間続いたのは初めてな訳ですが。
まあ現在のこの日記も今まで消した記事が無いでもないし更新頻度そのものも比較的のんびりしている方かもしれないですが自分的には割とコンスタントに更新している方だと思う。
ブログというものを執筆していていつも思うのは
・現実とは隔離したものであるという意識を常に持つという事をポリシーとしているものの、個人差はあれどある程度までは現実の出来事を要素として抽出しなければ成り立たない。
・「自己満足」という範疇の以上でも以下でもないという事を自分に言い聞かせていても、何処かで他者の視点を常に意識している、即ち卑しくもある「自己顕示欲」を隠す事は出来ない。
という点に関しては少しジレンマを感じてしまっている。
まあ無駄に束縛される事も無く、気楽に執筆できればそれに越したことはないと思っておりますが|ω・`)
一周年ということで一時は当方の気まぐれで執筆中断・閉鎖も考えましたがなんだかんだもう少し続ける事になりそうです。
文才の無い著者がこれと言ったテーマも一貫性もなく細々と書き綴っているブログではありますがこれからも長い目で見、付き合っていただければ幸いです。
どれくらいの読者がいるのかも実際問題不明ですが|ω・`)
数日前だったか 凄くお洒落な外国人のお客さんがバイト先店舗に来た。
三十代前半~半ばくらいのお姉さんだろうか。
何がお洒落って格好・ファッションスタイルがですね、もうかなり「モード」って感じだったんですよ。
しかも凄く似合っていて滅茶苦茶格好良かった。
鍔が狭めの黒いエナメルの帽子、同系統の材質のシューズ。白いパンツ。ミリタリーテイストなポケット(よくは見えなかった)の付いた真赤な薄手のスプリングジャケット。パリというよりミラノっぽい。
あの鋭利で引き締まったような雰囲気はやはりコーカソイドにしか出せませんね。どんなに美形でスタイルがいい日本人が真似しても無理。
その人の隣の席に薄手のレザーブルゾンを着たこれまたスタイルのいい日本人のお姉さんがいたが完全に見劣りした。
..........なに凝視してんだよと突っ込まれそうなんで此処までにしておこうか。
こんばんは
モードなんて貧乏人から品質不相応の金を巻き上げて成立しているもんだと今でも思う著者です|ω・`)
上記の画像の某ブランドは特にそれが顕著ですよね。 特 に !
バイト先で一緒だったお姉さんプロデュース?の食事会的なものに行ってきた訳ですが。
て 言うか 今日じゃなくて昨日の夜ですが|ω・`)
自分は結局はそのお姉さんと一回くらいしかシフトが被らなかった。
と言うのも僕が少しバイト休止している期間に入っていたらしく、僕がまたちょっと入るようになってから仕事辞めてしまったからなんですが。
うちに来る前は他の店舗で結構長く働いていたらしい。
絡みやすくて凄くいい人だった。
ちなみに食事をしたカフェ・ラ・ボエムというカジュアルイタリアンスタイルのレストラン。
恥ずかしながらよく知らなかったんですがそれなりに有名なチェーンらしいですね......
しかもモンスーンカフェや権八なども展開しているこれまた有名な会社の系列のお店だそうで.......
成る程、フレンドリーで明るい店員といい、それなりにリーズナブルな価格帯の「日本人ウケがよさそうな」メニュー構成といいモンスーンカフェのイタリアンバージョンって感じだったかも。
味のほうはプロのシェフが作る本格的なイタリアンと比べると流石にキツいですが総体的に見れば全然悪くないです。
そもそも手ごろな価格で気軽にイタリアンを楽しむっていうのがこの手のお店のコンセプトなんだろうなとは思いますが。
そういえば
今日は
お手軽モードですが夜にパスタを作って食べた!
この時オーダーした「絶望」とかいうパンチの効いたネーミングのパスタを皆の皿に分けてたら配分ミスって僕の分が無くなってしまったからだ!
だから本日は妙にパスタが食べたかった。少しね|ω・`)
イタリアン・フードのセレクトショップで買ったインポートの蜂蜜。
蜂蜜とは思えないカラーのものまで兎に角色々な種類があったんですがこれはアカシアだったかな?
甘さは蜂蜜としてはやや控えめ、水飴の様にトロリとしていて驚いた。
味は....... 少々べったりしていてあまり好みではないかもしれない|ω・`)
価 格 か ら 見れば高品質である事はわかるんですけどね。 価 格 で 見れば。
同上のお店で焼いていたイタリアパン。
ピスタチオともう一つは....... なんだったかな。
試食の段階では美味しかったんですが一日経った後だとすっかり硬くなっていました。
駄目だこりゃ|ω・`)
こんばんは
爺は今日も腰が痛い。
それと出来る事であれば歳相応にもう少し和やかに日々を過ごしたい。
◆◆◆
確か中学の頃の英語の時間にStevie Wonderの「I Just Called to Say I Love You」を『彼の最も有名な曲』として聴かされた覚えが。
確かに代表曲の一つである事には間違いないがあの曲でStevieを語るのは「YesterdayでBeatles」って言うのとほぼ同等。まあ、ああいう場で取り上げられるのは歌詞がシンプルなのもあるとは思いますが。
Stevieをあまり知らないという人でも彼の曲はCMはさることながらカフェやちょっとお洒落な雑貨屋なんかでよくかかっているので耳にしている人も多いと思います。
そういえば一時期スタバのBGMで 「Golden Lady」や「I Wish」、「You've Got It Bad Girl」がやたらヘビロテでかかっていたが。
◆本日聴いた音楽
Stevie Wonder 「Innervisions」
一曲目の「Too High」のファンキービートで幕を開けるこのアルバム。格好良過ぎる。
次曲「Visions」でしっとりと静に切り替わり「Living For The City」でソウルフルに。そして名曲「Golden Lady」へと繋がる<Aサイド>
「Talking Book」の方が好きな曲が多いですがアルバム全体の纏まり・流れは個人的にこのアルバムがStevieの作品の中で最高レベルだと思います。
あとジャケットが個人的に凄く好きですね。画質が悪い上に中途半端にカットされてしまっているCDだとわかりにくいですが.........
言わずもがな今世紀最高のメロディメイカーの一人、Stevie Wonder。
11歳でモータウンと契約した盲目の天才シンガー・ソングライター。
今やすっかり「大御所の中の大御所」に落ち着いてしまっていて何ていうか....... あまり格好良くないですが70年代前半のStevieは半端無く格好よかった。
60年代・80年代にも彼は良い曲をいくつも残しているんですが兎に角この時期が創造性においてあまりに輝いているせいか他が霞む。
何せかの四部作<「Music Of My Mind」 「Talking Book」 「Innervisions」 「First Finale」> 、 そして二枚組みの大作にして世紀の傑作 「Songs In The Key Of Life」が立て続けにリリースされた時期である。
71年、モータウンとの契約更新時期に伴い自身で会社を興し、自曲のプロデュース権を獲得。
以降のStevieは60年代の彼の音楽性とはほぼ別人。独創的なシンセサイザーの使い方、メロディ、曲構成、コード...... ソウルミュージックに限らず彼の音楽が後のポピュラーミュージックに与えた影響力は絶大です。
ジャンルの引き出しの多さ・曲のバリエーションが同時代の黒人音楽シーンの顔である Marvin GayeやCurtis Mayfield、Sly Stoneと比べて圧倒的に豊富なのも特徴か。
当時の彼はまだ 2 0 代 前 半 で音に対する好奇心が旺盛でシーンの移り変わりに対しても敏感だったのかもしれませんが|ω・`)
一つ言えることがあるとすれば...........
ジャンルを問わず全盛時代のStevie Wonderを聴かずして音楽ファンを名乗るのは一生の損だ。
間違いない。
かつてこのトンネルの向こうにお気に入りのカフェがあったが今はもう存在しない。
周辺、「他」はなにも変わっていない。
ここを通る度にその雰囲気だけが今も残っていて何とも胸を突く。
こんばんは。
最近はまた腰痛が惨くなりだした二十四歳になったばかりの著者です。
洋書等でよく見かけるあのペーパーバック仕様って好きです。
ざっくり読めるというか読んでいたページもパラパラとすぐに開けるし凄く読みやすくていいと思うんですけどねあれ。
伝統的な日本のカバー付き小説の方が装丁も紙の質も上ですが読みやすさで言えば個人的には前者です。(て言うか僕の場合指が無駄に長いんであのサイズの方が持ったときに手にフィットするというのもあるんですが.....)
安っぽい作りとはいえ、それでいて本棚などに並べるとデザイン次第で中々雰囲気もある。
近年ではコンビニで販売されている廉価版の本でよくみかけますが日本でももう少し増えていいんじゃないかなと思ってます|ω・`)
◆最近の読書ノート
コルタサル短編集 (岩波文庫)
チャパーエフと空虚 ヴィクトル・ペレーヴィン
神を見た犬 ディーノ・ブッツァーティ (光文社文庫)
生き残った帝国ビザンティン 井上浩一 (講談社学術文庫)
此処最近と言えば流石に忙しくなってしまってゆっくり本を読む時間というか余裕が無いです。
◆著者愛用の読書・作業用デスクランプ
フランス、JIELDE社の有名なデスクランプ。
ワークスタイルというか、リネンカーテン+白い壁紙+木目剥き出しのデスクにこれ程似合うデスクランプも他に無い。
イメージとしてはゴダールやマルの映画にちょっとした小道具で出てきそうな。
元々工業作業用ランプとして50年代に考案されたもので断線故障の原因となっていた従来のランプモデルの配線を廃した画期的なデザインで知られています。
ミニマムでデザイン性に優れたスタイルが後に注目され、今では世界中様々なシーンで使われていて基本デザインも50年以上経た今においても殆ど変化していない。
と、言っても現在のモデルはインテリア用として細部のフォルムがよりスタイリッシュになっていますが。ヴィンテージで出回っているオリジナルに近いものはもう少しヤボったい。(そこはそこでまた味ですが)
現在ではカラフルな色やアームが長いモデルも出ているようですがこのランプについては落ち着いたモノトーンカラーの方が味が出る。
徹底的に「MADE IN FRANCE」に拘って作られているものなので値段はそれなりですが非常に丈夫で使い勝手がよく、飽きの来ないデザインなので一生ものとして使えます。デザインランプとしてお勧めです
何においても無理に達観し、それに入り浸ることが必ずしも良い事だとは思わないし、一見崇高そうに思われる思想・哲学を諦念の拠り所にすることも当然いかなる場合において良い事であるとは限らない。
しかし限界のようなものを常に意識している訳ではないですが
「それより先のラインはどうでもいい・この範疇まででいい」と身の回りに関する事について割り切ることが多くなつた。
『本質的に無益と思われることについては無関心でいる』というスタンスを取ろうとする事・それを最良として物事を合理的に処理しようとする傾向が歳を取るごとに意識せずに極めて「自然」になってきている。
良いこととも悪い事とも言い切れないがこれは一種の諦念か?
こんばんは
友人が就職で九州の方に行ってしまうそうです。
寂しくなるのう|ω・`)
昨日話題のイケアで初めて家具を買ったんですが............. 酷いな。
用途が買い換える前のオーディオ台としての期間限定利用とだったので安いものでよかった。
サイトで寸法確認してみた結果サイズ的に丁度良かったというものあって購入したものはイケアでも最下層の価格帯の木製テーブル。
なのでイケアの製品も価格帯によって商品レベルに極端な差があるのかもしれないですが取り合えず僕が購入したものは最悪でしたね。
徹底的なセルフサービス方式による不親切なイケアのことだったので説明書・組み立てに不安が無かった訳では無いですが安の上超アバウト。
いや、それに目を瞑るにしても組み立てそのものが変に簡素化されていて作りが雑です。家具職人の人が見たら余計そう思うんじゃないだろうか。それに日本の嵌め込み式のようなものともまた違う、何ていうか力技?
少なくとも「使い捨て家具」であることは確かですね。永い事愛用できるような代物ではない。
せっかく根性で両手で抱えて持ち帰ったのに..........
しかし元々「短期間限定使い捨て」としての購入だったので用途は満たしそうだ|ω・`)
ところで布団派・折り畳みベッド派の人ってどれくらいいるのだろう。
最近無駄にスペース取っているベッドを部屋の外に出したくて仕方が無いです。
そういえば一ヶ月程前ですがクラブで30代前半?くらいのやたらノッポのおっさんに絡まれた。
何やら僕の腕が当たっていたのが気に食わなかったようで(動いているんだからそれは少しは当たりもするだろう。特筆するような非常識・無作法は無い)数センチ真ん前まで顔近づけてきて『おい』。
「外出るかコラ」 「舐めてんじゃねえぞおい」 と、顔数センチ前で色々ネチネチ言っていたが相手にしても仕方が無いのでビールの入っていたプラカップをクルクル回しながら目線反らしてシカトしていた。
流石にプッツンしたようで飛び出てきた言葉が「あ......? ザケてんじゃねえぞ餓鬼!」
ほう! この歳でまだ餓鬼に見えますかね?|ω・`)
胸糞の悪い因縁つけられたというのに何とも奇妙な感じになったというか。
でも流石にすっきりしないというか気分悪くなってその後すぐ出ちゃいましたが。(しかし終電!)
こんばんは。本日の視覚的記憶としては
物凄いスタイルがよくて髪型ボブで顔は堀北真希系、ロングニット姿で携帯を片手に立ち電話をしていた女の子がやたら印象に残っている|ω・`)
不自然にUターンしてがん見したら目線が合って気付かれたww
◆◆◆
本日食べてみたもの
所謂「レトルトカレー」とインスタントの「ライス」がセットになっていてレンジで暖めるだけで食べられるという物。
こういうの見ると小学生の頃によく食べてた「あ!あれたべよ」とか思い出すんですけど。(どんだけ不健康だったんだっていう突っ込みは無しで)
いつもお世話になっている神田のインド料理の名店、マンダラの監修によるチキンバターマサラということでつい気になってしまった。店舗にも確か置いてあったような......
日本人もなんだかんだ、合理主義的民族だとおもう。やり過ぎと言うかなんと言うかこの発想は欧米人にはないよ。
形はどうであれこんな簡単に一品の料理の皿が再現出来てしまうとはほんと便利な時代になったものだ。
味はというと流石にマンダラのチキンバターマサラには遠く及ばないものの、これはこれでインスタント食品として完成されていて十分美味しいと思います。
あくまで「インスタントレベル」でだが。しかし思えばチキンバターマサラのレトルトっと殆ど無いですね。タイカレーは色々あるのに。
ところで「マンダラ」に関しては気になっていることがある。
メルサ銀座内にあるインド料理店「オールド・デリー」
こちらも都内のインド料理店としては有名店ですがここはカレーの味といい盛り付け方といいマンダラそっくりです。
皿も同じものを使っているし系列店か何かなのだろうか..........?
ただ、タンドール料理はマンダラの方が美味しいですね|ω・`)
左の画像が例の「チキンバターマサラ」
トマトベースのカレーで北インド料理と西洋料理が融合したかのようなメニュー。
女性に人気が高いそうです。
考えてみれば野外でビニールシート広げて飲み食いしながら馬鹿騒ぎなんて綺麗な文化じゃないよな。
「 桜 」 なんてイベントの口実に過ぎない。
だろう?
明治神宮~代々木公園の桜はまだ八分咲きってところだったろうか。
桜・花見は嫌いな著者ですが春そのものは嫌いではない。
「新しい空気」というか極めて新鮮な気分に浸れるのでアウトドア派の自分としては毎年自然とテンションが無駄に(実に無駄に!)上がっている。
さて 春か
春だ|ω・`)
本日を持ってまた年輪を重ねた著者。(記事更新後は日付が変わっているとは思うが3日生まれです)
もう24ですよ。いよいよ二十代中盤戦だよ笑えないな。
当ブログの年齢表記も自然更新でちゃんと 2 4 になってますよ。
この歳になって思うのは....... そうだな
実際問題、世界が大きくなったのか小さくなったのかよくわからない。
積み重ねられ続ける知識・思考力に基づいた自分の内的世界は年齢と共に着実に拡大していると思うものの、「外的世界」(この表現が妥当かどうかはわからない)に関してはある種の縮小・限界を感じ始めている。
十代の頃は世の中の、少なくとも自分の身の回りの情報に関するものの主役は僕より年上の人間達であったが今となっては最もアクティブなのは自分より年下。
彼等は何処にいってしまったのだろうと時として思う。
時の変遷と共に、人間の外的な在り方も一時期の境を機に変化していくものなのか。
この調子だと三十路もすぐだな。それも悪くないかもしれないが。
正直著者は焦っているのか、反面 妙に落ち着きはらって人生を達観しようとしているのか自分でもよくわからない。
両方なんだろうな|ω・`) 時と場合に応じて。
そういえば前々から観たかった「VALKYRIE」をこの間漸く観てきました。
去年ブログでも少し触れましたが未遂に終わったヒトラー暗殺計画・クーデターである「ワルキューレ作戦」、及びその首謀者シュタウフェンベルク大佐を描いた作品。
シリアスで非常に丁寧に作られている作品といった感じ。オープニング・クレジットが格好良くて冒頭からゾクゾクものだった。
歴史上の一つの事件をサスペンスフルかつ重厚なタッチで淡々と描いている。ハリウッド映画にありがちな中途半端な恋愛描写やベタベタなヒューマニズムは思ったほど無く、実に簡素で清い作りだったと思う。これは正解。
監督のブライアン・シンガーはXメンなんかも撮っている人ですがやはりこの人はサスペンス映画向けだ。出世作であるユージュアル・サスペクツ同様、緊迫感・重量感のある演出・構成が凄く良い。
しかし問題のトム・クルーズのシュタウフェンベルクは..........
思った程違和感は無かったがもっとドイツ軍人らしい質実剛健さを出せる俳優はいなかったものか。
ところで余談ながら映画上映前のあの予告編だが.........
あれ好き・楽しいっていう人多いけど僕は嫌いですね|ω・`)
どれもこれも金太郎飴のように似通った演出。
ZUN! ZUN! って効果音と共に主演俳優陣の顔のカットバック。
使いまわしの音楽と共に流れるベッタベタな文句。<ハートウォーミングストーリー(笑) ~のスタッフによる空前の超大作(笑)>
特にディズニーとかファミリー系の予告編のあのお兄さんの妙にフレンドリーでキモい声が嫌です|ω・`)
正直な話フィギュアスケートって嫌いだ。
スポーツとして非常に華がある為か非常にコマーシャル色が強い。
よって品が無いメディアがくっつくと兎に角下品な様相を呈する。
その点日本の民放は最低ですね。前から思うことだが何だあの吐き気を催す番組作りは。
何処ぞのロシアのコーチも触れていた事だが日本メディアのあのあまりに露骨なイメージ戦略は褒められたものではない。
バレーに関しても言えた事だが選手をアイドル化する事、即ち「広告」として商品化し、甘い蜜を啜り合う事が業界グルで常習化してしまう傾向。非常に良くない。
キムヨナを対日先鋒マスコットとして祭り上げる韓国メディアも異常だが(あの国の日本に対する過剰な対抗意識ははっきり言って気色が悪い)なんて言うかな.........
フィギュアに限った話ではないが以前に比べ世界舞台で対抗し得る選手は育ったものの、バックの「品格」がアジアは未だに全然駄目だと思います。
ところで浅田真央は残念だったみたいですが本人にとっても変にプレッシャー溜めるよりも一度くらいこういう結果が出るのも悪くないのではないでしょうか。
余談ではあるが芸人が「真央ちゃん」とか言ってるの見ると怖気が走る。
こんばんは
御指摘もあったが相変わらずバリバリアンチモードの著者です|ω・`)
画像は........ この間ふらりと寄ったカフェで食べたら美味しかったもの。
ホイップ+アイスクリームにメープル?かけているだけのものなので今度自分でもやってみようとか。
◆◆◆
KENZO MINAMIのTシャツって一時期はデザイン凄く良かったんですが(カンディンスキーのパクリっぽいのも一部ありましたが)シーズン毎に段々駄目になってきたような........
特に今期のデザインは........ 何て言うか引いてしまった。
これ一体誰が着るんだろうって代物ばかり。特に「毒毒毒毒毒.......」は笑えなかった。
それにしても相変わらず無駄に値段が高い。
生地の品質はそれ程高い訳でもなく、形もお世辞に良いとは言えない。
高いと言えばプリントの質ぐらいなのだがそもそもグラフィックアート出身の人なのであまり品質には興味が無いのかもしれないが|ω・`)
だとすれば値段........!
生粋のプロ野球ファンから観たらあの手のミーハーは少々鬱陶しかったんじゃなかろうか。
自分はというと大して野球ファンでもないんで特に試合チェックしてた訳でもないんですが取り合えず大会連覇ということで....... なんだ?形式上おめでとうか。
まあ事実上あんなマイナーな大会、メジャーが金儲けの為に開催してるだけの代物だが。日本のメディアからだけでも(と、言うかそもそもの標的はお馬鹿なアジア人だろうが)一体何十億集金してるのやら。優勝くらいせんと元取れんよ|ω・`)
振り返ればメディアが煽ったあの「サムライジャパン」っていう呼称には物凄い嫌悪感を覚えていた。サムライブルーとかもそうか。
悲しい事に『サムライ』も『ブシドー』も今となっては日本人が日本人である事を意識するための意味の無い空虚な「記号」でしかない。
別に侍になれとか言っているんじゃない、記号に過ぎない中途半端なアイデンティティであるならば語るべきででないし、しがみつくべきでない。
更に言えばそもそもそんなもの「いらない」。はっきり言って「ダサい」。「日本、日本人的である事」の指標というのはそんな下らなくて安っぽいラベルのようなものだろうか?
こんばんは
寝不足で右瞼の痙攣が酷い著者です。
◆◆◆
この間バイト先で久々にオープン作業。
一緒にシフトインしたのは「初対面」の新入バイトのお兄さん。
取り合えず驚いたことと言えば............
自己紹介の挨拶が向こうからまるでなかった事。
そしてこちらからする空気というか機会というか、「隙」がインカの石組みの如くまるでなかったというのは特筆に価する。
名古屋の方の店舗で働いていたという「彼」。歳は二十代後半くらいか。
何やらうちの店舗の女性陣から目茶目茶不評みたいで事前にお姉さんの一人から「気を付けた方がいいよ」 「めげないでね」とか言われてたんで少々不安ではいたのだが................
「お喋り」とも聞いていたのでお調子者系を想像していたんですがどちらかというと無愛想系に近いのかなあれは?
別に悪い人ではないし話に聞く程そこまで嫌な感じはしなかったんですが少々独特なオーラは放ちまくっている「彼」。
取り合えず無駄に人の仕事に割り込んでくるのと(あれはおせっかいなレベル)とバリスタ入った後の汚さ・後片付けの杜撰さは少々気になる。部屋は汚い系と見た!
それとこんなこと言うとあれかもしれないですが彼の存在が店の空気悪くしている(特に一部の女性陣の間で)側面が少なからずあるようなのでちょっと問題かな......と思わない事も無い。
あ、もう一つあったな。
彼の整髪料の付け方!
ありゃスタイリングしない方がいいぜマジな話|ω・`)
◆バイト先のあれこれ(図太い客編)
◇
二十人近い女の子の大群が店に入ってきた。歳は中高生くらいか?
ちゃんとドリンク購入していたのは半数ほど。
しかもお菓子(ド-ナツ?)を平気で持ち込み食いしている。銀座に似合わぬガ●共め。(お客様です)
更に驚いたのは彼女等が去ったその後、あたり一面菓子クズだらけだった。
どう食ったらこんな散らかるというのだ行儀の悪い|ω・`) 銀座に似合わぬガ(ry
◇
いきなり「試飲くれ」と言ってきた顔も服装も薄汚いオジサン。(一応お客様です)
試飲カップに入った珈琲だけもってさっさと出て行ってしまったので「は?」って感じでしたね。
シフトインしていたもう一人のお姉さんが「またあの試飲オヤジ来たよ」とボヤいていた。
何やらここ数日試飲目当てでずっと来ているそうでしつこいのでわざと少ない量をわたしたら「量少ねえよ」とクレーム付けてきたらしい。
そんな意思表示をしても未だに来続ける面の厚さには参ってしまう。
品性下劣さが隠せようも無いほど表面に露呈してしまっている育ちの悪い人間というのは本当に嫌だ|ω・`)
遅れ過ぎですが今更ながら知って驚愕したというか何というか。
今年の秋冬シーズンからジル・サンダーがユニクロの「全商品」の監修を勤めると聞いて「えええええええ!?」ってなった。
ラフ・シモンズがクリエイティブ・ディレクターを担当している現在の「JIL SANDER」ではない、本家の「JIL SANDER氏」である。
ユニクロも出世したもんだな|ω・`)
成る程、シンプルさを売りにしているユニクロと徹底したミニマリズムをアイデンティティとするジル・サンダーの相性が悪い訳が無い。
個人的に所謂 「MODE」 は常に消費され、変化し続けるものであるが故に既成価値・概念を覆し続けるかのような挑発性の保持というか.......
つまり奇抜でぶっとんだものであるべきだと思っているので彼女みたいに簡素美を追求するデザイナーの傾向は今一つ面白く感じられないんですがこういうデイリーに用いられる大衆ウェアにそちら方面のセンスが落とし込まれるというのは発展性そのものを考えれば形としては凄く理想系だと思うんですけどどうだろう。
少し大袈裟か。
あ、そう言えばラフ・シモンズはJILで割かしシンプルな服デザインしてる半面、「Raf Simons」の方では止められない位どんどん方向性が奇抜になってきてるみたいですが。
デザインのみに止まらずなんか新素材等も開発しているらしい....... 青山にオンリーショップ出来たみたいですが本当に売れてるんだろうか?
◆◆◆
本日観た映画
「真夜中のカーボーイ」
Midnight Cowboy
1969年 米
予定よりもかなり早く目が覚めてしまった明け方四時、選んだ一本。五年ぶりくらいに見る。
音楽にしてもそうですが「お気に入り」であってもそれ程頻繁に聴かない・観ない類のものというのは結構ある。
それはその対象を「体感」(少しオーバーな表現か?)するにあたり「集中力」を必要とするものであるから、「余韻」が味であるものであるから、或いは観る・聴くべき時が自己の中で明確に要求されるからであるとか対象によって理由は様々で単純なようであって複雑でもある。
特に三つ目に挙げた例は服みたいなものですね。
ニットみたいなデリケートなものは毎日頻繁に着ていれば当然くたびれて来る。だから同じものをそれ程毎日も頻繁に着たりはしない。
それはもったいぶっているのであるのと同時に「毎日のように着る必要性が無いから」という理由に帰着する。それだけのこと。
この映画もそんな感じかもしれない。
「明日に向って撃て」 「俺たちに明日はない」 「卒業」 「イージー・ライダー」等と並びアメリカン・ニューシネマの傑作の一つとして名高い作品です。
60年代後半以降に起こった「ニューシネマ」はアメリカ映画界の一つの重大な転換期として位置付けられる。
即ちベトナム戦争の激化・学生運動など70年代への激動の時代の変遷を背景としている事、そして若い映画監督達の大作主義的なハリウッド映画へのアンチテーゼとして。
前者は社会に行き詰まりを感じる若者達の刹那的なテーマを、後者はそれまでの映画制作にとらわれない自由なスタンスをニューシネマに与えた。
そして更に「アメリカ的だなー」って思うのは小難しい理屈を込めない単純明快な点。フランスのヌーヴェル・ヴァーグのように露骨に芸術ぶった側面が少ないです。
さて、この映画。主演はジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン。
(意外と知らない人がいたりするんですがブラピと交際している女優のアンジョリーナ・ジョリーはジョン・ボイトの娘です。唇一家とでも言ってしまおうか。いや、言わなくていいか)
監督のジョン・シュレシンジャーはイギリスの監督なんですがここでの明瞭な作風は「アメリカン」って感じですね。
「Midnight Cowboy」っていうタイトルの素敵な響きがまず大好きです。
ハスラーになることを夢見てテキサスの田舎町から大都会・ニューヨークへとやってきた自信に満ち溢れた少しナルシストなジョー。
そこで彼を待っていたのは理想とはまるで違う、街に住む奇々怪々な人々の偏見・冷たい視線だった。
現実とのギャップに絶望したジョーが出会ったのはラッツォという足が悪い一人の小男。
どこまでも「汚い」がどこまでもお人よしな都会のはみ出し者同士の二人。その間には同棲生活の中で奇妙な友情が育まれていく。
夢はある。しかしあらゆる物・人が行き交う街の喧騒の中でどうしていいかわからずに孤独感に打ちのめされていく居場所の無い二人の破天荒な姿が哀しく描かれていく。
そして悪化していくラッツォの持病。フロリダへ行きたいというラッツォの願望に沿い、二人はニューヨークを抜け出し南へと向うバスに乗り込む。
作られた時代がフラワー・ムーブメントの真っ只中であっただけにところどころにL・S・D!って感じのサイケデリックな描写が出てくる。
現代社会の疎外された醜い弱者。時に非行に走る彼等の道筋の見えない孤独な姿をユーモアに溢れた暖かい眼差しで描いた作品というと少し臭いだろうか。
ラスト、故郷でも憧れたニューヨークでも安住の地を見つけることが出来なかったジョーが大好きなカーボーイの衣装を脱ぎ捨て、フロリダの太陽の光の中で自分にとっての「現実」を悟り、受け入れるシーンが心に残る。
破滅的・刹那的なラストを迎える多くのニューシネマに属するとされる作品群のラストシーンの中でも一際輝いて映る。
ジョン・バリーのテーマ曲と相まって切ない。
◆零れ話
◇ジョーのホテルの部屋。
テレビ画面で放送されているのは「ウルトラマン」。スカイドンやジャミラがちらっと映ります。
当時アメリカでの認知度も高かったのだろうか?
◇時代を感じさせるドラッギーなサイケ・パーティーの会場。
会場のエキストラの多くにポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホル(彼主催のパーティーという設定)のスタジオ、ファクトリーに出入りしていた面々が出演している。
アーティストだったり奇人変人だったりそのどちらかスレスレの両性器具であったり。
その中にはウォーホルプロデュースの映画作品群の監督を勤めたポール・モリセイの姿も........
ダダイズム関連の中でもメルツバウ(merzbau)に関する文献・資料というのは実際調べてみると思っていたよりもずっと少ない。
薄いペーパーバックのようなものでもよいので写真集的なものを通販やマニアックな洋書を取り扱っている書店・古本屋などで探してみたものの、関連物は殆ど見つからず。
そもそも現物の建物自体が第二次大戦の空襲で失われているのでその姿を収めた写真自体が少ないのかもしれないですが。(戦災により破壊された多くのバウハウス建築にも同じことが言える)
クルト・シュビッタースによるメルツはキュビスム的(幾何学的・多面的・個々の再構築的要素)な独特の空間建築で有名ですが「現代建築」と一言で表現しようとするとその「機能的にあまりに無駄が多い」装飾的空間デザインはある意味ではむしろ現代的ではないと言える。
「無駄であるが故の構造美」
さて、本日は夜中にも関わらず久々に中階の大掃除をした。今日しかやる日・時間が無かったんだからまあ仕方がない。
上部の照明が切れてしまっていたのでそれを取り替えようとした際の大袈裟な追加事項とでも言っておこうか|ω・`)
普段はシーツを被せてあるのだが久々の掃除の際には恐ろしい程埃が溜まっていた。
僕の部屋の中階は今ではまったく使用していない。
理由は単純で「掃除が面倒なので放棄した」 「わざわざ上り下りする程まで日常的に利用するメリットがない」
また、元々は上へ上がる為の木製の階段が備え付けてあったのだが無駄に場所を占拠していたので数年前に撤去してしまった。(埃の原因にもなる)
現在は上に上がるためにはベランダに別に用意してある梯子を使っている。
↑暗くて見えにくいけどこいつです
結果的には常備してあった梯子を外した事により決定的に未使用空間となってしまった中階。
まあ、結局は中階なんて田舎者の発想なのかもしれないですが.........
しかし不必要な部位となってしまったこの空間もそれ程嫌いな訳でもない。
中階を支える支柱、独特な凸部の立体構造は間接照明に映える。
「無駄であるが故の構造美」か ふむ|ω・`)
ところで最近はお手軽でコンパクトな折りたたみ梯子とかも結構出てるんですね。
掃除しながら本格的に中階の利用を考え始めた。
それなりにスペースはあるしソファかチェア・ミニテーブル・フロアライトを持ち込んで下とは別個のコーディネートも出来そう。
それに何やら最近僕の部屋に上がり込んできたがってる輩がいるようなので隔離するのには実際問題ちょうどいい。基本的に安息の地に人上げるのはあまり好まない方ではあるが|ω・`)
しかし時間がかかってしまったが漸く一服できた。
美味しいドーナツ屋とか知ってたら誰か教えてください
スムーズな人間関係、日常の良い音楽、日常の印象的な風景・光景.......etc
そういった最も身近で質素な類のものに触れている時には少しでも自分に与えられた時間がまともに流れ
自身の感覚器が正常に、大袈裟に言えば理想的に機能している事を実感出来る。
それらは精神的な拠り所等にはなるべきではなく また、自身にとってなる事も本質的には出来ない。
モノトーンのフォーマットにロイヤルブルーのラインを引くようなものであるべきなのだ。
人は時の経過と共に何かを『消耗』している故に焦りが生じる。
断片化された各々の「現在」に対する意識・集中力は薄れ、生産性が未知数な後先の事物に固執する。
何を見、何に触れ、何をしているかという現実としての感覚・事実は現在という瞬間にしか成り立たないというのに。
状態が最良であれ最悪であれ、少しでもマシに生きるという事は「現在」における内面・精神状態に空虚でモノトーンなイメージを少しでも持たない事である。
可能である限りは
..............................
マクドのナゲットを口にしたのなんて思えば実に中学以来かもしれない。
100円じゃなかったらこんなジャンクフード買い食いすることも(恐らくは)ないのであろうが。
て言うかこんな美味かったっけ?と思ってしまう自分が情けなくもある|ω・`)
しかし上手い路線変更したものだなと思う。
一昔前はバリューセットで買わせる事が定番戦略であったというのにプチカフェ化を進め、いつの間にか低価格(この会社の生産ライン、品質を考えれば割高とは思うのだが)のサイドメニューを買わせる事に力を入れ始めた。
現状を考えれば時期的にもよかっただろうね。再上陸したバーキン(ジェーン・バーキンの事ではない。が、フルネームを書きたくも無い)なんて今大変だろうに。
て言うかシナモンメルツってあるじゃないですか。
評判悪いみたいだけど僕あれ好きですね。
ただ、あれで300近く取るのはボッタくりに近くないか?
長く、線でなぞったかのように何か細かいものが網戸にくっ付いていた。
何かと思って近寄ってみる。
仰天したぞ ケイト・モス!
正面から撮らないのは単純にグロイからです。
要はこのドアホは産卵直前の体が重くなってるときに風に流されて網戸に激突、そのまま這い回ったがやがて絶命した訳だ。
この粒々は「蛾の卵」である。
これまだそのままにしてるんですがほっといたら産まれてくるかな?(結構広範囲。何せ大型のスズメガ)
気持ちが悪いんで中々気が乗らないのだが早いうちに何かで残らず取ってライターで焼却処分したいのだが|ω・`)
こんばんは。
今日は温かかった。
安藤裕子の曲聴いてて改めて感じたんですが「いかにも」べったりしたピアノやストリングスの綺麗目アレンジの曲聴いてると正直ゲンナリする。
いい加減皆ポップミュージックにおけるこういうプロデュース傾向には飽き飽きしてるとかないかな。
何処ぞの教授も言っていたが今の日本には才能溢れるプロデューサーというのが本当にいない。
どれもこれも保守的と言うかマンネリ化した単調なアレンジばかり、おまけに女の子の歌い手に限っていえば殆どが声量に乏しいのを誤魔化す為に声裏返らせるのでこれまた面白みの無い似たような歌い方・声ばかり。
この人は歌い方にまだ個性がある方だと思うんですが(て言うかこの人の声嫌いじゃない)曲そのものはバックのサウンドと歌詞が陳腐過ぎてなんか勿体無い。
確かこの人は自身で作曲も一部手がけてるんだったか?(うろ覚えだが)
作曲・作詞・プロデュース、全てを部分的であってもマルチに出来る歌手は「アーティスト」としてより高い評価を得られるかのような風潮が特に2000年以降、少なからず感じられるんですがあまりいい傾向だとは思わないな。
そういったマルチな才能を高次元で開花出来るミュージシャンなんて世界規模で見ても決して多くはない。
ポピュラー・ミュージックなんて売れてなんぼなんだから消費者側としてはいいと思える音楽を提供してもらえればいい訳で本人の自己満足なアーティスト志向なんて正直な話どうでもよかったりする。
ところで未だにシンガーやミュージシャンの事を「アーティスト」って呼ぶのは凄く抵抗感というか拒否感があるな........
音楽を作る当人達が「アーティスト」の自覚を持ってしまっているのはもっと問題であると個人的には思っている。ポピュラー・ミュージックのフォーマットにおいて適用するのであれば。
凄く嫌らしい傾向だと思いますよ。当ブログでもレビューした事のある「アーティスト症候群」によるとMTVがその拡大と共に広めた呼称そうですが。
ああ、そう言えば映画「催眠」にちょい役で出てるそうです彼女。凄く気になる|ω・`)
あれ中学生のときに友人達と観に行ったんですが『リング+エクソシスト+キチ●イ』÷4な感じの菅野美穂の発狂ぶりと吾郎ちゃんの大根ぶりしか印象に残っていない。
23の男三人の会話ヽ(´ω` )ノ
六割方下ネタ
自重の念から内容は書けないが........
「ユニーク」であるだけなんだ 要はヽ(´ω` )ノ
こんばんは
日が長くなってきたね
この間レーシック受けてきました。
検討してはいたが今までずっと躊躇していたのは著者が単純にチキンだったからですね。
「理論上」可能である手術というだけであって屈折矯正手術は正直な話歴史が浅く、未知な部分も皆無とは言えない。
自己責任の問題となるわけだがしかし結果的に受けて良かったかなとは思ってます。
「見える 実に! 見えるぞ」
まだ光が少し滲んで見えるものの、気になっていたクセもとれて快調である。コンタクトもメガネも必要の無い裸眼って素晴らしい。
処方された点眼液を一日五回のペースで使用しているからかもしれないですが話に聞いていた初期の「目の乾燥」もそれ程ではない。
ただ一週間の間は眼球・及び瞼に触れる事は厳禁で、寝るときは専用の保護眼帯・外出時にはサングラスか保護メガネの着用が義務付けられています。
しかしだ
今回の手術で40万が吹き飛んだ...........
友人の一人は十何万そこらで受けれるところでやったそうですが(事故を起こした銀座のあそこではない)自分が受けたところはレーシックに関しては国内最高と言われているあそこである。
手術顧問の先生が日本にレーシックの技術を初めて持ち込んだ有名な医師・教授で親が眼科医繋がりで医師会で会っていたこともあってわざわざ紹介状書いてくれて薦めてくれたのもあるんですがやはり一生に関わる事なので信頼できるところで受けておきたかったというのはある。
それにしても最近の医療技術というのは本当に凄い。
レーシックっていうのは要はレーザーで角膜の一部を焼いて曲率を下げ、近視・乱視を矯正する手術なんですが実際に受けてみると本当にそんな高度なことやっているのだろうか?って感じであった。
テープみたいなものを使ってキューブリックの「時計じかけのオレンジ」のように瞼を閉じれないように固定、麻酔の点眼液を打つ。
そのあと金属のリングのようなものを眼球に押し付けて(麻酔が効いているので圧迫感はあるが痛みはない)角膜の表面(上皮細胞)をフラップ状に薄くはがす。
そして角膜に直接エキシマレーザーを照射する訳ですが......... 工程そのものはエグく聞こえるが実際受けてしまうとどうとこうことはない、すぐに終わる。
ただ、メカニカルな効果音が鳴った後、目に映る赤いライトを見つめている中「ジリジリジリジリジリジリ」と音がして微かではあるが少し焦げ臭い匂いがした時は手術がどういう工程で行われているのか少々実感してしまったが。
個人差があるそうですが手術が終わった後は空気が目に染みる感じが凄くて涙が止まらなくて目を閉じているうちにすこし寝てしまったが起きるとそれも大分収まっていた。一時間も爆睡してしまうとは.......!
まあ、そんなことで視力を手に入れた著者である|ω・`)
GOODBYE フォーアイズ|ω・`)
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |